第十四話 山田千華「アタシたちのダゴン秘密教団を作ろう」
ああ、なんかクソ狭い……。いや、どうしてこうなった? アタシの部屋は別に狭くないと思う。六畳一間、まあ、一人で過ごす分には狭いと感じた事はない。
ただ今は違う。部屋にはアタシも含めて五人いる。折りたたみ式のテーブルを囲むように座っているが、結構窮屈だ。
「それで、それで? お店まで閉めちゃってなんの話するの? 私も仲間に入れてよー」
「あぁ、ゴメンねぇ。みんなもジュース飲みたいよねぇ」
「教団の指導者は、オーベッド・マーシュと名乗る老人です、詳細は知りませんが……」
「優子さんは千華と付き合い長いんですか?」
ちょっと待て。勝手に話し始めんな。特にケイトリン、オマエいきなりなに語り始めてんだよ。他のヤツらはちょっと黙れ。
アタシはこのあと、三〇分にわたってツッコミを入れ続けた。イチイチ話に茶々を入れる優子、ノンビリし過ぎて会話が脱線していくお父ちゃん、唐突に関係無い話を始めるサキ。
自分へのツッコミじゃないのに、イチイチ話を中断させるケイトリン。彼女を促しながらも、話の内容を間違って理解しないようにメモを取るアタシ。
そんなアタシの苦労なんて誰も分かってくれない。気が付いたらアタシのタマゴサンド無くなってるし。誰だ、アタシのタマゴサンド食ったの!
疲れて仕方が無い。ただ要点だけは分かってきた。ケイトリンの所属していた組織は、『ダゴン秘密教団』。ただし過去にお父ちゃんの仲間が関わっていた教団とは関係無い。お父ちゃんが脱線しつつも補足してくれた話では、指導者の名前は恐らく偽名。お父ちゃんの友人だった人で、教団の最初の指導者の名前をかたっているだけだろうとの事。
教団が組織された時期は不明。ケイトリンが加わったのが五年前。少なくともそれ以前に結成されたのは間違いない。
五年前の時点では、深きものがお互いに支え合い親交を深める事だけが目的の組織だったらしい。組織内の規律も緩く、組織にも特に目的らしきモノだって無かった。
それが大きく変わったのは一年前。深きものだけの組織だったダゴン秘密教団に、日本人の協力者が現れたのが発端だった。
その協力者というのが、豹紋葛穣治。多分、コイツが黒幕。ちなみに、ソイツの息子が景保。バカヤンキー共の先輩で、この街にあるみどり聖堂高校の生徒。
景保は自分の後輩を使いっ走りにしてた。黒幕らしき人物はなぜ自分の部下ではなく息子の後輩を使った? その穣治ってヤツがそれなりに権力を持っているのなら、高校生の息子に手伝わせたりしない。それこそ暴力団くらい連れてきそう。
これはアタシの予想に過ぎないけど、黒幕は豹紋葛の当主であるジジイとは対立してる。少なくともジジイの権力を自由に使える訳じゃなさそう。
ともあれその黒幕の資金援助を受けて組織は変わっていった。その際に組織を見限った仲間を粛正するほどに、助け合いの理念とはかけ離れた組織になった。
「元々、ルーカスは教団の『お荷物』だったんです。人様に迷惑をかけるようなトラブルを起こしては遠方に逃げ、その度に教団の深きものが逃走の手引きをしたり、新しい土地での生活を支援したり……」
そんな厄介者も、変質した教団では『有能』と見なされるようになった。そして黒幕からある情報がもたらされた、日本にも深きものが潜伏していると。『有能』なルーカスはその深きものを教団に引き入れるために派遣される事となった。
「じゃあ、当初の目的は本当にお父ちゃんを教団に入れる事だったの?」
「はい。少なくとも私はそう聞いています。ただ互助会のような教団から、オーベッドの支配する組織へと変貌していく上で、厳密な階級制度が出来てしまいました。そして魚政さんは、その最下層の立場で組織に加わる事を納得させるようにと命じられました」
いきなりやって来て「オマエ、ウチの組織に入れや。一番下の立場だけどな」と言われて納得するヤツはいない。ルーカスがいきなり暴力的な手段に出たのも、まあ、分かる。と言うか、上のヤツはそれを期待した上でルーカスをよこしたんだろう。
「教団の指導者、オーベッド・マーシュは深きものを統率し、巨大な勢力を築き上げようとしているんです。そのために、魚政さんの知識が必要だと聞かされています。ただその魚政さんが持っている知識というのがどういったモノなのかは私も聞かされていませんでした」
お父ちゃんの知識? まあ、以前お父ちゃんから聞いた話が本当の事なら、お父ちゃんは六〇〇年以上生きてる。イマイチ信じられないけど、深きものの過去についてならもしかしたら地上で一番詳しいのかも知れない。
でもそれにしたって失礼な話じゃない? お父ちゃんの知識が必要なのに、お父ちゃんを一番下っ端にしようとかさ。
「これまでの話を聞いていて思ったんだけどさぁ、君たちってまだ若いよねぇ。君とルーカス君はインスマス後の生まれだっていうのは昨日聞いたよぉ。
もしかして君らの教団は、ほとんどが若い人なのかなぁ。どうも言動が深きものらしくないんだよねぇ。むしろ『人間臭い』。
指導者がオーベッドの名前をかたっているのもそうだよねぇ。深きものにとってオーベッドは尊敬されるような男じゃなかった。むしろ善良で愚かだった。正直で強欲だった。彼の名前を名乗る意味が分からないよぉ。だいたい『過去の名前』を利用するやり方は人間の手口だよねぇ、僕らの文化や風習では名前自体があまり意味を持たなかったしねぇ」
「だけどねー、同級生の男子なんてダメだよー。やっぱりガキっぽいよね、『まに中』の男子なんてダメダメ。ガキで田舎者、まあちょっといい感じの男子もいるけどさー」
優子。オマエ、マジで黙ってろ。サキも真顔で聞いてんじゃねぇ。
「僕らには誇れるような文化や風習がなかった。理由は海の中で暮らしているから、言語が発達しなかった。文字はあったよぉ、でも海の中では声を発する事ができない。だから声帯があまり発達していないんだよぉ。
イルカみたいに超音波なんかで話し合う方法を思いついたヤツもいたけどねぇ。練習が大変であんまり普及しなかったなぁ。しかも深海では超音波の伝達があまり安定しないからねぇ。浅い海でしか使えない。
まあ、そんな理由もあって僕らは『言葉』というモノをあまり重要視していなかった。結果、その人を表す言葉である『名前』というのも適当だったんだよねぇ」
つまり二〇〇年近く前、最初にダゴン秘密教団を立ち上げた男、オーベッド・マーシュ。その名前に何らかの威光を見いだすのは人間だけ。もしくは人間の文化や風習に染まっている若い深きもの。
「僕の知識が必要だと言いながら、その僕を一番下っ端に置こうという考え方には少し首をひねりたくなるねぇ。でも、君の教団が人間の文化や風習に染まっているなら、それは多分矛盾でもなんでもない。ただの世代間の対立。僕のような年寄りを重用するのは抵抗がある。ましてや教団の運営に口を挟まれたりしたらたまったモノじゃない。ただそれだけの浅い考えじゃないかなぁ。
本来なら深きものに世代間の対立なんてものは無い。寿命の平均なんてものが無いから。普通人間ならある程度の年で子供を産んで、ある程度の年で老いて死ぬ。今なら平均寿命は八十歳くらいかなぁ。生まれて死んでの繰り返しで社会は営まれていく。
それは社会全体の新陳代謝と言えるねぇ。生まれて死んでの一サイクルが『世代』と呼ばれる。でも深きものにはそれが無いんだよぉ。歳をとらない、寿命というものが無いからほっといたら永遠に生きてる。年功序列的な考え方もあるにはあるけど、あんまり長生きすると最終的に誰が年上なのかなんてどうでもよくなるしねぇ」
「私、英語が苦手でねー。塾に通ってるんだけど、まったくついていけないのよー。なんかいい方法ないかなー」
優子、お前もう帰れ。
「前の学校では、英語の児童書とか読んでる人いましたね。『魔法使いハリーさん』とか」
サキ、お願いだから、黙ってて。
「『魔法使いハリーさん』なら千華が原書持ってるよぉ。ねぇ、千華ぁ。優子ちゃんに貸してあげたらぁ」
なんでお父ちゃんまで加わってんのさ! そりゃ持ってるよ。全部読んだよ! 貸してもいいよ、でも今は大人しくしてろ!
「あ、でもケイトリンさんから教わるのもアリかな。だってアメリカ人でしょ? そっちの方が凄そうじゃん」
アタシは無言で部屋の隅に転がっていたヌンチャクを手に取った。全員、黙った。よし、そのまま静かにしてろ。
「そんで、アンタらの目的ってなんなの? それは確認しておきたい」
アタシの質問にケイトリンは少し困惑した表情を浮かべた。答えに困ってる、そんな顔だ。だけど、その表情でアタシにも目的に見当がついた。それはお父ちゃんも同じ。
「はぁ。まさかとは思っていたけどねぇ。君たちはまたインスマスを繰り返そうとしてるみたいだねぇ。結末は知っているはずだよぉ」
かつて深きものに支配されていた街、インスマス。それをまた再建しようとしている。もちろん同じ場所で同じ事をやらかそうという訳じゃないはず。なら、今度はどこでやる? そんなの決まってる、この街だ。
「オーベッド・マーシュは新しい『共有地』として、ミクロネシアを選んだそうです。そこで島を一つ占拠する計画を立てているようですが、そのために莫大な資金と政治力が必要になっていると……」
あぁ、ミクロネシアね。この街じゃないんだ……。良かった、口に出さなくて。
「オーベッド・マーシュの野心に誰もが賛同している訳じゃないんです。でも私たちは少なからず迫害を受けてきました。その恨みというか、屈辱をはらすという意味でインスマスの再建に情熱を燃やす深きものも多いんです」
「アンタはどうなの?」
アタシの質問にケイトリンは顔を伏せた。そして少しの沈黙のあと、ぽつりと漏らした。
「分かりません……。私も深きものが自由に生きられる街を作れるのなら、それに協力したいと思っていました。でも、彼らがやろうとしている事と、私が夢見た世界が違う事くらいは分かっています」
「昔、オーベッドやダゴン秘密教団のみんなと袂を分かった時の僕と同じだねぇ。まあ、僕もいまだに当時の自分の判断が正しかったのか、分からないけどねぇ」
お父ちゃんはしんみりしながらリンゴジュースを飲んだ。
「でもさ、そのお父ちゃんの友達とかは結局、アメリカからボコられたんでしょ? それにそのインスマスでも、街をメチャクチャにした挙げ句、街の人間をボコってたんでしょ? そんな連中と縁を切った事が間違ってると思わないけどね」
「だけどねぇ、僕は彼らを止めようともしなかったんだよぉ。ただ逃げ出しただけなんだぁ。なにか出来たかも知れない、今でもそんな思いが胸に残ってるんだよぉ」
気が付けばサキも優子も静かにお父ちゃんの話を聞いていた。前半部分をまったく聞いていないんだから、話を理解しているとは思えないけど。
お父ちゃんの後悔。そして、今のダゴン秘密教団を放置した結果を予想する。またきっとお父ちゃんは後悔するんだろう。もちろんそれ以前に、アタシたちがヤツらを放置したと言っても、ヤツらがアタシたちに手を出さないとは限らない。
「すみません。少しいいですか?」
サキが控えめに片手をあげながら、おずおずと話に入ってきた。
「結局、戦うか、逃げるか、の二択なんですよね?」
なにこのバーサーカー。マジで怖い。なんで普通に戦うなんて選択肢が出てくんのさ。
「逃げるって言いましたけど、どうやって逃げるんです? お店もたたんで、千華も学校を辞めちゃうんですか? これまでの生活を全部棄てて、どこか遠くへ行っちゃうんですか?」
あぁ、この娘さん。マジで容赦ねえな。アタシはそこに触れるのが怖かった。サキが言った通り、逃げるっていうのは全部棄てるって事。それはボンヤリと分かってた。ただ考えないようにしてただけ。
このお店を棄ててどこに行くの? せっかく仲良くなったサキと離れて、アタシはどこで暮らすの? バカだけどずっとアタシと仲良くしてくれた優子ともう会えなくなるの? そんな事してまでなんで逃げなきゃいけないの?
そしてなにより、たとえすべてを棄てたって、お父ちゃんは後悔し続ける。もしかしたらアタシも後悔し続ける人生を送るのかも知れない。
あぁ、そうだ。最初から選択肢なんてない。お父ちゃんがかつて選んだ選択肢の結果、また同じ選択肢が目の前に現れた。逃げてもダメ。同じ事の繰り返し。
まあ、戦うかどうかは別として。逃げるだけではなんにもならない。止めなきゃいけない。どちらにせよ、ヤツらだってアタシたちを放置はしないだろう。
深く息を吸い込んで、アタシは宣言した。
「アタシたちのダゴン秘密教団を作ろう」
オーベッド・マーシュとやらが何者だか知らないけど、アタシだって深きものだ。アタシたちがどう生きていくのかなんて、アタシたちで決める。
ヤツらには従わない。その意思表示に、あえてヤツらに当てつけのように同じ名前の組織を立ち上げる。
「ちょっと待ってください。ダゴン秘密教団を作ろうって、今までは無かったんですか? 確か初めて会った時、『アタシはダゴン秘密教団の女幹部』とか言っていたような気がするんですけど……」
「そんな昔の事は忘れた!」
「あぁ、あれねー。あれは千華の設定みたいなもんだから、気にしなくていいよ。千華って思いつきで適当な事言ってるけど、大体ウケ狙いだから」
「いらん事言うな!」
「でもねぇ、千華。今回はみんな無事に済んだけど、次はどうなるか分からないよぉ。まずは話し合いから始めないとぉ」
「シャラップ! 話し合いで済む相手ならアタシたちを拉致ったりしないよ!」
「まあ、そうだけどぉ。ただ今の英語の発音には少し問題あるねぇ。もっと、こう……」
英語の発音について語り始めたお父ちゃんをガン無視。なんでこう、イチイチ脱線するかな。いや、今のはアタシも悪いけどさ。
「はい、はーい。じゃあ、私も入るね。その大根秘密教団」
優子、お前話聞いてなかったろ。
「そうだ、千華。昨日から借りっぱなしだったこれ、返すね」
サキはポケットからメリケンサックを取り出した。
「それで、お願いがあるんですけど。次は両手にはめたいので、売っているお店を教えてくれませんか」
ゴメン、次ってなに? なんで両手? て言うか、暴力に訴える前提で話すのはやめておこうよ。
サキにツッコみを入れつつ、こめかみを指で押さえる。アタシはわざとらしいしかめっ面をしながら、アタシを支えてくれる友達を見つめた。大丈夫。アタシたちは逃げも隠れもしない。妙な連中なんかに負けない。
アタシたちのダゴン秘密教団には教義もなにもないけれど、深きものが平穏に暮らせる世界を作りたい。それだけは間違いない。お父ちゃんが求めた理想、アタシが望んでいる未来。アタシは拳を握りしめ、静かに覚悟を決めた。