第十三話 御堂サキ「私はアメリカ人ではありません」
家からベーカリー・ダゴンまでの道程はどのくらいあったのでしょう。いくらなんでも休まず走り続けるのはやり過ぎでした。息が苦しいです。喋ろうとすると、むせて咳き込んでしまいます。
魚政さんがニコニコと笑顔で私を見ています。そしてその手にはリンゴジュース。ああ、とても助かります。とにかく喉が渇いて……、あ、自分で飲むんですか。そうですか。いえ、リンゴジュースお好きなんですね。
「あのさ、サキ。来てくれたのは嬉しいけど、本当に大丈夫なの? ほら、サキのお母さん、昨日もの凄く怒ってたみたいだし」
話しかけてくる千華に対して『ちょっと待って』のジェスチャー。とにかく呼吸を整えます。もう少しゆっくり来てもよかったかも知れません。
落ち着いて深呼吸。ずっと走り続けていたせいか、とにかく身体が熱くなっています。ようやく一息ついて、私は千華に『大丈夫、心配いらないよ』と、声をかけようとしました。その最初の『だ』を口から出したその瞬間、お店のドアが開きました。
お店のドアにつけられた鈴。喫茶店なんかにありがちな鈴が少し騒々しく響きます。普段なら気にも止めていない音ですが、この時ばかりは少し邪魔くさいと感じてしまいました。
『カランコロンカラン。カランコロンカラン』、そんな風に響き渡る鈴の音。その音と共にお店に入ってきた人は、あのケイトリン・フェアチャイルド。
無言のまま、お店に入ってきて、そのまま怯えるように店内や私たちの様子をうかがっています。
私もつい無言になってしまいました。本来なら昨日の回復魔法のお礼くらいはするべきなのでしょうが、それ以前に私たちを拉致してまで魚政さんを呼び出そうとした理由も分かっていません。
果たして彼女は話し合いに来たのか、それとも違うのか。それを見定めようと、私たちは彼女の様子をうかがいながら彼女が口を開くのを待ちました。
五分経過。
『カランコロンカラン。カランコロンカラン』 お店にお客さんがやって来ました。千華は笑顔で接客。無言で立ち尽くしている私とケイトリンさんを奇異の目で見ながらも、普通にクロワッサンとメロンパンを買っていきました。
「ありがとうございましたー」
接客を終えた千華はため息をついてまた無言。魚政さんはリンゴジュースの入ったコップを片手に無言。私も無言。そしてケイトリンさんも無言。
なんですか、これ? ガマン大会か何かですか? それそろ沈黙が苦痛になってきました。千華が無言で立ち上がり、そして焼きそばパンを手に取ってカウンターに戻りました。そして無言のまま、私にも『好きなの選べ』と促してくれたので、早速クロワッサンを。
『カランコロンカラン。カランコロンカラン』 そんな事をしていたら二人目のお客さんがやってきたようです。
「おひさー、千華ぁ。いや、ようやく集中講座の半分が終わったよー。もうね……、うわ!『アメリカ人』だ! えっと……、あの……。あっ、千華の友達なんだよね。えーと、ハロー、元気ですかー」
お店にやって来たのは千華の友達らしき女の子。肩まで届く髪、丸っこい顔。身長は魚政さんより少し高いようです。一五〇センチくらい、同年代の女子としては平均的な身長だと思います。
「あー、優子かー。何しに来たのさ? メガネ屋なら向こうだよ」
「だからメガネかけてないし!」
「いや、かけろよ、メガネ! なんなら二つくらいいっとけ!」
「意味分かんないよ!」
この子が千華の話に何度か出てきた優子さんのようです。なるほど、千華とも仲良しの明るい女の子のようです。ただなぜかケイトリンさんの事をチラチラと気にしています。今もケイトリンさんを気にしながら千華に近付いて、小さな声で尋ねています。
「ねえ、千華。あの人、『アメリカ人』だよね。大丈夫なの、怖い人じゃないのかな」
この子はアメリカ人にどんなトラウマをお持ちなのでしょうか。千華も呆れたような表情です。少し変わった子なのでしょうか。
「え? だって噂になってるよ。昨日の夕方の話。昨日の夜の間にウチの学校の生徒はみんな知っちゃったんじゃないかな」
一体なんの話でしょう。千華も眉間にしわを寄せながら優子さんの話に耳を傾けています。
「なんか昨日の夕方にさ、うどん屋のお兄さんがボッコボコにされたんだって。それをやったのが『メリケン・サキ』ってあだ名の女の人だっていうからさ」
思わずクロワッサンを吹き出してしまいそうになりました。『メリケン・サキ』? なんですか、それ。あ、千華。こっち見ないでください。なんですか、その哀れむような目は。
あきれ顔の千華が優子さんに話の続きを促します。
「ほら、メリケンって言うくらいだから、やっぱりアメリカ人なんでしょ。この人がうどん屋のお兄さん、ボッコボコにしたの? なんか入院しちゃったらしいよ。鼻の軟骨が砕けてるとかなんとか」
なんでしょう。千華の目が私を責めているように見えます。きっと気のせいでしょうけど。唐突に傷害事件の犯人にされそうになっているケイトリンさんが泣きそうな目をしながら首を横にフルフルと振っています。
その途中で私にすがるような目を向けてきましたが、とりあえず目をそらしました。気が付けば千華も同じようにケイトリンさんから目をそらしています。
そんなやりとりの最中に、優子さんは私にも目を向けました。
「あっ、こっちの人はアレでしょ。最近商店街を一緒に歩いてたっていう人でしょ。クラスの男子が噂してるらしいよ、すっげぇ美人と一緒に千華が歩いてたって」
なんでしょう。もの凄く照れてしまいます。クラスの男子という事は、新学期から同級生になる人たちでしょうか。東京で通っていた学校は女子校だった事もあって、そんな話にはまったく縁がありませんでした。
照れくさくて苦笑いを浮かべている私を千華がジト目で見ています。そして私を指差して一言。
「優子。そっちの『すっげぇ美人』がメリケン・サキね。メリケンはアメリカ人って意味じゃなくて、多分メリケンサックの略」
苦笑いのまま、硬直する私。呆然としたまま硬直する優子さん。そして小さくコクコクと首を縦に振るケイトリンさん。
ああ、アッサリとばらしてしまうんですね。いえ、もちろん嘘をつくつもりはないですよ。ただメリケン・サキって本当になんですか?
呆然としながら、何度も千華に「マジで? いや、ホントにあの人なの?」と繰り返し尋ねる優子さん。
「マジ、マジ。本当に凄かったよ。アタシのメリケンサック使ってさ、うどん屋ボッコボコ。アレはマジで可哀想だった。アタシ初めてうどん屋に同情したよ。
でもさ、一体どんな噂になってんの? その噂、詳しく聞かせてくれない?」
「うわー、凄いな-。え? ああ、噂の事? 多分千華の携帯にもメール届いてるよ。まだ見てないんだ。
あのね、昨日の夜、倉庫街で大きな火事があったらしいのよ。もう私の家の方まで聞こえてくるくらいにアチコチにサイレンが響いててさ。
それで『この騒ぎはなんだー』ってメールやらSNSでみんなやりとりしてたんだけどさ。その内に男子が私たちのグループとは違うグループから情報引っ張ってきたのよ。
火事と関係あるか分からないけど、住宅街にパトカーが来て大騒ぎになったとか、うどん屋のお兄さんがボコられて入院したとかさ」
『倉庫街で大きな火事』という言葉を聞いた時、私と千華はケイトリンさんに視線を向けました。ケイトリンさんはうつむくだけ。まだなにも話そうとはしません。
いや、もうそれはどうでもいいです。それでメリケン・サキってどういう事ですか?
「ほら、うどん屋のお兄さんって、もう卒業しちゃったけど私たちの学校の先輩でしょ。だから火事とかよりも、みんなそっちに話がいっちゃってさ。
うどん屋のお兄さんが倉庫街に女の子を連れ込んだら、返り討ちにあったとかって話でさ。その女の子がサキって呼ばれてたって話が出てきたの。それで、色んな人が噂してる内に、その女の子の事を『メリケン・サキ』って呼び始めてたんだよね。
でもメリケンサックねー。いや、あんなの使って人殴ったら死んじゃうんじゃない?」
今の話を冷静に分析しましょう。メリケンサックを使っているから、メリケン・サキ。それは分かりました。でも、なぜメリケンサックを使った事を知っているのでしょう。なぜサキという名前が出てきたのでしょう。それを知っていて、なおかつその日の内にSNSなんて出来る人は限られています。
あの時、うどん屋さんと一緒にいた二人。無傷のまま、うどん屋さんを連れて帰ったあの二人のどちらか。うん、多分間違いない。
あの時、千華は何度も私の名前を呼んでいました。私の名前を知っていても不思議ではありません。
よし、今度見かけたら殴ろう。どちらか分からないから二人とも殴ろう。
「サキ! 今、絶対ろくでもない事考えてたでしょ! ダメだよ、ホントに! 昨日だった本当ならサキが警察に捕まってもおかしくなかったんだからね。いや、まだ捕まらないって決まった訳でもないし」
言われてみればそうでした。うどん屋さんが入院した上に、それが暴行を受けた結果だと噂になっている以上、警察だって動くはずです。なんか不安になってきました。
「それは大丈夫だよぉ。昨日の夜に警察から電話があってねぇ、一応昨日の事件について事情聴取させて欲しいって電話だったんだけど、先生が関わってるみたいだから警察はあまりやる気がないみたいだよぉ」
「なになに、先生って豹紋葛市長でしょ? もしかして私の知らない間に、もの凄い大事件でも起きてたの? 言ってよ、千華ぁ。何があったの、最近商店街を徘徊してるカエル男とかも関係あるの?」
優子さんは目をキラキラと輝かせて千華に詰め寄っています。噂好きの健全な女子中学生ですね。話し始めると止まらないタイプのようです。
気が付けばケイトリンさんがオロオロしていました。なにかあったのでしょうか。
「あの……。すいません。そろそろ話を聞いてもらえませんか……」
「むしろさっさと話せ! アンタようやく口開いたと思ったら、なに呑気な事言ってんのさ! こっちは待ってんだよ!」
待っていたんですか? 私はケイトリンさんの事をスッカリ忘れていました。実際、お店にやって来てからずっと無言でしたし。
「ところでなんでお店の中で立ち話してたの? ケイトリンさんとメリケンさんでいいのかな? 二人とも千華の友達なんでしょ、私は茅野優子、自己紹介が遅れてゴメンね」
「そっちの金髪は友達じゃないよ。むしろ敵。で、そっちのメリケンが御堂サキ。新学期から同級生になるから仲良くしてあげて」
「すみません。メリケンってあだ名を定着させようとするのやめてください」
「え! 同級生なの? 年上かと思ったー。そうなんだー、よろしくねー」
「あの……、私、敵なんですか? 昨日、ダゴン秘密教団、クビになったんですけど……」
いよいよ話が混沌としてきました。いまだに話の趣旨が定まりません。優子さんとケイトリンさんはまるで違う話をしています。かたやごく普通の女子中学生。かたや深きもの。
優子さんは噂話や自己紹介に近い世間話で盛り上がろうとしていますが、ケイトリンさんが話そうとしている事は明らかに常軌を逸した世界の話です。と言うか、クビになったんですか。
この二人、千華の言葉を借りるなら『ギャップがえげつない』です。まとまるモノもまとまりません。
「あー、やってられない! いやマジで。なんか話進まないなぁって思ってたけど、本当に酷い。とりあえず整理しよ! まず優子、オマエは黙れ!」
「酷い!」
「そんでケイトリン。オマエは全部説明しろ! とにかく知ってる事を全部話せ!
じゃあ場所変えるよ、店の中で立ち話続けられると営業妨害だから。適当に好きなパン持ってけ! んでアタシの部屋に行くぞ!」
うーん。やっぱり粗暴なフリしてるけど、しっかり仕切るなぁ。私はお財布を取り出して今までの分も含めてお金を払おうとしたら、笑顔の魚政さんに止められました。
「いいよぉ、迷惑かけてるしねぇ。ウチのパンでよかったらいくらでも食べてよぉ」
「そうそう、実は私も千華の家のパンにお金払った事ないもん」
このお店、ちゃんとやっていけてるのでしょうか……。なんかとても心配になります。
「じゃあ、アタシの部屋行くよ。とにかく話をスッキリさせないとね」
一番小さな千華が先頭に立ってトコトコとお店の奥へと入っていきます。それについていく私たち。魚政さんはお店のドアに鍵をかけ、『休憩中です、ゴメンね』と書かれたプレートをドアの内側にぶら下げていました。そしてベッタン、ベッタンと飛び跳ねるような独特な歩き方で私のあとについてきます。またお店は閉めてしまったようです。
本当にこのお店、やっていけてるのでしょうか……。




