13 EX リベルタの居ない時 4
「これと、そちらもいただけますか」
「いいけど、嬢ちゃんパーティーでもするんか?」
「いえ、お弁当を作ろうかと」
「どんだけ大食らいな奴がいるんだよ」
イングリットはクローディアと別れて、護衛の御庭番衆を2人引き連れて市場まで来ていた。
メイド服を着た美女に、鎧甲冑を着込んだ護衛が2人。
店先の店主たちはもちろん、買い物に来た人たちもその組み合わせに目が奪われる。
どこかの令嬢かと噂をする主婦がいる。
しかし、その予想は、自ら野菜を手に取り鋭く品定めをする姿によって否定される。
どこかの屋敷に仕えるメイドかと予想する店主がいる。
しかし、そのメイドに、完全装備の東方大陸拵えの侍が2人も護衛に付くものか。
「いえ、大勢の方に食べていただくだけです」
「そうかい。まぁ、俺としてはこれで店じまいできて嬉しいけどよ」
「代金はこちらで」
「・・・・・確かに。また来てくれよ」
「次も良き品を仕入れてくださるなら、来るかもしれませんね」
「言うねぇ。あんたの目に適う良い野菜を仕入れておくぜ」
野菜売りの店主は、その無表情ながらも整った綺麗な顔に気圧され、最初はビクビクと対応していた。だが、じっくりと野菜を吟味するイングリットの真剣な表情を見て、人間味のある一面もあるのだと理解し、普通に商売を再開する。
下手な貴族家の使用人よりも売り物の野菜の扱いが丁寧で、なおかつ値切ったり難癖を付けたりもしない。
これだけでも商人たちからすれば良客である。
おまけに大量買い。
これだけで売り上げとしては万々歳だ。
その細腕のどこにそんな力があるのかと、驚愕の視線を浴びながらまとめて野菜を持ち上げるイングリット。
一種のパフォーマンスかと思われたかもしれないが、ステータスが人並み外れて高いゆえに当然のようにこなせてしまうのだ。
「お持ちしましょうか?」
「いえ、護衛の方々の腕を塞ぐわけにもいきませんので。周囲の警戒の方をよろしくお願いいたします」
護衛対象の女性が大量の食材を運び、護衛の自分が手ぶらという光景に耐えきれなかった御庭番衆が申し出るが、イングリットは「護衛」という役割を阻害することを望まない。
荷物自体も嵩張って持ちにくいだけで、重くはない。
路地裏でマジックバッグに入れるまでの辛抱と割り切り、そのまま次の食材を求めて歩き出そうとした時だ。
木陰から飛び出す、小さな影。
それはみすぼらしいマントに身を包みフードを被り、顔は見えぬが、動き自体は素早い。
まっすぐと肩に掛けられたイングリットの鞄めがけて伸ばされる手。
周囲の目線が大荷物を持つイングリットの手元に集中したタイミングで行われた、手慣れた犯行。
普通の人間であれば、そのまま鞄をひったくられ、犯人には人混みに紛れ込まれて逃げ延びさせていただろう。
「ぐはっ!?」
「申し訳ありません。それは大事な方よりお預かりした物です。触れられるのはご遠慮願います」
しかし、狙った相手が悪すぎた。
大金を持ち歩いているのを見られていたからか、そのワンチャンスにかけて飛び出したひったくり犯は、目にも留まらぬ速さの足払いで体勢を崩され、容赦なく背中を踏みつけられて身動きを封じられた。
抱え込んでいる野菜の重量も加算され、細身のイングリットからは想像できない重圧が犯人を襲う。
いかなる理由があろうとも、盗人には容赦しない。
ましてや、イングリットにとって最愛のリベルタから預けられた鞄を盗もうなど、万死に値する。
盗人の動きに気づき、イングリットを護ろうとした御庭番衆たちを目線で制し、自力で鉄槌を下したのもそれが理由だ。
もう一つの理由は、御庭番衆が刀に手をかけ、この犯人の腕を切り飛ばしそうだったのを防ぐため。
さすがに白昼に人の多い市場で血を見せるのは良くないというイングリットの判断である。
「がぁっ!」
「動かない方が身のためです。手加減を間違えれば、そのままあなたの肩を砕くことも可能ですので」
かといって容赦はしない。逃げようとする盗人を、しっかりと足で踏みつける。
足元で足掻く盗賊の肩に体重をかければ、鋭い痛みが走ったようで、小さな体は悶え苦しむ。
一部の界隈であれば『ご褒美です!』と言い出しかねない光景だが、当事者たちにそんな感情は微塵もない。
「捕縛を」
「はっ!」
護衛としての役目を奪われていた御庭番衆は、イングリットの指示に従い、道具袋に入っていた止血帯で瞬く間に盗人を縛り上げていく。
「くそっ!」
「護衛の我らが見えていなかったのか。まったく、イングリット殿を狙うとは命知らずな盗人だな」
フードを捲られ顕わになったのは、くすんだ金髪を雑に切り揃えた中性的な顔立ち。
歯噛みしながら睨みつける顔は、強い恨みを湛えているようにも見える。
「小人族ですか・・・・・」
特徴的な、三角形に尖りつつもエルフほどは長くはない耳。
それはイングリットが指摘した小人族特有のものだ。
「一応お聞きしますが、私はお会いしたことはありますか?」
「・・・・・」
イングリットにとっては初見の相手。信頼を家訓とするグリュレ家で教育を受けた彼女の記憶力は常人以上だ。
その記憶を掘り起こしても、この少年とも少女ともつかぬ人物と会った記憶はない。
イングリットの問いに対し、犯人は睨みつけるだけで返答しない。
困ったことだと判断したイングリットだが、身内以外に感情を見せることのない彼女は、無表情のまま決断を下す。
「では、そのまま騎士団の詰め所に突き出します。盗人の刑罰は、盗もうとした腕の切断です。その傷跡を見て一生を後悔してください」
リベルタと一緒にいると忘れがちだが、イングリットもまた貴族だ。
罪人が弁明もしないというのであれば、淡々と事務的に裁くことに躊躇いはない。
刑罰の内容を聞いて、ビクッとして目を見開く盗人。
「・・・・・お前なんか、知らねぇよ」
腕を切断されるのは嫌なのか、掠れた声でしっかりと返事をした。
不承不承といった態度だが、そこに嘘はないとイングリットは判断した。
「そうですか。では、なぜ私を狙ったのでしょうか? 見ての通り護衛もいます。金銭が目的ならば、私を狙うのは悪手に見えますが」
嘘は言っていないが、まだ隠し事があると判断する。
リベルタには決して見せない、冷酷な貴族としての振る舞い。
野次馬に囲まれ、何事かと見守られる中での公開尋問。
「・・・・・」
「少々もったいないですが、時間が惜しいので仕方ありません」
「?」
普通に問うても、当然すぐには答えない。
イングリットを狙った。誰かが指示を出した。
依頼者がいて、その依頼を受けたのは明白。
不安の種を放置するわけにはいかないイングリットは、野菜の入った袋を足元に置き、そこからリンゴを一つ取り出した。
「はっ! 俺をリンゴ一つで買収しようってか!? 馬鹿にすんな!」
「いえ、このリンゴは」
そのまましゃがみ込み、そっと盗人の前に差し出した。
それはまるで食べろと言わんばかりの熟した果実。
馬鹿にされたと思った盗人は怒りをぶつけたが、イングリットはその怒りを意に介さず、淡々と、人差し指と中指でリンゴを挟んだ。
「こう使います」
「は?」
直後、見せつけたのは指でリンゴを「切断」するという荒業だ。
握りつぶすのではない。レベルの高い冒険者なら力任せの破壊は可能だろう。
しかし、鋭利な刃物で断たれたかのように、リンゴが上下真っ二つに分かれるという異常な光景に、周囲の目は点になる。
「な、何かのスキルだろ!! そんな程度の脅しで――」
「いえ、素の力です」
異様なものを見た時、人間は思考を都合の良い方向へ持っていきたがる。
理解できる範疇の事象に置き換え、納得しようとする。
未知は恐怖に直結し、不可解なものを本能的に忌避するからだ。
今、盗人の目に映るイングリットは、果たして何に見えているか。
「り、リンゴくらい俺だって……」
「では、このようなこともできます」
強がり、必死に恐怖を振り払おうとする盗人の前で、イングリットは人差し指をスッと持ち上げる。
観衆も、盗人も、吸い寄せられるようにその指を追った。
爪も綺麗に整えられた、リンゴの果汁が滴る艶やかな指。
先ほどリンゴを断ち割ったとは思えない、たおやかな女性の指だ。
その指で次は何をするのか。期待と不安が入り混じった視線が一点に集まる。
そして、指先が流れるような動作で振り下ろされた。
「さ、刺さった・・・・・」
「石畳だぞ、おい」
イングリットの人差し指は、石畳に穴を開けていた。
あまりにも容易く。濡れた紙を貫くかのように。
まるで最初からそこに穴があったかのように、彼女の指は硬い石に突き刺さっていた。
「た、たまたまそこに穴が――」
「では次は、貴方の体で試してみますか?」
盗人は現実を受け入れたくない。そんなことがあり得るはずがない。
自分の常識の中に、こんな真似ができる女は存在しない。
そう思っているはずなのに。
「ひっ!?」
無表情に見下ろすメイド――イングリットの放つ威圧感に、盗人は全身の毛穴から汗を噴出させた。
失禁しなかったのは、賊としての矜持か、あるいはあまりの恐怖に体が硬直したからか。
「今から、三度だけ質問をします。沈黙を選んでいいのは二度までです。三度沈黙を選べば……どうなるか、わかりますね?」
「・・・・・」
イングリットにとって、この冷酷な貴族としての姿はリベルタたちには見せたくないものだった。
優しい仲間、自分を大事にしてくれる人々。
彼らがここに居合わせないことに、彼女は心底安堵していた。
自分たちに敵意を向けてくる相手に対して、イングリットに容赦という選択肢はない。
殺しはしないが、殺されると錯覚させるほど冷ややかな目を盗人に向ける。
「っ!?」
「一度目の沈黙です。同じ質問をします。わかりますか?」
押さえつけられた盗人の眼前。再び指を突き刺し、石畳に新たな穴を穿つ。
今度こそ現実を叩きつける。
その場所に穴などなかった。
イングリットはそれを見せつけるように、ゆっくりと指を引き抜いた。
「っ……!」
その行動に、ようやく「質問」の意味を理解した盗人は、なりふり構わず頷いた。
石畳に風穴を開けるような攻撃を、もし額に打ち込まれたらどうなるか。
想像した盗人の顔は土気色に変わる。
一思いに殺してくれるならまだマシだ。死ねない程度の絶望を刻まれるとしたら。
そんな想像が、脳裏を埋め尽くす。
当然、イングリットに公衆の面前でそんな残酷なことをするつもりはない。
しかし、その無表情と異常な実力が、周囲に最悪の結末を連想させていた。
「では、質問をします。お名前は?」
「・・・・・ギン」
「はい。ではギン様、なぜ私を狙ったのですか?」
「やるはずがない」という常識が、「やるかもしれない」という予感に塗り潰されていく。
「お答え願います」
「・・・・・い、依頼だ。お前の鞄を盗んでこいって、依頼を受けたんだ!」
嫌な予感は不安を掻き立て、理性を崩し、天秤を揺らす。
口にしてはならない雇用主の情報すら、命の危機という言い訳を得て、滑らかになった舌が素直に吐き出していく。
「そうですか。では――」
しかし、どれほど滑らかに語られようと、それが嘘であれば意味はない。
「それは、二度目の沈黙と同じです。次は……当てますよ」
イングリットは、虚飾と嘘に塗れた貴族社会で育った娘だ。
場当たり的な盗人の嘘を見抜くなど、彼女にとっては赤子の手をひねるより容易いことだった。




