第十七話 天狗現る
夜の帳が降りてきて、辺りは不気味なほど静寂に包まれている。フクロウや、何かよく判らない生き物の声が遠くから聞こえてきて、心許ない気持ちが増幅させられる。都会暮らしが長い勇次には殊更不気味だった。
全員で何となく話し合いをして、このまま登山をするのは危険だと言うことになり、馬車の中で夜を明かすことにしたが、宿泊をすることは想定外だったため、食材は当然持ってなく、何処かで調達する必要があった。
丁度馬車を停めた近くに川が流れており、そこで魚を捕まえて今宵の夕餉にしようと、かすみと勇次、海道が川岸に来ていた。
「釣り竿もないのに、どうやって魚を捕るんだい?」
勇次が手ぶらで川まで来たことで少し訝しげな顔をする。
「かすみが手掴みで捕るのです!」かすみは少しはしゃいでいる。
「それは本気で言ってるのか?」
勇次が呆れたと言わんばかりの顔でかすみに訊くと、「本当は出来ないのです。ごめんなさい」と悄気げる。
海道が「アハハハ」と高笑いをして、かすみの頭を撫で「拙僧にお任せあれ」と着物の袖を捲くりながら川に向かっていく。
「何とか出来んのかい?」
勇次が海道に声を掛けると「そこで見て居って下さい」と海道は川面に向かって両手を合わせて目を閉じると、次第に海道の身体が紫色のオーラに包まれ、しばらくその状態を保った後、目をカッと見開いて大きな声で詠唱した。
「雷鳴波動撃!」
すると、海道の回りに漂っていたオーラが次第に集まって川面の上を漂う雲となり、その下に小さく激しい落雷を何度も起こした!
――バリバリィィ!
その落雷を受け、川の中で泳いでいた魚や川エビなどが感電して水面に次々と浮かんでくる。
「おォ……こりゃすげぇ!」勇次が感嘆する。
「お魚いっぱいですね!」かすみが喜んで川に入り、次々と魚を捕まえる。
「存外、多くの獲物が手に入りましたな」と海道も笑顔で満足そうにした。
その夜、勇次たちは何者かの夜襲を警戒して居たが、特に騒ぎになることは何も起きなかった。
――翌日。
額叡山の山道は野梅寺へ続く参道がある程度整備されてたらしく、比較的歩きやすい山道になっていた。但しそれも以前は整備されてた、といった趣で今は雑草がそこかしこに群生して、長い間人が足を踏み入れた形跡はなかった。
傷み切った鳥居を幾つか潜り、朽ち落ちそうな冠木門に到達すると、その扁額に野梅寺の文字が辛うじて読める。
「そろそろのようじゃな……」道玄が周囲を若干警戒し始める。
「左様ですな……」海道も何やら不穏なものを感じているようだった。
「勇ちゃん、勇ちゃん……」かすみは勇次にぴったりと引っ付いてくる。
周囲を警戒しながら更に歩みを進めて行くと、それまで鬱蒼と生い茂っていた樹々で覆われていた薄気味悪い山道が少し開け、欠けた石柱が立ち並び、寺へ続くでこぼことした石畳の参道が見えてきた。
石柱をよく見ると野梅寺と刻まれているのが確認できる。
「近いな。皆、警戒せぇよ」道玄が低く厳しい声を出す。
注意深く石畳の参道を進んでいくと、大きな鳥居と階段が見えてくる。鳥居の上には烏が十羽程集っていて、「カァーカァー」と不気味な声で鳴いている。
鳥居の扁額には野梅寺としっかりと刻み込まれており、五十段ほどの階段を上がるとそこが野梅寺のようだった。
「ここかい……」勇次が階段を見上げて呟く。
すると突然、鳥居の上に居た烏が勇次たちを目掛けて襲ってきた。
――バサバサッ!
「うわ、なんだこりゃ!」勇次が両手を振って烏を追い払おうとする。
――オン・アロリキャ・ソワカ……。
道玄が詠唱して投げた人形の紙からブワっと煙が立ち上り、大きな鬼が現れると金棒をブンブンと振り回し次々と烏を打ち落としていく。
「おォ、すげぇな、鬼! やっちまぇ!」
鬼に落とされた烏は次々と消滅していく。
「ありゃ、本物の烏じゃねぇのかい」と勇次が見ていると、残っていた烏が一箇所に集まり、そこからブワっと煙が立ち上る。すると、その吹き上がる煙の中から何かが姿を現した。
虚無僧の様な出で立ちに、一本歯下駄を履き、手には八手の羽団扇、赤ら顔に長い鼻……。
「どっかで見たことあるようなぁ……。何だっけなぁ、アレ……」勇次がそう言うと、「出おったな……。天狗め」と道玄が厳しい顔をする。
「おぉ、そうだ! 天狗だ、天狗。実物を見んのは初めてだ。居るんだねぇ、本当に」
「勇次殿、天狗は高位階の陰陽師で御座る。呪術を極めるために人であることを捨てた陰陽師の成れの果て。かなりの強敵で御座る」
海道は慎重に相手の出方を見るようにじっと天狗を見据えたまま勇次に話した。
「そんなに強ぇのかい?」勇次は天狗をギッと睨みつける。
「呪術の強さは四品並ぞ、勇次。侮って居ると足元を掬われる。用心せよ」
道玄もいつもと様子が少し違い、警戒感を強めている。
突然、天狗が八手の羽団扇をブンと振ると、次々と煙が立上り、その度毎に煙の中から鬼が現れてくる。
「一体、何匹鬼を出しやがるんだ!」
気がつくと勇次たちは数十匹の鬼に取り囲まれていた。
――オン・アロリキャ・ソワカ……。
それに対抗して道玄も次々と式神を呼び出して応戦する。その所為で勇次たちの回りは何匹もの鬼が戦う宛ら地獄の様相となった。
「勇ちゃん! 何だか怖いです」
かすみは周囲の阿鼻叫喚の様を見てすっかり怯えている。
「ちょいと数が多いのぅ……」
道玄も何処から切り崩していけばいいのか、困惑している様子。
「拙僧もいきます!」海道は呪術を唱え、鬼を攻撃していく。
「かすみはわしの後ろに来るのじゃ」道玄はかすみを守るため呪術を詠唱する。
「――我は道玄。字は昇竜。この地に揺蕩う全ての御霊よ。須らく我渇求を知り我に付従う者を鋼の如き殻となりてその身を守れ――」
周囲の雑然とした雰囲気に勇次は何故か妙に腹が立っていた。それはいつものように激昂する訳ではなく、静かに血が滾る様な感情。
勇次は昔から回りが騒がしくなるのが嫌いだった。祭りのように皆で挙って楽しげに騒ぐのは好きだったが、出入りのように命を張った戦いの時は寧ろ冷静になり、落ち着いて熱く静かに人を殺めていく。だから血生臭さい極道の世界で修羅場を幾つも潜り抜けて来れたし、それこそが勇次の天賦の才でもあった。
バタバタとしている道玄や海道を横目に見ながら、ゆっくりと懐からドスを取り出し、争っている鬼たちを鼻にも掛けず、天狗だけを目指して歩いていく。
その勇次を見た鬼が駆け寄ってきて金棒を振り下ろす。討伐者はその金棒を片手で受け止めると、そのまま大きな金棒を抱きつくようにしてグッと引き寄せ、引っ張られた鬼がバランスを崩して倒れ込んでくると、その顔面に拳を叩き込んだ。
顔を潰された鬼は「グォォォォ……」と断末魔を上げて消滅する。
勇次はそのまま何もなかったかの様に天狗の元へ向かう。
天狗はその殺気に若干怯みつつも、八手の羽団扇をブンっと振ると、次は突風が巻き起こり勇次に向かってかまいたちとなった無数の真空刃が襲いかかった。
「勇ちゃん!」
まともに勇次に襲いかかった真空刃の数の余りの多さに驚いてかすみが声を出す。
しかし、勇次はその攻撃を避けることなく、寧ろ全く物ともせずに、鋭く殺気に満ちた目を向けて小首を傾げ、口角を上げてそのまま天狗に向かっていく。
「この討伐者……。ふ、不死身か!」
天狗はすっかり恐れ慄き、一歩、また一歩と後ずさりを始める。
討伐者は天狗の目と鼻の先まで近寄ると、その胸元をぐっと掴み上げ、天狗の眉間に頭突きをした。呪で保護されていない勇次の額からたらりと流血をするが、それに一切構うこと無く掴んだ天狗をそのまま大木にガツンと押し付けた。
「なァ、天狗のオッサン。白虎ってぇの知ってるかい?」
「び、白虎様じゃと……」
「おうよ。何でもいいから知ってること教えろや」
そう言いながら、大木に何度も天狗の後頭部を打ち付ける。
――グァッ、グァッ……。
「オラ、さっさと言わねぇと、死んじまうぞ? あ? オラッ」
勇次は一向にその手を緩めること無く、寧ろ更に力を加えて木に天狗を打ち付けていく。
「グェェェ、判った……。ワシが知ってることを教える、や、ヤメてくれ……」
「さっさとそう言やいいんだよ、カスが。でェ、何知ってんだ?」
「び、白虎様は、一つ所には留まって居られん。い、今は、九州に御出でになる……」
「九州だァ? そこで何やってんだ?」
「し、知らぬ。ワシはこの地で討伐者を討ち果たせと申し付けられただけじゃ……。白虎様の為さることなど知る由もない」
「そうかい。まァ、少しは足取りが掴めたからいいか……。じゃ、往生しな」
「ヒ、ヒェェェェェ……」
勇次は冷たい目をして、天狗の腹にグッとドスを突き刺し、手首をグリッと捻った。
――ウギャァァァァァァァ……。
天狗は断末魔を上げて力尽きた。
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