エピローグ
風が心地よく吹き抜ける秋の午後、母校である赤音学園の大講堂は、温かな熱気と華やかな歓声に包まれていた。
今日は、律と良人の結婚式だ。
十五年の眠りから目を覚まし、長いリハビリを乗り越えた良人と、彼を信じて待ち続けた律。二人の門出を祝うため、講堂には溢れんばかりの参列者が集まっていた。
その数、およそ三百人。律が教師になってからこれまで受け持ってきた、新旧の教え子たちだ。
「ちぇー、俺、就職したらりっちゃんせんせーにプロポーズしようと思ってたのになー」
受付の芳名帳にサインをしながら、スーツを着こなした青年たちが本気で悔しそうにぼやいている。律が初めて担任を持った、最初のクラスの教え子たちだ。
「無駄無駄! 先生の心には最初からあの人しかいなかったんだから!」
「分かってるけどさー! あーあ、失恋だ失恋!」
口々に軽口を叩きながらも、どこか誇らしげな笑顔で会場へと入っていく彼ら。
一方で、現役の生徒たちも負けじと大声を張り上げていた。
「りっちゃんせんせー! おめでとうございます――っ!」
制服姿の生徒たちが、両手を振って花道から身を乗り出す。
「先生、今日の板書……じゃなくて、ウエディングドレス姿、超きれいです!」
「文字は相変わらず汚いけど、世界一かわいいよー!」
「こらっ、こんな日にまで板書の心配をしないの!」
ウエディングドレスの裾を少し持ち上げながら、律は赤くなった顔で照れくさそうに笑った。その横顔は、今日この日を迎えることができた幸せに満ちあふれている。
律の隣には、白のタキシードに身を包んだ良人が立っていた。
少し痩せてはいるものの、その目はかつてと変わらない優しさのままだ。
「……すごい人気だね、律先生」
良人が律の顔を覗き込み、どこか誇らしそうに、けれど少しだけ悪戯っぽく微笑んだ。
「当たり前じゃない。私がどんだけ生徒たちに愛されてると思ってるの?」
「うん。生徒たちだけじゃなくて、僕にも一番愛されてるけどね」
「――っ、もう、良人ったら……!」
不意打ちの言葉に顔を真っ赤にする律を見て、会場中から「おー!」「良人さんナイス!」と温かい歓声と拍手が巻き起こった。
長かった十五年。止まっていた時が動き出し、二人が紡いできた想いは、今こうして大勢の人々の笑顔に祝福されている。
参列者たちの大きな拍手と歓声が一段落すると、講堂内には柔らかなパイプオルガンの音色が静かに響き始めた。
舞台中央へと進み出たふたり。陽光がステンドグラスを通り抜け、律の純白のドレスと良人のタキシードをあたたかく包み込んでいく。
「それでは、誓いのキスを」
司式者の声とともに、ふたりは向き合った。
少しだけ緊張した面持ちの良人が、律の頬へと静かに手を伸ばす。律はどこか照れくさそうに、けれど世界で一番幸せな笑みを浮かべていた。
「律……本当に、待たせてごめんね」
風にそよぐような良人の声。
あの日、事故の直前に耳元で聞こえた幼い声とも、夢の中で追いかけ続けた声とも違う――自分と同じ歳月を歩み直した、現在の良人の優しく愛おしい声だ。
「ううん……ううんっ。ずっと、ずっと待ってたよ」
律の瞳からぽろりと大粒の涙がこぼれ落ちる。けれど、その涙はもう後悔や哀しみのものではなかった。
良人はそっと両手で律の頬を包み込むと、涙を愛おしむように指先で拭い、ゆっくりと顔を近づける。
そしてふたりの唇が、静かに重ね合わされる。
一瞬の静寂の後、講堂全体を揺るがすような盛大な拍手と教え子たちの歓声が湧き起こった。
「おめでとう――――っ!!」
「りっちゃん先生、お幸せに――っ!!」
花吹雪が舞う中、離れた良人の瞳には、少年の頃と変わらないけどどこか大人びた優しさがあった。
「これからも、ずっと一緒にいようね。僕の、お嫁さん」
「……うんっ! ずっと、一緒にいようね!」
握りしめた互いの左手の薬指には、あの日律が送ったあの指輪が、ふたりを繋ぐ確かな誓いとして輝かしく光を放っていた。




