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伝承の怪物たち  作者: 右顧左眄
絶海の巨人
7/10

賢人の薬

セルゲイは膝をつく男、ヤニスから事のいきさつを聴いた。


「数年前のアテンの奇病じゃな。あれ以降、発症例が途絶えておったため、てっきり終息したものと思っておったが……」

 話を聴き終えたニコラウス教授が、いつになく深刻な表情で呟く。


 アテン含む都市国家周辺を襲った、謎の奇病。

今から五年ほど前に大流行し、このアテンだけでも死者は2千人にも及んだという。

それほどの症例がありながら、夏場に流行すること以外に原因はまったく不明であった。

一度かかれば高い確率で死に至るため、当時は帝国でも戦々恐々としていた記憶がある。

(……想像以上に厄介な事に首を突っ込んでしまったな)


 セルゲイは内心で己の「放っておけない性分」を少しだけ後悔した。


「あの夜は本当にすまなかった。頼む、どうかマリアを助けてくれ……!」

セルゲイの腕にしがみつき懇願する男。

(まあ、知ってしまった以上、放っておくわけにもいかんか)

セルゲイは小さく溜息をつき、苦笑を浮かべた。


「わかった。うまくいく保証はできないが、やれるだけの事はやろう」


「うむ、この男に任せておけ。大抵のことは何とかしてしまう男じゃからの」

セルゲイの言葉に被せるように、教授が妙に楽観的な声を上げる。


 こうして、巨人捜索の前に一仕事することになったセルゲイは、ヤニスの姪・マリアの容態を確認するため、彼らが身を寄せる宿へと向かった。

高熱で衰弱した子供を連れてくるなど無茶をすると思ったが。

ヤニスの過酷な身の上を思えば、それしか道がなかったことも理解できた。


 薄暗い宿の一室に入ると、そこには荒い呼吸を繰り返す小さな少女と、悲痛な表情で看病を続ける、あの酒場の老人の姿があった。

 老人はセルゲイを見るや、恐怖に顔を引き攣らせ、その場に平伏した。


「あの時の旅のお方とお見受けする。倅の無礼、決して許されることとは思っておりませぬ! ですが、どうか、どうか命だけは……!倅の代わりに、この皴首一つでお許しいただきたく!どうか、どうか……!」

 何かを勘違いしたのか老人は息子の命乞いをしてくる。

必死の命乞いを始める老人に気まずさを覚えつつ、セルゲイが誤解を解こうと口を開きかけた、その時。


「落ち着け、親父。この先生方が、マリアを治すために来てくださったんだ」

 ヤニスが優しく老人を宥める。

なぜかセルゲイ達を紹介する顔が自慢げだ。


「なんと……。ああ、どうかマリアを……。この老いぼれの命はいりませぬ。どうかあの子をお助けくだされ……」

 なおも床に額を擦りつける老人。

その傍らで、ニコラウス教授はなぜか満足げな笑みを浮かべている。


困ったことに、この親子はすでに、セルゲイが万能の救世主であるかのように信じ込んでしまっているようだ。


「ご老人、顔を上げてください。完全に治せるという約束はできません。が、私も生物学者の端くれ、可能な限りの手は尽くしましょう」

 セルゲイがそう告げると、老人はセルゲイの手を両手で固く握りしめ、しきりに感謝の言葉を呟き続けた。


さっそく、横たわる少女マリアの診察に入る。

 まずは体温を確かめる。

マリアの平時の体温が分からないため、ひとまず自身の掌の感覚と比較してみる。

やはり、熱い。

子供には危険な状態だ。


 尿の検査もしてみたいが、意識がないため今回は見送る。

次いで、身体の外見的な異常を細かく観察していく。

皮膚のところどころが、黄色く変色していた。

これは五年前に大流行した奇病の発症例と一致する。


 セルゲイはその診察結果を見つめながら、ふと、故郷を思い出していた。

セルゲイの故郷である辺境近くの寒村では、時にこれと酷似した症状を発する者がいたのだ。

小動物に噛まれた際に発症し、激しい高熱や下痢を引き起こしていた。

帝国で学業に励んでいた頃から、似た症例だなと思っていた。


 そして、その病に対して村の古老が煎じた薬湯が、劇的な効果を示していた。

古老曰く、自然界には目に見えない小さな動物がいるそうだ。

そういった生き物の中には自分より大きい生き物の中で暮らすものもいるらしい。

 そして、そのような目に見えない生き物が何かの拍子に人の体内に入ると、いつもと違う環境に戸惑い暴れだすのだそうだ。

この薬湯はそう言った【外から入ってきたもの】を追い出したり、弱らせたりするものらしい。


 古老はそれだけでなく、家の中を常に清潔に保つことや、野生動物に襲われて傷を負った際には必ず綺麗な水で徹底的に洗い流すことなどを寒村の住人たちに教えていた。

(……今にして思えば、あの古老はなぜ、そんなことを知っていたんだ?)

 

 帝国にて生物学を修めたセルゲイでさえ、そんな「目に見えない動物」などという奇妙な学説は聞いたことがない。

伝統的な生活の知恵というレベルを遥かに超えている。

まるで、天啓でも得ていたかのようだ。

そもそも、あの古老は何者だったのだろうか。


 思考が現在の問題から別の深淵へと飛躍しそうになり、セルゲイは考えを止めた。

まずは目の前の課題を解決せねばならない。


「教授。症例を見る限り、これは五年前にアテンを襲った奇病で間違いありませんね」


「うむむ……そのようじゃな。あまり信じたくはなかったんじゃがの」

教授が苦々しく吐き捨てる。

当時を知る教授としても、厄災の再来は到底喜べるものではなかった。


「学長を通じて、一刻も早く議会にこの危機を知らせた方がよいかもしれん」


「なるべく早い方がいいでしょう」


「火山の件も片付いておらんのに。議会は大騒ぎになるじゃろうな」

教授がそう愚痴をこぼす。


「なるでしょうな。そこは世界最高峰の篤学者たちの英知に期待するとして……」


「――おい、先生方! 悠長な話はそこまでにしてくれ! で、マリアは良くなるのかよ!? どうなんだ!?」

 悠長な会話をしている二人に業を煮やしたヤニスが、焦燥を剥き出しにして割り込んできた。

話の腰を折られた格好だが、セルゲイは静かに、しかし残酷な事実を告げる。


「ヤニス。落ち着いて聞いてくれ。診察の結果、お前も察している通り例の奇病で間違いない。発症から今日で三日程度だったな?」


「ああ、それくらいだ……」


「回りくどいのは嫌いなので結論から伝える。今の医療では手には負えない。このままでは、おそらくもってあと一日だろう」

 セルゲイの言葉に、ヤニスはその場に崩れ落ちた。

気の毒だが、ここまで病状が進行していては、通常の手段では手の施しようがないのが現実だった。


「先生……どうか、お願いだから……助けてくれ……」

 ヤニスが大粒の涙を流しながら懇願する。

老人は、この世のすべてに絶望したような虚ろな目をしている。


セルゲイは絶望に沈む二人を見つめながら、あえて熱を帯びた声で言葉を続けた。

「……まあ待て、早まるな。私は『今のままでは』と言ったんだ。まだ、わずかに希望はある。本当に、わずかな希望だがな」


セルゲイが二人を真っ直ぐに見つめてそう答えると、ヤニスと老人は弾かれたように顔を上げた。


「ほう? どうするつもりかね、セルゲイ君」

今度は教授が興味深そうに尋ねてくる。


「教授。今のアテンの医療ではこれには太刀打ちできません。そこで、私の故郷に伝わる特別な処置を試してみたいのですが」

セルゲイは、先ほど思い出していた故郷の古老の話を教授に明かした。


「なんとも荒唐無稽な話じゃな……。その古老はいったい何を見て、その結論に達したのか」


「今となっては確かめる術もありません。ですが、これまでの対応とは全く異なる視点での処置です。試してみる価値はあるかと」


「面白い! そもそも限界が近づいておるのだ、どのみち助かる見込みがないのなら、その大博打、乗ってみようぞ」

 教授の目にも学究の徒としての火が灯る。

セルゲイは、まだ事態を飲み込めていない親子に向き直り、これから行うことを説明した。

全く試したことのない危険な処置であること。

そして、最悪の場合はマリアが死に至る可能性があることを。


 ヤニスは苦悩していた。

しくじれば、マリアを今すぐ失う。

だが、何もしなければ、明日の今頃には確実に死んでいる。

そもそも、今日出会ったばかりの男たちに最愛の姪の命運を委ねていいものだろうか?

もっと他に、高名な名医を探せば見つかるのではないか……。


 しかし、大学のロビーで声をかけられた瞬間、ヤニスの中に不思議な確信があった。

この二人こそが救世主になるという、根拠のない直感が。

どこに行っても門前払いを食らい、すべてに絶望したヤニスに唯一手を差し伸べてくれたのはこの二人だけだった。

なら、その誠意に己のすべてを賭けて応えるのが男だろう。


ヤニスは決意を固めて顔を上げると、セルゲイの目を真っ直ぐに見据えた。

「先生。何だっていい……マリアを助けてやってくれ」

 男は静かに、しかし重い頭を下げた。


 マリアに行う処置――それは、セルゲイの故郷の薬湯を飲ませるだけである。

通常、この症状は薬湯を飲ませればたちまち回復へ向かう。

しかし、今回のように肉体が限界まで衰弱している場合、薬の劇的な作用によって激しい嘔吐が引き起こされ、体力を奪われたり、嘔吐物が気道を塞いだりして最悪の結末を迎える危険性があった。


 ある程度体力がある状態での服用が望ましかったが、もう時間の猶予はない。

セルゲイは万が一の事態に備え、医学に精通している教授の弟子を一人、宿に待機させることにした。


 さっそく、薬湯の作成に着手する。

まずは材料の調達だ。

一つ目の材料は、簡単に手に入る。

セルゲイが普段から持ち歩いている、故郷の薬草だ。

村を離れて旅立つ若者に、古老は必ずこの薬草を分け与えていた。


 製法も非常に簡単で、故郷に咲く特定の白い花をこの薬草と一緒に三日三晩、白樺の葉に包んでおくだけである。

 古老はこの製法を守らせるため、「必ず薬草を一枚だけ残すように」と念を押していた。

この薬草だが、基本的になんにでも効く。

腹痛だろうが頭痛だろうが服用すればたちまちよくなる。

(……改めて考えると、これ何なんだろうな)

新たな疑問が湧きそうになったが、セルゲイは首を振って手元に集中した。


 問題は二つ目の材料だった。

古老は薬湯を作る際、この持ち歩きの薬草に、もう一種類別の野草を加えて煎じていた。

おそらく、その野草こそが病の根源を叩く肝の成分であり、それがこのアテンの地で手に入るかどうかが、マリアの命運を分けるカギだった。


 幸いにもここにはハーブ茶をこよなく愛し、もはや専門家の域に達しようとする野草老人がいる。

教授は秘蔵の薬草を開示することに抵抗を示したが、状況を考えすぐにに大人しくなった。

話の分かる人間でありがたい。


 教授の研究室に戻った二人は、部屋の奥にある秘蔵の「野草庫」へと足を踏み入れた。

民俗学の傍ら、茶の湯を極めんとする教授。

その部屋には古今東西から収集された野草が美しく分類され、箱に収められ、所狭しと並んでいる。


「ここに他人を招き入れたのは、君が初めてじゃよ……」

教授は、悲しそうにも、あるいは感慨深そうにも見える、何とも形容しがたい複雑な表情で呟いている。

(……新たなお茶の実験台にされる前に、さっさと目的の野草を見つけ出さねば)


 謎の哀愁漂う老人を放置し、セルゲイは気合を入れて野草を探し始めた。

手掛かりは数十年前の記憶の中にある、故郷で嗅いだ薬湯の匂いと、調合中にかすかに目にした野草の輪郭だけだ。


 しかし、それは意外なほどあっさりと見つかった。

棚の隅に置かれた、『未分類』と書かれた箱の中に、それは収められていた。

枝や葉脈が赤みを帯び、つやのある大きめの葉っぱ。

――間違いない。

記憶の中にある古老が煎じていた、あの野草そのものだった。


「おお、その植物とな……。その古老とやらは、もしかしたら人ではないのかもしれんな」

箱の中身を見た教授が、興味深そうに、しかしどこか奇妙な呟きを漏らした。


「どういうことです、教授? これはいったい……?」

「その植物はの。近年発見された【新大陸】から研究用として我が大学に送られてきたものなんじゃよ」

教授の口から飛び出したのは、とんでもない事実だった。


【新大陸】


 今から、十年ほど前、帝国の調査団が西の海を越えた先に新たな未知の大地を発見した。

当時の帝国の共通認識では、西の海は果てしなく続いており、その先には世界の終焉があると考えられていた。

しかし、情熱と狂気その両方を兼ね備えた帝国調査団は、最果ての海に新たな大陸を見つけ出したのである。

 そんな、ごく最近になって発見された遥か彼方の植物を、なぜ北方の寒村に隠棲する一人の老人が、十数年も前から所有し、使いこなしていたのか――?

セルゲイは、故郷の古老という存在の底知れなさに、とうとう恐ろしさすら覚え始めていた。


「それは……もはや、私には分かりません」

「うむ。今は理解する必要もあるまい。神代の生き残りか、あるいは神そのものか。いずれにせよ、人が軽々しく踏み入ってはならぬ領域の者だったのかもしれんな」

教授は「愉快、愉快」と言わんばかりにケラケラと笑った。

最後に『ここにも一人おるしな』と言う独り言をセルゲイは聞き漏らした。


「教授。ひとまず、これを分けていただくことは可能ですか? 新大陸産であれば、極めて貴重な研究材料かと思いますが」


「構わんよ。あちこちの調査団が『何でもいいから調べろ』と乱雑に送りつけてきたものの一つじゃ。今頃、送った側もとうに忘れ去っておるわい」

教授はあっさりと承諾してくれた。


「それに、もしこの野草であの忌まわしい奇病を治すことができたなら、それこそ世紀の大発見じゃよ」

セルゲイは頷き、ありがたくその赤い葉を譲り受けることにした。


さあ、材料は揃った。

 まずはセルゲイの故郷の薬草を、温めたお湯にそのまま浸し、じっくりと成分を抽出する。

その間に新大陸の野草を細かく切り、濾し器で丁寧に不純物を取り除きながら成分を抽出していく。

そして、十分に濾し切った黄色の液を、先ほどのお湯へと混ぜ合わせる。


 思いのほか、あっさりとそれは完成した。

立ち上る独特の苦い香りは、記憶にある古老の薬湯そのものだった。

完成した薬液を小瓶に詰め、二人はヤニスたちが待つ宿へと急ぎ戻った。


 扉を開けると、教授の弟子とヤニス、そして老人が張り詰めた空気の中でマリアを看病していた。

どうやら、少しでも体力を維持させるために、アテンの最新の栄養剤などを手際よく投与していたらしい。

マリアの呼吸は依然として荒いものの、先ほどよりは幾分、持ち直しているように見えた。


「先生……! 薬は、できたのか……?」

ヤニスが弾かれたように立ち上がり、前のめりに聞いてくる。


「ああ。問題なく完成した。あとはこれを飲ませるだけだ。……だがヤニス、本当にいいんだな?」

セルゲイの問いかけに、ヤニスは一瞬だけ躊躇したが、すぐに腹を括った。


「ああ、やってくれ、先生。俺は、あんたに全てを賭ける」

その声には、迷いのない力強さがあった。


セルゲイは深く頷き、意識のないマリアの顎を優しく開き、薬湯を少しずつ、慎重に喉へと流し込んでいった。

(……効いてくれよ)


普段は冷徹な生物学者セルゲイも、この時ばかりは、見えざる神へと祈りを捧げた。

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