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伝承の怪物たち  作者: 右顧左眄
絶海の巨人
10/16

贖罪

 調査は完全に暗礁に乗り上げた。

あの後、村長に対し【豊穣祭】の時期を早めることはできないかと交渉した。

しかし、祭りは海が鎮まる時期を目安に実施しており、人の力ではどうにもならないそうだ。


『神の島』


 その島には、一年のある決まった時期にしか辿り着くことができない。

それ以外の時期だと、船は島に近づくだけで押し戻され、無理に進もうとすれば、突然の大波や嵐に遭遇し、運が悪ければ海の藻屑となる。

 それゆえに周辺の漁民は誰もその島には近づかない。

いつしかそこは人が立ちいってはいけない「神聖な島」として崇められ、今日に至るという。


 完全に手詰まりとなったセルゲイは、ひとまずアテンのニコラウス教授へ現状を報告することにした。

羊皮紙に入手した「巨人の生い立ち」「開戦の角笛」の情報を書き込み、それを村の者に頼んで届けてもらう。


 その後もセルゲイは、村の者に島への行き方について聞き込みを行ったが、有益な情報は何一つ得られなかった。

皆、一様に口を揃えて同じ言葉を繰り返すだけだった。

「死にたくなかったら、島には近づかないことだ」


 その夜、セルゲイは深く落ち込み、ヤニスの家に帰る。

ただ事ではない様子のセルゲイに、ヨルゴスとマリアに何事かと声をかけられた。

セルゲイは手に入れた情報を共有した。


「村長から聞いて伝承は、ヨルゴス殿の言う通りでした。…ただ、巨人が住んでいるのが『神の島』で、この時期は寄り付けないそうですね?」

 セルゲイは参ったという感じで老年のヨルゴスに聞いてみる。


「…確かに平時であそこに行くのは無理ですじゃ」

 ヨルゴスはいつもと違う、低く険しい声で言った。


「やはり無理ですか?」


「古い者なら、近くに行こうとも思いませぬ。それだけあの島の嵐は尋常ではない。もし本当に命が惜しいと思うのであれば、決してい近づいてはなりませぬ」

 ヨルゴスが今までにない厳しい形相で止める。


「おい、親父しってんのか?」

 いつもと違う父親のただならぬ気迫に、ヤニスが呑気に、しかしどこか不安げに尋ねる。


「…その昔、あそこに近づいたことがあるだけじゃ」

 ヨルゴスは急にバツの悪そうな顔をしてそっけなく言うと、そのまま黙り込んでしまった。


部屋の中に、張り詰めた居心地の悪い沈黙が流れる。


その空気を破ったのは、無邪気な子供の声だった。

「お祭りならしってるよ。今年は私も舞を踊るの!」

 マリアが唐突に、祭りの話題を口にした。

(幼い子供に気を使わせてしまった)

セルゲイは申し訳ない気持ちになったと同時に、マリアの話に興味が惹かれて、詳しく聞いてみた。


「おじさんがね。昔、私のお母さんもお祭りで踊っていたんだよって教えてくれたの。だから、わたしもやりたいなってお稽古したのよ」

 マリアが無邪気に微笑む。

母を亡くした少女に、セルゲイは酷なことを聞いたと己を恥じた。

ヤニスがなんとも言えない表情を浮かべ、マリアを抱きしめる。

その姿を眺めながら、ふとセルゲイが視線を移すと、ヨルゴスが何かを考えこんでいるのが見えた。

どうしたのかと声をかけると。


「おお、すみませぬ。少し、考え事をしておりましたわい。さあ、夕餉といたしましょう」

 そう言って足早に奥へと引っ込んでしまった。


 その日の夕餉は近海で取れた魚を豪快に串焼きにしたものであった。

適度に効いた塩味が、疲れ切ったセルゲイの身体には非常に食い応えがあった。

しかし、食事の間も平静を装ってはいるものの、ヨルゴスの様子は明らかに「心ここにあらず」といった感じで、時折何かを考えこんでいた。


その夜

 皆が寝静まった頃に、ヨルゴスは一人家を抜け出して海岸へと足を運んでいた。

老人の視線の方向には『神の島』がある。

遠くに見える島を見つめるその表情は、どこか達観していた。


ふと、背後から砂を踏みしめ、近づいてくる人影があった。


「ヨルゴス老。このような夜更け、にいかがされた?」

 声をかけてきたのは、コスタス村長である。


 ヨルゴスは驚くこともなく、ゆっくりと村長に向き直り、問いただす。

「あの話をされた様ですな。なぜ、村外の者にすべてを?」


「あの方が、真実を望まれたからです」


「死に行くようなものです。責任感のある方だ。道がないと知れば、何としてでも島に行こうとするでしょう」

 ヨルゴスの声に非難の色が混じる。

実はヨルゴスも、島に巨人がいる事実を知っていた。

しかし、あえてその話をセルゲイにはしなかった。

恩人をみすみす死なせるわけにはいかなかったからだ。

 ヨルゴスの祖父が、かつて巨人たちと交流を持っていたこと知っていた。

幼き日のヨルゴスは、祖父から巨人たちとの対話の仕方を教わっていたのだ。

年月が過ぎ、今ではその姿をみることはなくなったが。


「それでもです」

村長がきっぱりと言い放つ。


「あの方がこの地に来たのは、何かの大いなる導きがあっての事でしょう。であれば、その行く道を示すことがこそが、あの方が使命を全うするために必要なことなのです」


「そして道半ばで死ねと?他人に決められた運命とやらのために?」


「そのようなことはありません。あの方があなたに出会ったのも、ひとつの運命でしょう」

 村長が一歩近づき、覗き込むようにヨルゴスの顔を見つめた。


「かつてこの海を荒らし回り、『神の島』へ乗り込もうとした愚か者」

 その言葉にヨルゴスは冷や汗をたらし、体をこわばらせた。


「…じゃから、今では海に出ず…過去を悔やんで生きておる」

 ヨルゴスが絞りだすようにつぶやく。


「そうでしょうとも。そうでなければ、あれほどの犠牲を出しておきながら、なぜ当人のあなただけがのうのうと生き残っているのか、私には理解できませぬ」

 村長の目には、憎しみとも悲しみともつかない複雑な感情が渦巻いていた。


「ですが、あなたは十分に悔いた。そしてその後悔を背負ったまま、このまま何もせず、老いさらばえて死んでいくつもりですか?」


「…わしにどうしろと?この老いぼれに、今更何ができる?」


「それは、ご自身に聞いてみてください。ですが、あの方が求めることが、あなたならできるはずだ。違いますか?」

 村長はそれだけ言い残し、村へ戻っていった。


 一人残されたヨルゴスは、呆然と海を眺める。

「…わしにできること、か。そうだな…そろそろ、逝く時が来たのかもしれん」

その呟きは激しい波の音にかき消されたが、老人のその顔には、何ものにもかき消せない、覚悟が宿っていた。


 翌朝、セルゲイはヤニスに激しく揺り動かされて目を覚ました。

何事かと問うと、ヤニスは困惑した表情で、「準備ができたら、村長のところに来てほしい、と親父から伝言を預かった」と言った。


「親父。昨日の先生の話を聞いてから、なんかおかしかったんだ」

 そういうヤニスと共に村長の家に向かう。

今日はマリアも一緒だ。


 村長の家に到着すると、村長とヨルゴスが笑顔で迎えてくれた。

しかし、決定的に違うのはヨルゴスの姿だった。

いつも纏っていた薄汚れたローブではない。

そこには堂々たる船乗りの格好をした、一人の海の男がいた。

ヤニスでさえ驚いている。

その体からは、あの枯れ木のような雰囲気は消え失せ、老人とは思えないほどの覇気が満ちていた。


「先生、このヨルゴス。とうとう死に場所を見つけましたぞ」

静かに、だが不敵な笑みを浮かべるヨルゴス。


「何事ですか、死に場所などと」

 セルゲイは元兵士でありながら、老人のその風貌に思わずたじろぐ。

この顔に覚えがある。

戦場で、すべてを捨てて、死を覚悟したものの顔…

ただ事ではないと察したセルゲイは、マリアをいったん村長の妻に預け、奥の部屋に入っていった。


「セルゲイ殿、先日『神の島』に向かうには、一年に数日の機会を狙うほかないと申し上げたのを覚えておられますか?」

 村長の話に、セルゲイは無言でうなずく。


「あれは半分が正解で、半分が外れなのです。正確には【通常の船乗り】では絶対に辿り着けないということです」

 村長の言葉の先を促す。


「このヨルゴス老は、今から三十年ほど前に腕利きの船員と共に、あの島に到達したことがあるのです」

ヤニスは驚きの声を上げる。


「若気の至りというやつですじゃ、当時のわしは、己の船乗りとしての腕前に並ぶ者は誰もおらんと思っておった。自分が最高の船乗りと信じておった。そして、船に乗ればどこへでも行けると過信しておった」

 ヨルゴスが遠い目をして語る。


「そして、誰も辿り着いたことのない海を踏破したいという、欲にかられたのです」


「…そして、島に着いたと?」


「正確には、辿り着く直前ですな。わしは当時の仲間たちと共に、何度も『神の島』に挑みました。幾たびもの犠牲を払い、そしてついにある航路を見つけたのです。神の災いを避け、島へと辿り着くことができる唯一の航路を」

 一呼吸おき、ヨルゴスはさらに語る。


「そしてその航路を進み、いよいよ島へと上陸せんとしたその時。『何か』が仲間をさらっていったのです。わしをかばったわしの妻をも…」

 セルゲイもヤニスも無言で聞いている。


「必死に探しましたが、わしらを『何か』が執拗に襲いかかりました。そして恐怖に駆られたわしは、あろうことか攫われた仲間たちを見捨てて退却を選択したのです。恐らくあれが、神の島に近づいた者への災いなのでしょう」

 ヨルゴスは自らの両手を見つめた。


「この老人には、罪しか残っておりませぬ。ちっぽけな自尊心で多くの仲間を犠牲にし、そして恥知らずにも生きながらえておる」

 セルゲイは、この枯れ木のような老人の中に狂気と絶望を見た。

この老人は己が慢心のためにどれだけの犠牲を払ったのだろう。

そして、老年になった今なお、その後悔に苛まれ続けている。


「アンナが…マリアの母が病で死んだとき、わしは生きながらえておる自分が心底嫌いになった。幾たびも死のうと思った。しかし、それすらも許されぬ罰なのだと思った。残りの人生をマリアのために生きていくことを誓った。そしてマリアが同じ病にかかった時、わしはとうとう生きているのが嫌になった。どうして醜い老人でなく、罪もない命を奪うのかと」

ヨルゴスは大粒の涙を流している。


「そして…わしらは、救世主にであった。先生…あんただ。あんたは何も見返りを求めることもなく、わしらを救ってくださった。そして救世主はより多くの命を救うため『神の島』に向かおうとしている。…わしは、これは天命だと思った。…神がこの罪人に与えてくださった、最後の贖罪の機会なのだと」

 セルゲイを真っ直ぐに見据えてヨルゴスは静かに語った。


 セルゲイは、何も言えなくなっていた。

自分はただ、単純に未知の生物を調べに来ただけのはずだった。

それが、火山からアテンを救う壮大な物語に巻き込まれている。

この重責を再度自覚し、初めてセルゲイは震えた。

(…自分は救世主でも何でもない)

戦場でも震えることのなかった男が震えている。


「私は…なんの力もない、ただの学者です…それにあなたと同じで戦場で人を殺めたこともあります… 」

セルゲイは震える声で弱々しく答える。

ヨルゴスは静かに聞き続けている。


「こんなはずではなかったのです。本来なら、古い伝承を読み漁り、現地で地元の人々と交流して…なにもない穏やかな調査になると」

 セルゲイはここにきて初めて弱音を吐いた。

ここまで駆け抜けた彼の精神と肉体は、とっくに限界を迎えていたのだ。

そんなセルゲイをヨルゴスは優しく諭す。


「そうでしょうとも。人間誰しもが、不変で穏やかな時間を求める。わしは、それを失って初めて気づくことができましたがな」

 ヨルゴスは言葉を重ねる。


「しかし先生は、その平凡を自ら打ち破って、巨人の調査を受けたではありませんか?そしてあの日、絶望する我らに、救いの手を差し伸べてくれた。その時、先生の胸の中に灯っていたものは、決して嘘偽りではなかったはずじゃ」

 老漁師の力強い檄が、セルゲイの凍りついた脳裏にあの日の記憶を呼び覚ます。

ニコラウス教授の研究室で、巨人の謎を追ってほしいと言われた瞬間に、胸の奥で確かに灯ったあの熱い情熱。

親子の悲痛な叫びを聞いた時、身体が勝手に動いた、あの衝動と使命感。


「今、あなたの前には、明確に道が開かれております。決めるのは運命でも何でもない。あなた自身の意思と情熱だ」

 そこには弱々しい老人の姿はない。

命を賭して海を渡ろうとする、一人の誇り高き船乗りの姿がそこにあった。

セルゲイは、自分がどうしてこの未知の探求という道に進んだのかを思い出した。

そして覚悟を決めた。


「…はぁ。ご老人は若者を焚きつけるのがうまい」

 セルゲイはいつもの冷静な、しかしどこか吹っ切れたような笑みを浮かべた。


「分かりました。『神の島』への案内をお願いできますか?」


「お任せくだされ、このヨルゴス。神代の領域への水先案内人となりましょう」

 ヨルゴスが笑顔で答える。


 ここまで来たらやり切るしかない。

教授のいう通り思うがままにやってみよう。

(そして何かあったら教授に責任を取ってもらおう)

そう思うとなんだか気分が楽になった。

我ながら酷いことを考えるもんだと思い、久しぶりに声を出して笑うのだった。

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