火折乃真琴
「私の名前はコオリノマコト」
窓を背にして座る、ベリーショートの黒髪ボブがよく似合う彼女がそう名乗ると、パイプ椅子に深くかけ直した。
夏の夕暮れ。
どこからかのヒグラシが鳴く声が、微かに漂う雰囲気がエモい警察署の一室。
粗末なスチール机に座る火折乃の対面には、秋咲と清水と名乗る男二人の刑事がネクタイを緩めた出で立ちで気怠そうに座っていた。
部屋は、空調の調子が悪いのか、或いは節電等の思惑が有っての嫌がらせ事なのか、とてもお客様を迎え入れるような快適と言える状態では無かった。
「失礼ですが、それ、本名じゃ無いですよね?」
火折乃から向かって左側の席に着き、白いワイシャツを粗野に着崩した若い刑事、清水が尋ねる。
「さあ、どうでしょう」
火折乃がそう言って紅い唇の口角を僅かに上げた。
清水は困ったようにくせ毛の髪をガリガリと掻きむしる動作をすると、隣に座る年輩の刑事、秋咲に目配せする。
秋咲は、暑苦しい赤いストライプのネクタイこそ、だらしなく緩めてはいたが、紺色のワイシャツは乱れること無く、灰色のブレザーまで着込んでいる。
「まあ、お名前の方はとりあえず、今はそういうことにしておきましょう。というか、貴方が火折乃真琴である方が、今回私達にとっては都合が良いことも多いんで」
秋咲はそう言うと、手に持っていた手帳を開く。
それに合わせるように清水も手帳を開き、ボールペンを構えた。
「北沢孝夫という男をご存じですよね」
秋咲がメモ帳に目を落としながら尋ねた。
火折乃から返事は無い。
「半月前に山で滑落事故を起こして亡くなった男です。ホントにご存じ有りませんか?」
「知らないとは言ってませんが?」
火折乃が不快な顔をして答える。
「失礼しました、返事が無かったので身に覚えが無いものかと」
秋咲はそう言って火折乃と目を合わせた。
「捜索願が出ていたんですが、ご両親から警察に連絡が有りましてね。見つけたから現場を確認して欲しいって言うんですよ。父親が見つけたと言うことだったんですけど、実際、立ち会ってみると場所もよくわかっていないし、話を聞くと色々と要領を得ない。問い詰めますと、『コオリノマコト』さんが見つけてくれたって事なんですよ」
秋咲きの目づかいが厳しくなる。
「『コオリノマコト』貴方ですよね?つまり、貴方が第一発見者というわけです。それで、まあ、あくまで形式的なんですが、ちょっと確認させてもらいたいというわけです」
「疑わしきは第一発見者、という事ですか?」
火折乃の言葉に秋咲は表情を崩す。
「いや、そういう話では無いんで。何せ、事件は終了していますから。鑑識も済んでまして、明らかに事故で間違いないそうです。ただ……」
そう言って秋咲は人差し指で頭を掻く。
「……ただ、色々とね。憶測では今一、説明が弱いというか、そんな事がいくつかありまして。だからご本人の口から教えていただきたいと思いまして。なにせ、当事者のお話となれば、これ以上の根拠は無いわけで」
そう言って秋咲が上目遣いで火折乃をのぞき込む。
「現場は、上の道が死体のあった場所にかなり張り出した形状になっていて、しかも藪が深く、上からは全く見えない状態でした。よく見つけましたね」
「それが仕事ですから」
事もなげに火折乃が答える。
「何の当たりも無しに見つけるのは、ちょっと骨なんじゃ無いかと思うんですよねぇ」
清水が不満げに口を挟む。
「同窓会に出席したメンバーから、当日の状況を聞き出し、さらに追跡し、推理しました。地道な調査の結果です。もちろん、運もあるとは思いますが」
火折乃はそう言うと二人の顔を見渡した。
「運も実力のうちって言いますよね」
「なるほど。ご両親には自分が見つけた事は秘密にして欲しいとお話しになったそうですが、それは……なぜ?」
「第一発見者になりたくなかったから」
「なぜ?」
「面倒くさいからですよ、こんな風にね」
火折乃はそう言って、いかにもわざとらしく大きなため息をついて見せた。
秋咲が気まずそうな顔をして目を逸らす。
「火折乃さん、じつは今回の事には直接関係ない話なんですが、参考までにお話を伺いたい事があるんですがね」
気を取り直すように軽く咳払いをすると、秋咲が再び口を開いた。




