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余所者だ、と言わんばかりに激しい風が体を叩く。
知らない土地の香りだと思った。何度経験してもこの感覚には慣れない。
繰り返される理不尽な現実を鬱陶しく思いながら、自転車の前に屈み込んでいた俺は仕方なしに携帯電話をポケットから取り出した。『自転車』『修理』『沼津市』という検索ワードで一番上に出てきた地図をタップしたところで、画面に大粒の雨が落ちてきた。
再び風が体に吹き付けた途端、曇天から降り落ちる雫が急速に勢いを増してきて空を睨みつけた。そんなことをしたところで無意味ということは十分に分かっていたけど、そうでもしなければ気持ちが収まらなかったのだ。
期末テストの気分転換と称して、珍しく街中に出かけたのがそもそもの間違いだった。自分の浅はかな行動に対して心の中で悪態をつく。蒸し暑い時期だけど馴染みのない街はどこか寒々しくて、自然とため息がこぼれてしまった。
「――麻薙?」
どこからともなく自分の名字が聞こえてきて、俺は声がしてきた方にパッと視線を向けた。
視線の先にいたのは見覚えのある同年代の少年。半袖のTシャツにデニムというラフな姿で、透明なビニール傘を差していた。長い前髪と少し猫背気味な姿勢には見覚えがある。数秒置いて、俺はようやく彼がクラスメイトであることに気がついた。
確か名字は藍葉。出席番号が近いし、名字が珍しくてやけに目を引いたから、それだけはよく覚えている。下の名前は申し訳ないけど思い出せない。六月下旬にもなってクラスメイトの顔と名前が結びついていないなんて薄情極まりないと言われそうだけれど、こっちとしては覚えなければいけないことがまだ山のようにあるので、勘弁してもらいたいところだ。
不意打ちのクラスメイトとの遭遇に何も言えないでいる俺をよそに、藍葉が迷いない足取りで近づいてきた。
「なに? もしかして自転車壊れたの? ……ああ、チェーンが外れたっぽい?」
俺の自転車を見て、藍葉は一人で勝手に状況を理解して納得していた。説明する手間が省けてありがたかったけど、普段とは違って積極的に話しかけてくる藍葉の姿に俺は戸惑うしかない。
藍葉とは同じクラスだけれど、特別声をかけたり話をした覚えもない間柄だった。それに加えて、彼はどちらかというとクラスの中では口数が少なかったから、こうして外で同級生に声をかけてくるなんて想像したこともなかった。
パタパタと急かすように雨が傘を叩く中、自転車に向いていた藍葉の視線が俺に移る。
「家近い? つか、自転車乗ってんだから近くはないか」
「え? まあ……」
「じゃあさ、家寄ってけば? ビニール傘ぐらいなら貸せると思うけど」
藍葉はさも当然といった様子でそう言った。一瞬言われていることの意味が分からなくて、俺は咄嗟に返事ができなかった。数秒置いて状況を理解する。
どうやら藍葉は俺を助けてくれる気らしい。ろくに話したこともないのに、なんで手を貸してくれるんだろうか。一人戸惑っていると、どんどんと雨音が強くなってきた。
「雨やばッ! ほら、こっちッ」
「あ、ああ」
藍葉に促されるまま、俺は自転車を押す。小走りで藍葉の後を追うと、五分ほどで家にたどり着いた。
俺の目の前に現れたのは日本家屋という言葉がぴったりの平屋だった。これはいわゆる古民家、というものだろうか。外装はやや古びた感じがあるが庭先は雑草が少なく、手入れがされているようだった。藍葉は躊躇なく玄関の引き戸を開け、中に入りながら声を上げる。
「遥己さーん。タオルちょうだいー」
藍葉のやや間延びした声が古民家の玄関に響く。確かこういうのって土間って言うんだよな、と玄関周りの様子を窺いながら待っていると、奥から男性が姿を現した。
黒縁の眼鏡に少し垂れた目元が印象的な人だった。折り目正しい半袖のシャツに濃紺のパンツ姿で、年齢は母さんと同じぐらいだろうか。人の年齢を見た目で推し量るのはあまり得意ではないから当てずっぽうだ。
男性は俺を見て軽く目を見張り、呆れた視線を藍葉に向けた。
「あのさあ……。友達がいるならちゃんと二枚持ってきてって言いなさいよ」
男性の言葉で気がついたが、藍葉の足元や腕もそこそこ濡れていた。雨が強くなったのと、早くここへ案内しようと軽く走ったせいで濡れてしまったみたいだ。
「あー、うんごめん。タオルもう一枚貸して。あと自転車置かせて。麻薙の自転車、チェーン外れたみたいでさ」
「え?」
男性の視線がこちらに向く。会話に割り込んでいいものかと一瞬迷い、とりあえず失礼のないように会釈をした。もうこれ以上喋ってくれるなよと心の中で願うが、その願いは藍葉に見事に粉砕された。
「ほら、前に話してたじゃん。二年に転校生が来たって。たぶん、ここら辺のことよく分かんないと思うし、自転車こんなんだし。雨降ってきたからいったん中に置かせてもらいたくて」
「あ、大丈夫ですッ。気にしないでください!」
傘を借りて早々に立ち去ると思っていたので、この展開はまさに寝耳に水だった。慌てて口を挟むも既に遅い。男性は藍葉の言動に納得した様子でそっかと相槌を打つと、踵を返した。
「とりあえずタオル持ってくるから、ちょっと待ってて。稔也はちゃんと拭いときなさいよ。風邪引くぞー」
そう言い残すと、男性はもう一度奥へと行ってしまった。何をしてくれるんだと藍葉に視線を向けるも、俺の思惑なんて知ったこっちゃないと言わんばかりのマイペースさで、彼は濡れた腕を拭いていた。
腕を拭くのもそこそこに、藍葉は土間に立てかけてある傘を物色し始める。透明なビニール傘を手にして、彼は玄関先に立つ俺を不思議そうに見た。
「中入れば?」
それもまた、俺にとっては予想外の言葉だった。一向に中へ入ろうとしない俺を見て、藍葉が怪訝そうな顔をする。言い訳をするかのように、俺の口から言葉がこぼれ落ちた。
「いや、濡れてるし……」
全身ずぶ濡れは免れたが、肩や頭はしっとりと濡れているし、駆け足のせいでズボンも汚れている。土間とはいえ、濡れたまま人の家に入るのは申し訳がなかった。ぽたりと髪から滴り落ちた雫が玄関前に敷かれている石に跡を残す。
「いや、玄関開いたままの方が困るから。自転車も中に入れて」
なんの躊躇いもなく、藍葉はそう切り返してきた。確かに雨足が強くて玄関を開けたままにするのも申し訳ない状況だ。
俺は言われるがまま、土間の隅に自転車を運び込む。よく見ると、土間の片隅には見たことのない道具が置かれていた。何に使う道具だろうか。なんとなく気になって、周囲に視線を巡らせていたときだった。
「お待たせ」
そんな声が聞こえてきて、俺は視線を元に戻す。奥に行っていた男性がサンダルを履いてこちらに向かってくるところだった。男性が手にしているものを目にして俺は目を見張る。
男性が手にしていたのは、目に鮮やかな藍のタオル。
そう、その日。
俺は遠ざけていた青に、出会ってしまった。




