第九話 新年と初詣
突然ガバッと飛び起きて、宇羅彦が車から降りると家の中へ入ってきた。
風呂へ直行し、まずはザアッと水でシャワーを浴びる。
階下から物音がしたので、眴が降りてきた。
宇羅彦は由良姫を強引に起こすと、風呂へ連れていった。
「着物着てくんやろ、そろそろ水垢離してシャワーせんと、間に合わんで」
ふにゃふにゃ言いながらも、由良姫は支度を始めた。水を浴びると目が醒める。
髪を乾かしながら、ボーッとしている由良姫に宇羅彦が話しかけた。
「都心の駅前で、松本直美が彼氏とおるとこ見たで。最後に祓いに行った外資系の高級ホテルから出てきよった」
「ふうん。続いてるんや、ええやん」
「ようけ集らせとったで」
「根性悪は、そうそう直らんし。アレやろ、純金やのメッキやの言うとこやろ、お嬢様一貫校の。そら、集るわ」
眴が上から呼ぶ声がする。
「はい、着付けますよ。どっちでもいいから、二階に来て下さい」
「なあなあ、髪上げてオールバックにしたら? 誰も寄って来やんで」
笑いながら、由良姫が眴の部屋に入っていく。
由良姫に着付けつつ、眴が感心したように呟く。
「さすが御子姫殿ですね、離れていても由良姫によく似合うものを選んでくれてます。はい、できあがり。裾さばきだけ注意して下さいね」
「眴ちゃん、ありがとう。手慣れてるね。やっぱお父さんにいつも着せてたからかなあ」
「階段気をつけて降りて下さいね」
浩徳が迎えに来た。こちらもいつもの格好ではなくて、ジャケットを羽織っている。
「兄貴がこれ着てけって貸してくれた。オッサンみたいやろ。可愛い着物やなあ」
ニコニコ顔の由良姫が、笑いながら言った。
「今日はゴツい用心棒が付いとるで」
由良姫の後ろから、背の高い厳ついのが出てきた。宇羅彦だった。
お互いに新年の挨拶をすると、待ち合わせ場所まで歩いていく。
チラホラとご近所さんが歩いているのを目にすると、皆すれ違いざまに宇羅彦を二度見していく。
その様子に由良姫は大ウケだった。
「あけおめっす」
「おめでとうさん、今年もよろしくね」
わきゃわきゃとみんな晴れ着を着て、どこかテンションが上がっている。
女子同士で、この髪飾りが可愛いとか、この模様が綺麗だとか。
何よりウケたのは宇羅彦のオールバックだった。
お参りを済ませると、おみくじを買って、みんなでどうだったか見せ合ったり、境内は大勢の参拝客で賑わっていた。
当然、同級生にも会う。ワイワイと輪ができて写真を撮り合う。
気持ちよく晴れ渡った新年の一日目は、穏やかに楽しく過ぎていった。
まるでついさっきまで、ケガレと格闘していたなどとは思えなかった。
一緒にお参りして、参道のお茶屋さんにちょっと寄って話をして解散となった。
「ほな、また明日」
この地方には、西の首都ほどではないが本当に有名な、由緒正しい神社が多くある。
皆、親しみを込めて、御〇〇さん、という感じで呼んでいる。
正月二日目、由良姫と浩徳はバイクで、その内のひとつへ初詣に行くことにしていた。
下宮から参拝し、内宮へ足を踏み入れた途端、由良姫にはひしひしと迫りくる気配が感じられた。
あまりの圧に、由良姫は動けなくなってしまった。
「どうした? 気分でも悪いんか?」
「気が強すぎて、ちょっと休みたい」
由良姫は浩徳に連れられて、休憩所で少し休むことにした。
そこへ行く途中、意外な人物に出会った。
神守我央。
彼は、どうやら十名ほどの集団で参拝に来ているようだった。
「これは……藤吉の……どうかしましたか?」
「あ……あけましておめでとうございます」
我央は微笑みながら、気分が悪そうなのに挨拶を優先する由良姫を気遣った。
「休憩所まで、私もご一緒しましょう」
休憩所では、我央と一緒に来たらしい人たちは外で待機していた。
「ありがとうございます。もう大丈夫ですから」
浩徳が我央に礼を述べて、外に待たせている人たちに目をやる。
「彼らはケガレ対策室のメンバーです。幹部クラスの。皆、若いでしょう。二十歳そこそこなんです」
「全員二つ紋なんですか?」
「ええ。神守では私を筆頭に、数年後続々と二つ紋が誕生しましたから。直系より先に誕生したことには意味があると考えています」
「興味深いお話をありがとうございます」
浩徳は外の集団の中に、ずっとこちらを見ている女性がいることに気がついた。
「あの人ずっとこっち見てます。そろそろ戻られた方がいいのでは?」
「そうですね……困ったものです。癖なのか性格なのか」
視線を感じた瞬間、由良姫の奥で何かがざわりと動いた。
「我央さん、あの人、内宮で眼を使うとどうなるか知ってはりますか?」
「さあ、知らないと思います。眼を使ってましたか……これはとんだ失礼を、申し訳ありません」
「いいえ、自業自得ですし」
「由良姫さんは、そういうところ、御子姫殿に似ていらっしゃる気がします」
由良姫は張り付いたようににっこりと笑う。その笑顔に、我央はゾクリとした。
「ほう……こんな可愛らしいお嬢さんが、あの恐ろしい気を発されましたか」
目の前に、浅葱色の袴が目に入る。神宮の禰宜のようだ。
「申し訳ありません。気をつけます」
「そうですね。いつもは穏やかな神さんでも、いつ鬼と変わらはるか知れませんで」
禰宜は、確実に由良姫に何かを感じ、知らせに来たようだった。
「この宮の神さんは、たおやかな心優しき女神でもあり、猛々しき荒ぶる男神でもあります」
禰宜は静かに語りかけた。
「気が乱れますと、ざわり、と……それだけで眠っている鬼さんを起こしてしまいます。宮の中の気に、身を委ねてみてはいかがですか。きっと心地よいと思いますよ」
禰宜は丁寧に一礼し、去っていった。人ではないような感覚だった。
スゥーッと、深く呼吸を整える。気が一本通る。
そうして、由良姫は我を仕舞い、透明になった。
すると、そこへ外から内へと気が満ちてくる。
まるで、何かと一体化しているようだった。
先ほどまでの、あれは……あの圧はなんだったのだろう。
これなら、私の中の内なる鬼も制することができるのではないか。
母御子姫の苛烈さと、その反面の慈悲慈愛の一面。それにも似た。
広く大きく、底知れぬ、包み込む清けき気配。
浩徳が柏手を打つ。
澄みきった音がどこまでも境内へ、高く広く響き渡る。
その音が届いた瞬間、由良姫の奥でざわりとしていたものが、潮が引くように鎮まった。
ケガレの声を聞いてから、ずっと頭の奥に残っていたざらつきも、波にさらわれるように消えていった。
由良姫は深く息を吸った。
──溶けていく
何もかもを消してひとつになり、自分さえ消えていく。
由良姫にとって、こんな感覚は初めてだった。
由良姫はもう一度、あの禰宜と話がしたいと思い探した。
授与所か社務所へ行けば会えるかと探したが、見つからなかった。
由良姫は浩徳と一緒にお札を購入し、ゆっくり内宮を参拝して回った。
あの禰宜は、本当に人だったのだろうか。
帰りには夫婦岩へ寄ろうという約束だった。
この先にも海沿いには見所が多い。今度は夏に来ようと約束して帰路についた。
神宮のお札を差し出すと、眴はとても喜んだ。
そして、神宮の内宮での不思議な体験の話をすると、眴は言った。
「彼の地は、神の領域ですから、何が起きても不思議ではありません」




