第九話 廃棄処分
やえばとエクボは、こんな雑然とした控室は初めてだった。
パーテーションにユニット名が書かれた紙が貼ってあるのを見つけた。部屋の奥の方の一角。机もイスさえもない。
二人は黙って支度を始める。周囲はザワザワとうるさいくらいなのに、そこだけが妙に浮いていた。
この部屋の中に、いったい何人の女子がひしめいているのか知らないが、誰しもが皆心に何がしか持っているのだろう。
そういうものがひっそりと、すでに床を這い回っていた。
「失礼しまーす。ショウミのお二人にちょっと確認なんですけど」
若い女性スタッフがやってきた。手には進行表を持ち、何やらメモが書き込まれている。
やえばとエクボは返事をした。やっと、二人とも口を開いた。
「えーと、まず一曲目、女王様のやつでお願いできます? アレ目当てのお客さんが多いようなんで」
「あ、はあ……」
やえばの口元から、薄く影のように黒いものが漏れ出る。
「できたら、女王様パート長めでやってくれます? 最後は二人でデスゲームでキメてくれればいいから」
「はあい」
エクボの足元にはまとわりつくように、どこからともなく黒が吸い寄せられてくる。
その頃、ビルの入口付近では、万里依が中を視ていた。その横で、由良姫が少し緊張しながら待っていた。
いつも一緒の宇羅彦がいないだけで、こんなにも緊張するものなのか。
宇羅彦は宇宙依と一緒に、大通公園に面した通り沿いのコンビニにいた。
「どうかしたんか。宇宙兄」
「おまえにだけ、話しとく。今、本家の中でヤバいことが起きとる」
宇宙依は何かを恐れるように、ボソリと呟いた。
「万里依がおかしいんや。それだけやない。周りみんな、少しずつ、おかしなってんねん。俺は大学に戻れんようになっとる」
「そんな……何が起きとるんや」
「わからん。とにかく、これは俺たちだけの内緒や。眴にも言うな」
「なんで?」
「巻き込まれたら、誰が助けを呼ぶんや」
「眴も危ないんか」
「芥見を舐めたらあかん」
そこまで聞いて、宇羅彦は言葉を呑んだ。
只事で済まないことが、起きようとしている。宇羅彦には十分伝わった。
控室では、スタッフが出ていったあと、やえばが鏡を見ながら笑っていた。
「よかったやん。エクボ、主役やんか。もっと化粧濃くしたら?」
「なにそれ。言いたいことあるんやったら、もっとハッキリ言って」
「別に」
「またそれ?」
「ほんなら言うとくわ。曲作ったの誰やと思うてんねん」
「でも見られとるんはうちやん」
「そのキャラ作ってやったんも、うちやし」
「それを上手いこと演じて人気出したんはうちの力や」
「そこまで言うんやったら、一人でやれば?」
二人がまた一言、一言と口を開くたび、モドキが濃くなっていく。
「そっちこそ。賞味期限、まだ残っとってよかったな」
「そっち、もう切れかけなんちゃう?」
二人は黙っていた分、今までたまっていた鬱憤が噴き出した。それに合わせて、モドキは集まり始めていた。気づかないうち、部屋中から集まってきた。
床を這っていたものが、飛び跳ね、壁や天井にこびりつき、二人を目がけていた。
エクボがやえばの衣装を掴む。
やえばがエクボを突き飛ばす。
エクボが髪を引っ張る。
やえばが腕に噛みつく。
「由良姫、行くで。今にもお互い噛みつきそうや」
「うん。スゴい臭い。もうヤバいかもしれん」
ちょうど控室から大勢のグループが出てきた。通路は人でごった返す。その中を人波に紛れて、二人は控室までたどり着いた。
「前から気に食わんかったわ!」
「それはこっちのセリフ!」
「急にアイドルぶりだして!」
「笑ってりゃいいってもんじゃないわ!」
エクボがやえばの肩へ噛みつく。
やえばがエクボの腕を噛みちぎる。
二人の周りをとぐろを巻くようにモドキがひしめいていた。
「皆さん、ここから出てください!」
「なに? ケンカしてるだけでしょ?」
万里依が控室に残っている人たちを部屋から出そうとするが、一向に進まない。
由良姫にはもうわかっていた。物凄い速さでミイラ化が進み始めていた。
由良姫は躊躇わず、目の前のベルを押した。
ジリリリリリーッ!!!
非常ベルが響き渡った。警備員が慌てて誘導を始める。部屋にいた人たちが一斉に外へと飛び出していく。廊下が人でごった返す。
「万里姉! 外で待っとって! うち行ってくる!!」
由良姫が部屋へ入ろうとすると、部屋中に黒々とした粒状のものが飛び交っていた。
結界を張って由良姫は飛び込む。ドアを閉め中から鍵をかける。
出る時は、祓えたあと。
部屋の奥では、二人が互いを喰い合っていた。 一人が頰へ噛みつき、もう一方が首に噛みつく。
二人の周りを、蛇のようにとぐろを巻いたモドキが、せせら笑って鎌首を持ち上げていた。
──もう、祓わんと!!
まだ人の気配が残るものへ、由良姫は術を放った。
ジュウウッと嫌な音とともに臭いが充満する。
その時、互いに噛みつき合っていた口が離れた。濁った目に、一瞬だけ焦点が戻る。
「……繭美?」
「紗栄子……」
由良姫は戸惑った。学校で何度も見かけた顔が、脳裏をよぎる。
──ダメだ。怯むな。
もう、後戻りはできない。その時は過ぎた。ここで祓い切らねば、ケガレ化して叫ばれたら最後だ。
一回では祓いきれない。由良姫は続けて術を放つ。
なぜだろう。一人だからか。それとも何かあるのか。
とぐろを巻いていたモドキが、頭をあげニヤリと由良姫へ向かって笑った。
──なにっ!?
由良姫はその頭を撃ち抜いた。間髪入れず、喰い合って一つになろうとするものへ術を放った。また、ジュワッと音を立て崩れていく。
こんなことはあり得なかった。
音を立てて、臭いを放ち、目の前で崩れていくものはいったい何なのだ。
モドキか、ミイラ化したものか、ケガレ化しつつあるものか。
由良姫は無我夢中で術を繰り出した。
一発では祓えない焦りが、由良姫を支配する。
「落ち着くんやっ!!」
声が頭の中で響く。
何やら唱言がずっと聞こえてくる。
不思議と由良姫は落ち着きを取り戻した。
黒い塊の核が見える。
由良姫はすべての力を指先へ集め、白く大きな光の塊を渦巻くように放った。
光の渦は、黒い塊を取り囲んだ。一気に網を絞るように、核目がけて閉じていく。
瞬間、黒が弾け飛び、消えた。
由良姫はふらつき、倒れそうになった。
──あかん!!
ここで倒れたら、また迷惑をかける。由良姫は必死にドアまで歩いていった。誰かが、それを助けてくれているようだった。
ドアを開けると、そこには宇羅彦が待っていた。
「由良!! 大丈夫か!!」
由良姫は大きく頷いた。
「ウーちゃん、やったよ」
「そうか。えろう時間かかったな」
宇羅彦は、そう言いながらもふらつく由良姫をかばって、雑居ビルの外へ向かった。
「ウーちゃん。笑ったんや」
「何が?」
「わからん」
由良姫は、思い出しただけで吐き気がした。口を手で覆うと、ビルから出た瞬間、側溝を探すと吐き戻した。
宇羅彦は慌ててその中身を見た。
モドキはいない。由良姫を見ても、蝕も起きてはいなかった。
そこには、万里依と宇宙依が待っていた。
「どないしたん」
「どうもない」
宇羅彦はぶっきらぼうに答えると、由良姫を支えながら地下駐車場へ向かった。
車へ戻ると早速、万里依が由良姫へ聞いた。
「どうやった。ケガレになる前に祓えたんか」
「うん。万里姉、共喰いしとった。まだミイラ化もしとらんかった。それなのに、半分腐ってきとった。術放ったら、音立てて崩れた。スゴい臭いがした」
由良姫は冷たい汗をかいていた。少し顔色が悪い。それなのに万里依は気に留める様子もなかった。
宇羅彦は些細なことだが、たしかに今までの万里依にはない異質なものを感じた。
「万里依、まずはとにかく帰ろう。ここから離れて、家で落ち着いて話そう」
宇宙依が声をかけるまで、万里依は車を動かそうともしなかった。
突然、ハッと我に返ったように、万里依は後部座席の由良姫へ振り返った。
「大丈夫か? 由良姫。高速使って、すぐ戻るさかい、それまで横になっとき」
万里依はゆっくり車を発進させた。助手席の宇宙依が窓を開けエアコンをつける。車内の空気が一気に入れ替わる。
「ウーちゃん。モドキがおかしい。ケガレ化って、気が枯れてミイラ化して、ちょっと経ってからやったはずやろ。なんや、途中から全部が混ぜこぜで一気に起きとるみたいやった」
由良姫は小さな声で囁いた。それは宇羅彦にしか聞こえない声だった。




