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御子母の惑星─みこものほし─第二部 改訂版  作者: 宮生さん太
第一章 再来の初夏

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第二話 音楽準備室

 眴は弁当を用意すると、二人が朝ご飯を食べているテーブルに置いた。


「サンキュー、眴ちゃん」


 由良姫がご飯を食べながらリュックに詰める。


「今日、食べてる暇あるかな」


「何かあるんですか?」


 眴が何気に聞くと、宇羅彦が手で銃の形を作り、「バン!」と言った。


「学校で、ですか?」


 眴が心配そうな顔をする。銃の真似でバン!。つまりは、祓いを意味する。

 二人は子供の頃、よく父奏司から取り出されたモドキを、銃で撃つ真似をして祓っていた。もちろん、術は無詠唱で、気を繰り出すごとく放たれていた。


「目立たんよう、上手くやるわ」


 二人はリュックを背負うと、自転車に乗った。狐のケンが走ってくる。

 由良姫は自転車を止めると、ケンを前かごに乗せた。首輪とリードをつける。


「なんや、ケン連れてくんか」


「わからん、ついてきた」


「ま、いっかあ。ツヤさんとこ預けとこ」


 ツヤさんとは、二人の担任で物理の先生である。若いのにおでこが広くてピカッてるのでツヤさん。物理準備室でいつもケンを預かってくれる。

 そこには、隣室の生物の先生、岩さんもやってくる。妙に人馴れしている狐に興味津々だ。


「っざあまーす! ツヤさんいる?」


「挨拶は正しく」


「せんせっ! おっはー! 今日もケンちゃんお願いしまーす!」


 学校はまだ八時前で、朝練の生徒がいるくらいだ。ツヤさんはサイフォンでコーヒーを入れていた。


「あー、また学校のアルコールランプ使ってる」


「君たちほどじゃ、ありません。プリンできてるよ」


 ツヤさんは冷蔵庫を指差した。


「うん、ありがと。ケンちゃんがちょっと、行ってくる」


 狐のケンは、準備室を出たがって戸を前足でカリカリした。由良姫はリードを持ってついていった。

 ケンは非常階段から三階へ行くと、二年生の教室が並ぶ廊下を走った。


「どこ行くん?」


「えっ、なに? 犬!?」


 登校してくる人がチラホラいる。由良姫はケンを抱っこして連れ戻そうとした。

 ちょうど、四組の前に並ぶロッカーのうちのひとつ、ケンは臭いを嗅ぐと甲高い声で鳴いた。それはいつもケガレの臭いに反応する時の声だった。


「やばい、ケン! おいで!」


 大勢の声が階下から聞こえてくる。由良姫は慌てて、準備室まで戻った。


「どこ、行っとったんや」


「わかった、昨日の。二年四組や。ケンが」


 由良姫が鼻を指差す。臭いで嗅ぎ分けたと宇羅彦に合図した。


 昼休みになった。由良姫と宇羅彦はケンがいる物理準備室へやってきた。

 それまでの間に、由良姫がロッカーの持ち主を突き止めた。音楽部の中原貴代美という生徒で、昼休みはよく音楽準備室へ行くらしい。


「ウーちゃん、どうする?」


「せやな、音楽準備室なら四階や。一年の廊下やし、ちょうどええやん。行こか」


 由良姫は弁当を二つ冷蔵庫へ入れると、ケンにおとなしく待っているよう言い聞かせた。


 音楽準備室から流れるクラシックは、やけに大きかった。


 昼休みだというのに、廊下の空気はぬるい。廊下の窓は開いているのに、音楽準備室の前だけ閉じられていた。

 音漏れを避けるためなのだろうが、そこだけ空気の逃げ場がなく、澱んでいる。


 準備室の扉には鍵がかかっている。


 音楽室から出てきた上級生が、笑いながら手を横に振った。


「ダメダメ、今は呼んでも出ないよ」


 もう一人が、意味ありげに肩をすくめる。


「あ、もしかして」


「ウーちゃん、ヤバない?」


 昨日の山と同じだ。

 この独特な臭さ、誰も気がつかない。


「濃いな」


 宇羅彦が小さく言う。


 廊下を歩く生徒たちは、何事もない顔をしている。

 笑い声も、足音も、いつも通りだ。

 なのに、由良姫の鼻の奥だけが焼けるように痛い。


 廊下の窓は開いている。

 風も通っている。

 それでも、この臭いは消えない。


「感じてへんのが普通なんやろな」


 宇羅彦は、わずかに眉をひそめた。


 そこへ、合鍵を持ったOBがやってきた。


「また、先生、こもってるわけ?」


 OBは音楽室の方からなら入れると、由良姫と宇羅彦を案内した。


「あの、俺らが入ったらすぐ閉めて下さい」


「えっと?」


「お願いしますっ!!」


 OBはキョトンとした顔をした。

 よくわからないが、異様な空気が漂っているのを感じ、ここは従った方がよさそうだと判断した。


 鍵が回る。


 ドアが開いた瞬間、黒いものが弾けるように飛び出した。OBの目には、それがハッキリと見えた。


 ──なんだ!?


 黒は空気に触れて痩せる。

 だが、すぐに室内の熱へと群がろうとした。


 由良姫と宇羅彦が飛び込むと、OBは反射的にドアを閉めた。そして、ドアから離れ音楽室にいた生徒を外へ避難させた。


 廊下には、あるはずのない臭いが充満していた。廊下の窓は開け放たれていた。


 由良姫と宇羅彦は、閉め切られた室内の熱を感じた。

 音楽は止まらない。

 準備室の中で、二つの影が近すぎる距離にあった。


 貴代美の瞳は焦点を結ばず、呼吸が荒い。喉元が波打つ。口の端から、黒い蛇の舌のようなものがチロチロとのぞく。


 次の瞬間。


 彼女の口元から、黒いものが一気に溢れ出た。喉元まで這い上がり、口の中に溜まっていたのだろう。次から次へと、とめどなく流れ出る。


 液体ではない、もっと粘性のある黒いもの。空気に触れた瞬間、一度は痩せるがすぐに形を取り戻し、目の前の熱へ跳ねた。


「モドキや」


モドキは、由良姫と宇羅彦を目がけて降るようにたかってきた。結界で跳ね返され、行き場を失い近くの熱を探す。


 貴代美の異変に、顧問の男性教師が後ずさる。イスにへたり込んだところへ、モドキが一斉に跳びかかりスルスル内部へと潜り込んだ。


「うぐっ……」


 声にならない。


 貴代美の口や鼻から、次々とモドキが溢れ出る。離れていくたび、彼女の頬は痩せ、肌は乾いた紙のように張り付いていった。


 モドキは、宿主の気を喰う。


 喰われた体は気枯れを起こす。気が尽きれば、次に蝕まれるのは魂だった。


 モドキは飢えれば、喰らうしかない。喰らえなければ、消える。


 新たな宿主を求めて、モドキは男性教師に群がった。

 貴代美の体はモドキが去れば去るほど黒ずみ、頬は落ち窪み、指先は骨ばっていく。


 密室の熱の中に、生臭さが混じった。


 腐りかけた魚のような、ケガレ特有の臭いだった。


 そこには、すでにケガレへと変わりつつあった貴代美がいた。


「いや……いや……どうし、て……」


 由良姫の指先が、ほんの一瞬だけ止まる。


 昨日、山で逃げた背中が脳裏をよぎる。

 あの時、振り返らなかった彼女。

 名前も、顔も、知っている。


 知っているからこそ、踏み込まない。


 宇羅彦が先に構えた。

 

 由良姫も、すぐ合わせる。


 二人の気の結界はモドキを寄せつけない。モドキ程度なら取り憑かれることはない。

 しかし、ケガレは別物だった。


 貴代美の唇がかすかに動いた。


「わ、私が……?」


 二人はためらわず、ケガレになりかけた貴代美に向かって術を放った。


 二つの紋が重なる。

 光が走る。

 ケガレは、消えた。

 そこには空白だけがある。


 貴代美は跡形もなく消滅した。


 男性教師は気絶したままだった。たかっていたモドキは祓われたが、内へ潜ったものまでは祓えない。急激に気を喰い荒らされた反動で、しばらく正気を保つのは難しいだろう。


 宇羅彦は、音楽準備室の鍵を開けると、外にいる生徒に養護教諭を呼んでくるよう伝えた。


 鍵を開けてくれたOBは、由良姫に自分が見た黒いものが何なのか聞いた。


「その前に、この音楽止めて下さい」


 由良姫は窓を全開にし換気をした。

 臭くてたまらなかった。


 音楽が止む。廊下の空気が、やっと軽くなる。

 それでも、臭いは消えない。


 OBはまだ、貴代美がいたはずの空間を見つめていた。

 そこに何かが残っている気がして。


 彼の目には、ほんのわずかに揺らぐ影が見えていた。

 消えたはずの黒の名残。

 瞬きをすると、もうない。


「……見えたんだよな」


 小さく、確かめるように呟く。


 OBだけが、まだそれを見失えずにいた。


 廊下では、もう笑い声が戻っている。

 そこにあったはずの何者かが欠けたことに、誰も気づかない。


 クラシックの残響だけが、壁に薄く貼りついている。


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