第14話 匿名のDM
次の日の夜。
俺は配信開始前の画面を見ながら、少しだけ深呼吸した。
昨日のことは、夢ではなかったらしい。
チャンネル登録者数は五百人を超えていた。
通知も、昨日までとは比べものにならないくらい増えている。
蓮からは、昼間にかなり細かい説明を受けた。
『昨日は一時的な流入があった。たぶんYouTubeの紹介動画経由』
『ただし、紹介元をお前が見る必要はない』
『見て意識するくらいなら、今は見ない方がいい』
『コメントは全部読めない前提でやれ』
『最初にそう言えばいい』
『変なDMは開くな』
『でも大事そうなものは俺に相談しろ』
蓮は、少しだけマネージャーみたいになっていた。
陽翔は昼休みに、
『春野、昨日ほんとにすごかったぞ! でも無理すんなよ!』
とだけ言っていた。
その言い方が一番陽翔らしくて、少し気が楽になった。
今日の配信タイトルは、少し迷った末にいつも通りにした。
――眠る前に、少しだけ話します。
昨日人が増えたからといって、急に派手なタイトルにするのは違う気がした。
開始ボタンにカーソルを合わせる。
「…大丈夫。いつも通りでいい」
自分に言い聞かせるように、小さく呟く。
配信を開始した。
「こんばんは。夜野まことです。今日も、眠る前に少しだけ話していこうと思います」
同時視聴者数。
七百十六人。
「……」
思わず黙りそうになった。
でも、昨日よりは少しだけ早く戻れた。
「今日も、たくさん来てくれてありがとうございます。昨日から来てくれた方も、前から来てくれている方も、来てくれてうれしいです」
コメント欄が流れる。
『こんばんは』
『今日も来た』
『昨日から来ました』
『同接700スタートすご』
『まことくん固まらなかった』
『えらい』
「固まりそうにはなりました」
『正直』
『かわいい』
『無理しないで』
「ありがとうございます。今日もコメントが速いので、全部は読めないと思います。読めなかった方はすみません。でも、できるだけ見ています」
『それでいいよ』
『読める分だけで大丈夫』
『常連さんたちが落ち着いてる』
『ここ空気いいな』
常連さんたちの名前も見える。
そのことに少し安心した。
人が増えても、前から来てくれていた人たちがそこにいる。
それだけで、配信の場所が急に別物になってしまったわけではないと思えた。
「昨日から来てくれた方も多いと思うので、改めて話しますね。この配信は、だいたい夜に少し雑談をする場所です。作業しながらでも、寝る前でも、見ているだけでも大丈夫です」
『寝落ち可』
「はい。眠い時は寝てください」
『本当に寝かせにくる』
『助かる』
『今日仕事で疲れてたからありがたい』
「お仕事お疲れさまです。今日ここまで来ただけでも、十分頑張った日だと思いますよ」
『刺さる』
『自然に言う』
『こういうとこ』
コメントが速い。
でも、昨日より少しだけ見える。
全部は無理でも、流れはわかる。
俺は焦らず、一つずつ拾えるものを拾った。
『学生さんなんですか?』
「はい。詳しいことは言えないんですけど、学生です」
『夏休み?』
「そうですね。今は夏休みです」
『宿題終わった?』
「終わっていないです」
『草』
『仲間』
『安心した』
「安心されることなのかはわからないですけど、少しずつ進めています」
『配信してて大丈夫?』
「そこはちゃんと気をつけます。宿題が終わらなくて困るのは自分なので」
『真面目』
『えらい』
「えらいかは、終わってから言ってください」
コメント欄に笑うような反応が流れる。
昨日よりは、少しだけ会話になっていた。
人数が多い。
でも、一人ひとりのコメントは、ちゃんと人の言葉だ。
速く流れるからといって、そこを忘れないようにしたかった。
途中で、少しだけ静かなコメントが流れた。
『昨日から来たけど、今日も落ち着く』
「それならよかったです。人が増えて少し空気が変わったかもしれないですけど、できるだけいつも通りにしたいと思っています」
『変わらないでほしい』
『でも無理はしないで』
『増えたら変わるのも自然だよ』
「そうですね。変わらないようにしたい部分と、変えないといけない部分があるのかもしれません」
自分で言いながら、少し納得した。
全部を昨日までと同じにはできない。
コメントは全部読めない。
初見の人も増える。
たぶん、これから知らないことも増える。
でも、来てくれた人に雑に返したくないという気持ちは、変えたくなかった。
「でも、ここを夜に少し休める場所にしたいというのは、変えないようにしたいです」
『ありがとう』
『それで登録した』
『夜の休憩所』
『憩いの場所って感じ』
憩いの場所。
その言葉が流れた時、少しだけ胸に残った。
休憩所より、やわらかい言葉だと思った。
「憩いの場所って、いい言葉ですね。そういう場所にできたらうれしいです」
『採用された』
『ここは憩いの場所』
『夜野まことの憩いの場所』
「僕の、というより、来てくれた人が少し休める場所だといいですね」
『やさしい』
『自然すぎる』
その日は、なんとか一時間ほど配信を続けた。
同時視聴者数は、最後まで七百人前後を保っていた。
昨日が偶然ではなかったのだと、少しずつ理解する。
怖さもある。
でも、それ以上に、来てくれた人がいることはありがたかった。
「そろそろ今日は終わろうと思います。今日も来てくれてありがとうございました」
『おつまこと』
『おつまことー』
『今日も助かった』
『寝ます』
『宿題しろよ』
「宿題は明日ちゃんとやります。みなさんも、眠い人はちゃんと寝てくださいね」
コメント欄に、おつまこと、が流れる。
昨日より少し見慣れたけれど、それでも数の多さには慣れなかった。
「おつまことです。今日も、少しでも休めていたらうれしいです」
配信を終了する。
画面が静かになる。
俺は椅子にもたれて、長く息を吐いた。
「……終わった」
昨日よりは落ち着いていた。
でも、疲れた。
悪い疲れではない。
ただ、たくさんの人の前で話した後の、体の奥が少し熱いような疲れだった。
一息ついてから、配信用のアカウントを確認した。
通知が多い。
コメント。
登録通知。
フォロー。
感想。
さすがに今から全部見るのはやめておこうと思った。
ただ、一件だけ、DMの通知が目に入った。
知らないアカウントからだった。
アイコンは初期設定に近く、名前も特に何かを示すものではない。
開くか少し迷った。
蓮には、変なDMは開くなと言われている。
でも、件名のように表示されている最初の一文に、見覚えのある言葉があった。
『以前、好きで始めたことなのにしんどくなるとコメントした者です』
俺は少しだけ息を止めた。
あの人だ。
迷った末に、DMを開いた。
長い文章だった。
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突然のDM、すみません。以前、配信で「好きで始めたことなのに、しんどくなるのは変ですか」とコメントした者です。
あの時、まことさんに「変ではないと思います」と言ってもらえて、本当に救われました
好きなことなのに疲れてしまう自分がずっと嫌だったので、あの言葉で少し息がしやすくなりました
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俺は画面を見つめる。
あの時のコメントが、ただの一瞬ではなかったことを知った。
その人の中に、ちゃんと残っていた。
続きを読む。
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それと、今回まことさんの配信に急に人が増えたことについて、もし私の行動がきっかけだったらごめんなさい。
私が直接何かをしたというより、私の周りで話題にしたことが、結果的に別のところで紹介されてしまったのかもしれません
迷惑だったら本当にごめんなさい
でも、あの時のお礼だけはどうしても伝えたくて、DMしました
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俺はしばらく、何も打てなかった。
この人が何者なのかはわからない。
周りで話題にした。
別のところで紹介された。
その言い方から、何か事情があるのだろうとは思った。
でも、相手の正体を探る気にはならなかった。
あの時、配信に来てくれた人。
好きなことに疲れていた人。
俺の言葉で少し楽になったと言ってくれた人。
今わかるのは、それだけで十分だと思った。
俺は返信欄を開く。
何度か書いて、消した。
大げさに言いすぎても違う。
軽く流すのも違う。
少し考えてから、ゆっくり打つ。
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DMありがとうございます。あの時の方なんですね。もう一度言葉を届けてくれて、うれしいです。
僕の言葉で少しでも楽になれたなら、本当によかったです。
人が増えたことについては、驚きましたが、迷惑だとは思っていません。紹介してくれた方や、見つけてくれた方がいたから、今来てくれている人もいるのだと思います。
ただ、僕自身がまだ慣れていないので、少しずつできる範囲でやっていこうと思っています。
貴方も、無理しすぎないでくださいね。好きなことでも、疲れた時は休んでいいと思います。
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送信する前に、もう一度読み返す。
問題はなさそうだった。
俺は送信ボタンを押した。
すぐに返事は来ない。
それでいいと思った。
俺はスマホを置いて、天井を見た。
人が増えた。
数字が増えた。
コメントの流れも速くなった。
でも、最初に俺が向き合っていたものは、たぶん変わらない。
画面の向こうにいる、一人ひとりの人。
疲れている人。
眠れない人。
作業しながら聞いている人。
何かを好きなのに、しんどくなっている人。
人数が増えると、どうしても数字に見えてしまう。
でも、数字の向こうには人がいる。
それを忘れたら、夜野まことを始めた意味がなくなる気がした。
俺はノートを開いた。
今日のメモを書く。
人が増えても、一人ひとりに向かって話す。
全部は読めなくても、雑には扱わない。
無理に変わらない。
でも、必要なことは覚える。
最後に、もう一行だけ書いた。
来てくれた人が休める憩いの場所にしたい。
それは、誰かに言われた言葉だった。
でも今は、俺自身もそう思っている。
たくさんの人に向かって話すことになっても。
俺が見失ってはいけないのは、最初にコメントをくれた一人ひとりのことだと思った。
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