(6)
家の中に入り、彩花は居間へ向かうと、台所からちょうど戻ってくる雄太の母親と出会う。
雄太の母親は泣いた影響から目を赤くしていたが、前髪も少しだけ濡れていた。
そこから雄太の母親が泣いたせいで、汚くなってしまった顔を洗ったと推測した彩花は、
「大丈夫ですか?」
と、今の気持ちを尋ねることにした。
しかし、雄太の母親はその質問に対し、首を横に振る。
「そうですか」
その行動の意味を彩花は聞くことはせずに流すことを選んだ。
聞いたところで、それはきっと個人的な気持ちの問題が強く、これまた彩花ではそれに対するかけられる言葉が見つからないと思ったからだった。が、そんな状況の中でも言えるのは、
「タクシーを待たせてありますから、行く準備をしましょうか」
この非情の言葉。
「はい、そうですね」
雄太の母親もこれは雄太の部屋に行く前から決まっており、覚悟していたことのため、そう頷く。
「っと、その前に書置きぐらいはしましょうか。『元気に暮らしてね』的な簡単な言葉は必要ですよね。今生の別れではないですけど……」
彩花のその言葉に雄太の母親は首を横に振った。
「書きたい気持ちはあります。けど、それを書いてしまったら、余計に寂しくなるような気がしますので……。だから、止めておきます。その代わり、お願いを一つしてもよろしいですか?」
「お願い、ですか?」
「はい」
「私に出来ることなら、何でもいいですよ?」
「『お母さんがいなくてもしっかりしてね』。これだけ伝えてください」
「……分かりました。しっかりと伝えさせてもらいますね」
その一言に雄太の母親の本心が全部詰まっているような感じがした彩花は、しっかりと頷いた。そして、
「じゃあ、行きましょうか?」
自分が塞いでしまっていた玄関への道を作るため、少しだけ身体を逸らす。
そこを通り抜け、雄太の母親を先頭にして、外に出る。
そのタイミングでタクシーのドアが開き、雄太の母親はそのタクシーに乗る。
彩花はもう一度、運転手側へ向かい、窓を叩いて、窓を開けるように指示した。
窓を下ろした運転手は、
「どうした?」
と、彩花に尋ねる。
「今日はちょっと違った感じでお願いね」
彩花の意味深な尋ね方に運転手は一瞬理解が追いつかなかったらしいが、すぐに理解出来たらしく、
「おお、分かった。こっちはこっちで任せておきな」
親指を立てて、彩花の頼みをあっさりと承諾。
「さすがだね。あとはよろしくね!」
そう言って、彩花がタクシーから離れようとしたところで
「あ、すみません。家の鍵を……」
後ろに乗っている雄太の母親から呼び止められる。
「あ、そうですね。忘れてました」
そのことをすっかり忘れてしまっていた彩花は再びタクシーに近付くと、運転手経由でその鍵が渡される。
「ありがとうございます。あとは任せてください」
その鍵を受け取ったことを見せるように、左右に振ってから、タクシーから離れる。そして、家の玄関の前に立ったところでタクシーは発進。
本来ならば、その時手の一つでも振るのだが、今回はそれをしなかった。
それは雄太の母親のメンタルが過去の対象者の母親と比べて、心のダメージが大きいと思えたからだった。それだけ心が弱くなっていたのか、それとも偶然なのかは分からなかったが……。
「とにかく、私は私のやるべきことをやるかー。とりあえず、いつものようにあれからしようかな……」
そう言って、彩花は二階を見ながら、唇を意地悪く歪めた。