(7)
あれから数時間が経ち、太陽は完全に落ち、月が顔を出していた。
時刻は十時過ぎ。
彩花はあれから自分のやるべきこと、雄太の母親に聞き忘れていたことがあったため、それを聞いたりして忙しかったが、無事に済ませて、居間に設置してあるテレビを見ながら、ぼんやりとしていた。もちろん、ぼんやりしているわけではなく、二階にいる雄太の動く気配を感じ取りながらである。
「んー、起きてるくせになかなか下りて来ないなー」
ついさっき完全に起床したのは分かっていたのだが、トイレおろか食事、風呂に入るなどのために下りてくる様子がないため、そう呟く。
「下りて来たところで荒れるのは分かってるから、別にどうでもいいけど……」
状況が状況のため、『対象者が動揺しても暴言を吐かない』ということが経験上、今までなかった。そのやり取りが緊張し、面倒であることは間違いない。だからこそ、その緊張を隠すために先ほどから欠伸を溢し、自分の精神状態を落ち着かせながら、待っているのだ。
その時、二階の音が急に騒々しくなる。
「おっと、下りてくるつもりになったかな?」
そこから次の行動を予測した彩花。しかし、態度は先ほど変わらず、頬杖を付いたままである。
その予測は当たり、雄太は部屋のドアを勢いよく開けるなり、
「おい、ご飯はまだかよッ!」
そんな怒りの声と共にドタバタと階段を駆け下り、明かりが点いている部屋――彩花が居る部屋へと駆け込んでくる。そして、必然的に彩花と目が合ってしまう。
「……え?」
本来いるはずの母親ではなく、見知らぬ他人が自分の家で我が家のようにのんきにテレビを見ている様子が信じられないのか、目が完全に隠れるほど伸びた髪の隙間から驚いた目で彩花を見た。
「やっほー、雄太くん。遅いご起床だね。これは『おそようございます』って言った方がいいかな?」
対して、彩花も緊張はしていたものの、会う準備自体は出来ていたため、手を振って、挨拶をした。
「え、えっと……どちら様ですか? そ、それよりもお母さんは……」
驚きが怒りの感情を削ぎ落したらしく、雄太は彩花が今まで聞いたことがないほど冷静な声で彩花に尋ねた。
「ふむ、自己紹介するのはいいんだけど……それよりお腹空いてない? ちょっと温めてくるから待ってて。それぐらい話すことが多いってことで」
それだけ言って、彩花はその場から立ち上がり、我が物顔で台所へと向かう。
雄太は彩花のマイペースな行動に飲まれてしまったのか、「はぁ」と頷き、適当な位置へと座り、彩花が戻ってくるのを大人しく待つこととなった。
それから五分ほどでトレイの上に乗せた夕食を持って来て、それを雄太の前に置き、
「はい、どうぞ。とは言っても、この家にあった冷凍食品を温めたに過ぎないけど……。ちなみにその味噌汁は元から作ってありました」
それだけ言って、彩花も元居た位置に座る。
雄太は戸惑いながらも目の前に置かれた夕食――ご飯、ハンバーグ、キャベツの微塵切り、お味噌汁前にして戸惑いながらも手を合わせて、
「い、いただきます……」
と、礼儀正しくそう言ってから、箸に手を伸ばす。
「どうぞどうぞ、味わって食べるようなものでもないけど……。とりあえず食べながら、私の話を聞いてね?」
「……はい」
雄太は言われた通り、ご飯を一口含み、それを飲み込んだ後、小さく返事をした。
どうやら今頃になって不信感が心の中に湧いて来たらしく、前髪に隠れた目が鋭く彩花を睨んでいた。
そのことに気が付いていた彩花だったが、構わす話をすることにした。
「私は柊綾香って言うの。雄太くんのお母さんに頼まれてやってきた《引きこもり対策委員会》っていうところの人。まぁ、名前の通り、雄太くんを引きこもりから脱するための人だね」
そこまで述べた時、雄太の身体から発されるオーラがはっきりと敵意に変わった。そして、箸を乱暴にテーブルに投げつけると、
「勝手なことしてんじゃねーよ! あのクソババアがッ!」
勢いよく立ち上がり、母親を探そうと動き始める。
が、それが無駄な行動であることを知っている彩花はあえて引き止めることはせず、同じように立ち上がり、その様子を腕を組んで見守ることにした。
「居ないよ、この家には。というより、こうなることが分かってるからこそ、避難させてることぐらい予想がつかない?」
そして、ある程度の頃合いを見計らって、声をかける。
すると、雄太は急いで戻ってきて、
「はぁ!? 意味が分かんねーんだよッ! 勝手なことしておいて逃げるってどういうことだよッ! 今すぐ居場所教えろッ!」
彩花へと怒りの矛先を向けた。
そんな風に怒ることは想定済みだった彩花にとって、そんな怒りは大したものではなく、あくまで冷静に、
「教えるわけがないじゃん。そもそも居場所を教えた所で外に出るの?」
雄太が現在引きこもりであり、外に出られない現実を突きつけた。
そのことがさらなる怒りの引き金を押してしまったのか、
「うるさい、良いから教えろって言ってんだよッ!!」
そう言って、雄太は彩花へと殴り掛かる。
彩花はその行動に小さくため息を溢し、そのパンチを左へ顔を逸らすことであっさりと回避した。
まさか避けられるとは想像もしてなかった雄太のびっくりした表情を見て、同じように冷たい視線を向け、
「あのさ、この職に就いた時点でこんな風に暴力を振るうことなんて分かってるの。そんな私が、何の対応も実力も身に付けずにこんな風に話すと思ってるの?」
と、完全に実力差があることを言葉と雰囲気で示す。
「う……ッ」
居間に来た時と同じように雰囲気に飲まれてしまったのか、雄太は小さな呻き声を上げ、慌ててその場から逃げ出す。
逃げ込む部屋はもちろん自分の部屋である。
そんな雄太の情けない姿を見ながら、
「最初はこんなものだよね。どっちに主導権があるかはまだまだ教え込まないと……ね……」
彩花は不敵に笑いながら、雄太の後を追った。




