(8)
彩花が雄太の部屋の前まで追いつき、ドアを開けようとドアノブを捻るも、そのドアはガチャガチャと音を立てて、開こうとはしなかった。
――鍵ね……。
そう思った矢先に、
「勝手に入ろうとしてんじゃねーよッ! 絶対に学校なんて行かねーからなッ! お前らの思惑通りになると思うなッ!!」
先ほどの行動の怒りまた怯えから、『絶対に言いなりにならない宣言』が発された。
彩花からすれば、その言葉は対象者から過去何回も聞いてきた言葉。その宣言をなんとかしてきたからこそ、この場所にいるため、正直その言葉に信頼は何一つしてなかった。
「はいはい、それはいいよ。それが私の仕事であって、雄太くん――」
名前を呼んだ瞬間、
「人の名前を気安く呼ぶなッ!」
そう注意されたため、
「……分かったよ、はいはい。あんたが気にすることじゃないの。だから、その宣言は実際受け止めてもいい。けどね、食事だけはちゃんと食べなさい」
彩花は注意されたことをしっかりと守り、躊躇うことなく言い切った。
躊躇った様子もなく、「あんた」と言われたことに雄太は動揺してしまったのか、そのことに対してのツッコミがちょっと遅れ、
「なんで『あんた』なんだよ! 苗字とかあるだろうがッ!」
そう指摘するも、
「はぁ? なんで苗字で呼ばなきゃいけないのよ。引きこもりだからバカにしてるわけじゃないけど、立場的には私はあんたより上。せっかく友好的に名前プラスくん付けで読んでるのに拒否したのは誰? そんな奴は苗字より『あんた』で十分。それより、ご飯! 食べるの? 食べないの?」
彩花は直すつもりが一切ないことを伝えつつ、居間にある食べかけのご飯のことを尋ねる。
「そんなもんいるかよッ! 勝手に食うからほっとけよッ!」
雄太もまた名前の件で論争するのは無駄だと感じたのか、そのことよりも下のご飯のことについて答えた。
――……罠に嵌ってくれて、どうもありがとう。
ご飯を拒否することが分かっていた彩花は内心ほくそ笑み、
「オッケー、分かった。下のご飯は片付けておくね。言っとくけど、カップラーメンとか即席ラーメンがこの家にあると思わないでね。じゃ、飢え死に頑張って」
それだけ言い残し、部屋の前から立ち去ることにした。
「なッ……どういうことだよッ!」
そんな驚きの声が雄太から聞こえてきたものの、彩花からすれば重要なことはちゃんと伝えたため、その質問は無視して一階に下りていく。
さすがにこのままでは駄目だと感じたらしい雄太はドアの鍵を外し、部屋から飛び出す。
「ちょっと待てよッ! 今のはどういう意味だよッ!」
その疑問をちょうど階段の一番下まで下りた彩花に投げかけた。
――入れなくても出す手段はいくらでもあるもんねーだッ。
彩花は振り返る前にそう思いながら、舌をベーッと出して、意地悪く笑った後、振り返る。振り返る頃には先ほどのような少しだけイラついた表情に変わり、階段の壁に凭れつつ、両肘を両方の手で掴みながら見上げる。
「どういう意味? 考えたら分かるんじゃないの?」
「それが分からないから聞いてんだろッ! 家に一個や二個ぐらいの――」
「捨てた」
その希望を打ち砕くように自分が行った行為をあっさりと暴露する彩花。
まさか現代社会でそんな非情行為をすると思っていなかった雄太は、一瞬にして青ざめてしまう。それは、過去に母親が作った食事を拒否した際には、そうやって飢えを凌いできたことを説明していた。
「な、なんでそんな勝手な――」
「どっちが勝手だって?」
「は、はあッ!?」
「言っとくけど、冷凍食品だろうがなんだろうが、一応準備してもらってるの。それをあんたの勝手な都合で切り捨て、カップラーメンを食べる? それのどっちが勝手だって言うの?」
「……ッ! それは……でも他人の――」
「今はあんたの引きこもりを直すために、私がここにいる。つまり、あんたは私より下なわけよ。母親が居ない今、ここの宿主はあんたなのかもしれなけど、それより上の母親に頼まれた私はあんたより立場が上。オッケー? だから、あんたに私に命令、指示する権利は一切ない!」
バシッ! とそう言い切る彩花。
雄太からすれば、ここまではっきりと言い切られるとは想像してしなかったらしく、反撃に出来る言葉が思い浮かばないのか、口がモゾモゾと動くばかりだった。が、すぐに明暗を思いついたのか、
「勝手にしやがれ! ボクも勝手にするから!」
それだけ言い残して、部屋に戻ろうとしたため、
「窃盗で警察に突き出すからね」
彩花がそう言うと、階段の奥に消えようとしていた雄太の頭が止まり、こちらに戻ってくる。
「な、なんで……」
「あんたさ、バカ? ここまでされて、飢えを凌ぐパターンなんて『財布からお金を抜き取る』以外の選択肢しかないでしょ。私を舐めないでよね」
「……ッ! でも、親の――」
「親のでも! お金を盗んだら、そこで窃盗なの。まぁ、あんたのお母さんから聞いて、財布と通帳はあんたが分からないところに隠させてもらったけどね。もちろん、私の私物を触った時点でアウトだし、金なんて抜いたら速攻で突き出す」
それが脅しではないことを伝えるように、今まで雄太に見せたことがないほどの鋭い目で睨み付ける。
――さあ、どうでるのかな、雄太くんは。
外見はそんなことを思いながらも、彩花は内心ではそう面白がっていた。
ここまで追い詰められれば、『あっさりと食事の件は言うことを聞く』または『反抗してギリギリまで耐える』の二択ぐらいしかないからだった。発言としては飢え死に応援したが、さすがにそこまでさせるつもりはなかった。ないにしてもギリギリまでは助けるつもりもなく、一時的に回復させたとして同じような手段に出たとしても、またギリギリまで助けるつもりはない。そんなことをして苦しいのは結果的に自分なのだから、素直に折れた方がいいことを教えるのも、一つの手だと考えているのだ。
「う、うぐぐぐ……」
そんな選択肢を突き付けられた雄太は唸りながら、自分のプライドと戦い始める。
ここまで言い切られると、彩花が本当にそうすることが簡単に想像出来たらしい。
他人からすれば大した問題ではないのかもしれないが、雄太からすれば重要な問題のため、彩花は急かすことなく雄太がどんな結論を出すのか、大人しく待つことにした。