7 最初からそうしてください
夜も遅くなって、私は篭の中へと戻された。
「これは置いていくから、お前が預かっておけ。俺以外には触らせるな。分かったな?」
言い放って魔王が差し出したのは、私が朝、絨毯に放置していった剣で、はい、と頷きながらそれを受け取る。
でも、この剣は魔王にしか触れない術が掛かっているんじゃなかったか、と首を傾げると、私の疑問を感じ取ったかのように魔王が目を細めた。
「お前は『封破り』だ。お前が手渡せば、それはどんな奴にだって触ることが出来る」
だから誰にも触らせるな、と囁く声が低かったので、慌ててこくこくと頷いた。
私の様子を見て満足げに鼻を鳴らした魔王が、私を置いて檻から出て、そのまま檻の戸を閉じる。
かちゃりと鍵まで掛けて、去っていく魔王を見送ってから、私はとりあえず剣を隠しておくことにした。
朝は放置してしまったけど、どうやら大事なもののようだし、人目に付かないほうがいいだろう。居るのはみんな魔物だけど。
きょろりと周囲を見回して、檻の中に唯一ある家具であるベッドへ近付く。
いくらなんでもベッドの上には隠せないので、一度剣を置いてから、ずりずりとベッドを中央へ向けて引き寄せた。
端との距離がそれなりに開いたのを確認してから、剣を持ってベッドの向こう側へ移動する。
格子に背中を向けて、ベッドの側に屈み込み、私は剣を絨毯と籠の底の間に押し込んだ。
かりかりかり、と少しだけ鉄を削る音がしたけど、まあ気にせず絨毯でしっかり隠す。
それからベッドの向こう側へと戻り、ベッドを元通りにすれば終わりだ。
「……よし」
きちんと隠せたことに息を吐いてから、私はそのまま絨毯の上に座り込んだ。
体を覆っているのはふわふわしたドレスだからか、しっかりと膝までを隠してくれる。
ちらりと見上げれば、窓の外には月が見えた。
「……ティアルダさん、どうしてるかな……」
小さく呟いて、優しかったあの人を思い浮かべた。
身よりも無い上に得体も知れない人間を受け入れてくれて、部屋も食事も服もくれて、優しくしてくれた。
字が読めないと知ったときも、困った顔はしたけど怒ったり哂ったりしなかったし、覚えなおせばいいし思い出すかも知れないから、と本までくれた。
もしかしたら、ティアルダさんは私のことを死んだと思っているかもしれない。
そのほうがいいかもしれないな、と思った。
このまま帰れないんだったら、元の世界でも死んだことになってくれていればいい。
きっとお父さんとお母さんは心配してるだろうし、友達だって心配してくれてるだろう。
行方不明のままで心配をさせるくらいなら、悲しませても、『死んだ』ことになっているほうがいい。
「……そういえば、あの本ってなんだったんだろう」
そこまで考えてから、ふと昼間に読んだ本を思い出して、私は窓から視線を逸らした。
日本語で、私でも知っている童話ばかりが書かれた本だった。
けれどタイトルと奥付にはこの世界の文字が使われていた。
この世界で、日本語の本が発行されたということだろうか。
そんなこと、ありえるのだろうか。
「……んー……」
少し考えてみて、けれどよく分からなくて溜息を吐く。
一人きりでぐだぐだ考えたって、いい考えは出てこない。
とりあえず寝ようと考えて、私はその場から立ち上がった。
昨日は使わなかったベッドに近付いて、そのままその上に転がる。 ドレスはしわくちゃになるかもしれないけど、他に服を貰っていないから仕方ない。
毛布を引き上げながらそんなことを考えつつ、私はベッドの上で眼を閉じた。
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何かを感じて目を開いたとき、そこにあったのは銀と赤だった。
「よく眠るなお前は」
寄越された言葉を聞きながらぱちぱちと瞬きをしてみて、そこに居るのが何なのかを把握して飛び起きる。
「魔王! ……様!?」
心臓がばくばくだ。
私の飼い主を自称する魔王が、どうして私の隣に寝そべっているのか。
体が大きいから、足がベッドの端から飛び出ていて、かなり窮屈そうだ。そこまでするくらいだったら、柔らかいし絨毯に寝たほうがいいと思う。
私を見上げた魔王が、にやりと笑いながら起き上がった。
互いに座るとやはり向こうのほうが視点が高いので、私は彼を見上げる形になる。
「どうして、ここに」
訊ねながら、私はちらりと窓を見やった。
月は見えないし真っ暗ではないけれど、まだ明るくはなっていない。
夜明け前、と言ったところだろうか。
「どうにも眠れんからな。暇だからペットを構いにきた」
言い放つ魔王の手がこちらへと伸ばされて、私の髪を撫で付けた。多分、寝癖が付いていたんだろう。
「構うって……」
ようやく心臓が落ち着いてきたのを感じながら、私は小さく溜息をこぼす。
驚きすぎて、眠気が吹き飛んでしまった。どうしてくれるのだ。
私の気持ちを全く知らない魔王が、私を見つめて目を細める。
「お前は人間にしてはおかしな奴だからな。大人しく構われろ」
「おかしな……」
よしよしと動物にするように頭を撫でられて、少しだけ眉を寄せる。
そういえば、魔王は目が覚めたときからそんなことを言っていた。おかしな生き物、だとか。
髪は染めないがスカート丈は短め、成績は中の中だった平均的女子高生の私に対して、おかしいとは何事だろうか。
「何処がおかしいと?」
訊ねて見上げれば、私の問いを聞いた魔王が楽しげに笑う。
「まず、毛色だな。こんなに黒い奴は、人間の中では見たことが無い」
きっぱりとした言葉に、そういえば村には茶髪とか金髪が多かった、と思い出す。
ティアルダさんは何も言わなかったけど、色素の薄い人たちの中では、こういう色はやっぱり珍しかったんだろうか。
「それから、おかしな気配がする」
言いつつ、魔王の手が私の頭を離れて、するりと私の手を捕まえた。
らんらんと輝く赤い瞳がこちらを見据えてきて、思わず身を引く。
けれど手をつかまれているから逃げることは出来ずに、魔王の目がじっと見つめてくるのを見つめ返すことしか出来ない。
「お前はおかしな生き物だ」
またもや失礼なことを言って、まあだからペットにしたんだがな、と魔王は呟いた。
おかしな気配、というのはなんだろうか。
もしかして、私が別の世界からここへ来た事と、関係があるんだろうか。
問いたいけどそれは言えないままで、眉を寄せた私の手から、ゆっくりと魔王が指を離した。
「それより、ミツ。剣は何処だ?」
「え?」
預けるといったくせにそういわれて、私は目を丸くする。
さっさと出せ、と気にした様子もなく言われたので、はいと答えてからベッドを降りた。
それからベッドに座っている魔王を見やって、退いてください、と言葉を放つ。
魔王が、不思議そうに首を傾げた。
「何故だ?」
「その下にあるんです」
「……何?」
言われて、魔王が立ち上がり、ベッドをひょいと持ち上げる。
私が眠りに付く前必死になって動かしたベッドが、たった一本の腕に支えられていた。
「無いぞ」
元ベッドがあった位置を見やって、魔王が私を振り返る。
ちょっと力が強すぎないだろうか、と思いつつ、私は魔王へ近付いた。
「そのまま、動かないでください」
頭の上にベッドを下ろされてはたまらないので、そう言いながら格子の側まで歩く。
そうして屈みこんで絨毯をめくり、押し込んだときと変わらぬ姿で入っていた剣をひょいと取り出した。
「こちらでよろしいですか」
言いながら視線を上げると、片手にベッドを持った魔王が、少しばかり呆れた顔をしている。
「……なんでそんなところに」
「隠したほうが良いのかと思いました」
問いかけに答えながら絨毯を直して、剣を片手に魔王の側へ戻る。
大して重くもなさそうにベッドを下ろしてから、魔王は私から剣を受け取った。
金色の柄が、主の元に戻れたことを喜ぶようにぴかりと光を弾く。
何かを確かめるように剣を見ていた魔王は、ふむ、と頷いてから、それをぽいっと絨毯の上に捨てた。
ごん、とちょっと重そうな音がする。
「……魔王様?」
一体何をしているんだろうかと思ってそれを見ていると、屈んだ魔王が自分で落とした剣を拾い上げ、それからベッドへと足を向けた。
ほんの数歩で辿り着いたそこに座り、ついでのように寝転ぶ。
やっぱり足がはみ出ているけど、魔王に気にした様子はない。
「ミツ」
「はい」
呼ばれて答えると、私を見た魔王がにやりと笑った。
「朝日が出たら起こせ」
そしてそう言い放ち、両手で剣を抱えたまま、そっと眼を閉じる。
驚き目を丸くした私の前で、数秒のうちに寝息が響きだした。
「…………寝てる」
そっと近付き、起きないのを確認して、そう呟く。
鼻をつまんでみても、瞼を押してみても、ちょっと触ってみたかった角を掴んでみても、魔王に反応はない。
熟睡しているらしい様子に、私はちらりと魔王が抱えている剣を見やる。
あの剣には、魔王が眠りに落ちる術が掛かっている筈だ。
もしや、眠れなかった魔王は、睡眠導入の為にその術を使ったんだろうか。
「……だったら、自分で持ってればいいのに」
呆れた気持ちで呟きながら、私はベッドの上に唯一の毛布を掴んだ。
ずるりと引き寄せたそれを魔王の体に掛けてから、自分はベッド脇の絨毯に転がる。
絨毯も柔らかいし、あまり寒くないので、毛布がなくても問題はない。
それに何より、魔王に毛布を掛けずに私が使っているところなんかを誰かに見られたら、魔王にどんな告げ口をされるとも分からない。
やれやれと息を吐き、さっき魔王に吹き飛ばされた眠気を誘うべく、私はそっと眼を閉じた。