第3話
ゼルクは書類を持ち、それらを各部署に届けるための手続きをしに部屋から出る。
「とにかく。暴走を抑えこむ手段がキスであるのですから、諦めて結婚を受け入れてくださいね。」
捨て台詞のように言葉を残して、扉は閉められた。
残されたマチルダはふてくされたようにフィンリーを睨み付ける。
「私はそれが嫌なんだよ…。好きでも愛してもいない人間とキスをしなければいけないなんて…。」
ゼルクが言った通り。
能力者の暴走を抑え込む手段は、キス。
何でこんな方法なのかと、マチルダは思わずにはいられない。
相手は見ず知らずの人間だぞ?
その人間とキスをしなければいけないのだぞ?
ハードルが高すぎる。
せめて手をつなぐとか、体がどこか触れればいいとか、そういうのにして欲しかった。
だが、マチルダが世界に異議申し立てしたところで、世界特殊能力者委員会なるものが申し立てを受け入れてくれるわけでもない。
「ふむ。マチルダは、愛がないのが嫌だ、ということだな?」
至近距離にいたフィンリーの整った顔。
世界特殊能力委員会とか考えていたために、意識がぼーっとしていたマチルダ。
突然のフィンリーに思わずのけぞった。
しかし後ろには椅子。
対してその距離は離れない。
「ちょ、近い!離れろ!」
「おぉ!マチルダの顔をもっと近くで見たいと思っていたら、こんな近さにまで来てしまった!」
相変わらずのでかい笑い声に、マチルダはため息を吐く。
体を鍛えることは悪いことではないし、なんならマチルダは体を動かすことは進めたい。
それに常に笑顔だというのも、相手に表情を読み取らせないし、初対面の人間に対して良い印象を与えることができる。国王としては良いことをしているのだろう。
だが思わずにはいられない。
(こんな筋肉だるまにならなくても良かったんじゃないのかなぁ~。)
見た目だけの筋肉ではなく、この男、実際に強い。
騎士が十人がかりでようやく抑えることができるほどの強さだ。
守られてばかりよりも良い。良いが、しかし。
「やり過ぎじゃないかなぁ~。」
「ガハハハハハハ!」
フィンリーはマチルダが今考えていることが分かったようだ。
ゼルクも言っていたように、二人は刃と鞘。
どちらかというとマチルダの方が、フィンリーから離れることができないのだ。
暴走時の苦しみは、身を引き裂くほど。
フィンリーさえいればその苦しみを受ける必要がないのだから、一緒にいるのが良いというのは分かる。
しかしマチルダは嫌なのだ。
愛のない関係の脆さも、その関係が壊れたときの残酷さも、知っているから。
「そうだ。うやむやにされていたけど、結局あれ、何回したんだ?」
逃がさないぞ、と睨み付ける。
フィンリーは書類整理がひと段落したのか、自らの手でお茶の用意をしている。
大きい手に比べて小さいティーポットを器用に扱い、淹れられるお茶は美味だ。
今も良い紅茶の香りがマチルダの鼻を刺激する。
「さっきも言ったが、七回だ!」
「私の記憶が正しければ、はじめて会った時とさっきの二回だけだと思うんだが。」
「ふむ!少なくとも、この国に来てから四回はしてるな!」
「この国に来てから…?え、この国に来る前の一回は分かるが、それ以外っていつだ?!というか四回もしてたのか?!」
混乱を極めるマチルダに、なんてことはないとフィンリーは言う。
「この国では基本、其方が寝てるときに、だな!」
「へ。」
ね、ねてるとき…?
二人は今、婚約者という関係ではあるが、まだ夫婦ではない。
そのため部屋は隣だが別であるし、もちろん寝室も別だ。
つまり、目の前の男、いやこの国の王は、勝手にマチルダの部屋に侵入し、勝手にマチルダの体に触れているということになる。
「ぎゃー!!な、な、何をしてるんだー!!この変態がー!!」
「ガハハハハハハ!私は変態じゃないぞ!」
淹れられた紅茶。一つは自分に、もう一つはマチルダに。
「飲むか?」と差し出された紅茶は、先程もわずかに香ったが、良い匂いがする。
それに王宮で出されるものであるならば、高級で味も質も保証されている。
飲みたい。飲みたいに決まっている。
しかし。
「こんな状態で飲めるか!!」
自分の状態を見せつけるように、彼女はガタガタと揺れて見せた。
「ガハハハハハハ!それもそうだな!であれば、私が飲ませてやろう!」
「!い、いい、いい!自分で飲む!そこの机に置いて、縛っている紐を外せ!」
ニコニコと楽し気に、ウキウキとしながら近づいてくるフィンリー。
「それはできない!其方はすぐにどこかへ行ってしまうからな!」
「行かないから!お茶を飲んでいる間はおとなしくするからぁ!!」
じりじりと近づいてくる、整った顔と筋肉の男、それに美味しそうな紅茶。
天国と地獄が合わさった状況に、マチルダは「わぁあああああ!」と必死の抵抗を続ける。
紅茶が近づいてくるのはまだ分かるが、なぜ一緒にフィンリーまで近づいてくるのか。
どうでも良いことを考えながら、それでも抵抗を続けていたマチルダ。
あともう少しで紅茶が口に触れる、というところで、大きな音が二人の耳に届く。
カンカンカンカンッ
マチルダが脱走をするたびに国中に響く鐘の音であった。
緊急事態が発生した場合の鐘。
しかしその数は、いつもよりも多い。
声に自信のある騎士が叫んだ。
「緊急事態!緊急事態!魔道国が侵攻中!魔道国が侵攻中!国民は直ちに避難を!騎士団は直ちに出動せよ!」
魔道国。
魔道具と呼ばれる道具を生活に取り入れ、魔道具に頼り、生活を行っている国。
「魔道国、だと?!」
「ふむ!前々から我が国を攻め落とそうとしていたが、とうとう来たか!」
この王国は、フィンリーを頂点とするただの国ではない。
他国からは貿易国と呼ばれており、その名の通り、貿易の盛んな国である。
独自の貿易経路を確保し、世界中とつながっている。
また多くの国に隣接しているため、この国を避けて通らなければならないとなると、時間・費用が掛かるだけでなく、整えられた安心・安全な貿易路で快適な移動もできなくなる。
航路、空路も充実し、貿易品も豊富。
仲を深めようとする国もいれば、奪おうとする国もいる。
魔道国は奪う方だった。
「魔道国がそんな、いや、あいつがそんなこと許すわけない!何かおかしい…っ、確認しなければ!」
「!マチルダ!」
マチルダの抵抗があっても、中々切れなかった縄。
こすられてはいたが、切れるほどではない。
「増強!腕!」
しかしそれも、能力を使われてしまえばどうしようもない。
ぶちっと音を立てて千切れた縄をそのままに、マチルダは素早く窓に足をかけた。
「マチルダ!」
「行ってくる!」
呼ぶフィンリーを見ることもなく、マチルダは再び能力を使う。
「増強、両足!」
飛び出したマチルダはその時、出たばかりの執務室での出来事に気づかなかった。