009,ひとでなし
チゴユリの容姿、それはまさにエルフの特徴そのものだった。
「あっ……」
「ひさしぶり、ってほどでもなかったかな? 僕は常にこちらにいるわけじゃないし、そのへんの感覚って未だにいまいちつかめないんだよね」
語りかけるメラクの調子に特段変わったところは見られない。思いやる調子でもなければ、咎める調子でもない。
「我々は、チゴユリをエルフたちの許へと返すために参りました」
一歩、歩み出たツイートが、そう言って頭を下げる。
「ああ、姿を見ないと思ったら、そういうことだったの?」
メラクは傍らのクララへと視線を向ける。
「はい……チゴユリは先の人間との戦いの折、行方不明となっておりました。遺体を確認できていなかったのですが、戦死したものとばかり……」
「ふうん……まあいいか。で、一旦は攫ったのにわざわざ返しにきたってわけ?」
さきほどまでのふざけたような様子は見せずに、妙にたんたんとした調子で質問を投げかける。
「ええ……あ、いや、攫ったのは我々ではありません。我々は偶然、彼女と出会い、保護したのです」
「それで連れてきたってこと? へえ、人間には変わった連中がいるもんだねえ。でもちょっと、アリオトは放任がすぎるんじゃないかなあ……」
殺してしまえばよかっただろうに、とまではメラクも言葉にしなかった。敵同士なのだから、という意味の感覚であり、眷属を殺されることを望んでいるわけではないのだ。
メラクの言葉にイノリが反応する。
「あ、あの……アリオト、様をご存知なのですか?」
アリオトといえば、国を越えて多くの信者を抱える大宗教の唯一神だ。それがいきなり目の前の規格外な何者かの口から名前が出たことで、つい質問してしまったイノリだった。
「ん? ああ、なんとなく察してるかもしれないけど、アリオトと僕、そして向こうにいるドゥベは旧知の仲だよ」
「あ、あちらの子犬も、ですか?」
カナサンの胸に埋もれるようにしていたドゥベが、ぶすっとした視線をイノリに向ける。
「ふくく……彼はああ見えて狼なんだよ。あまり失礼なことは言わないほうがいいよ。くく……」
笑いをかみ殺しながら言うメラクと対照的に、イノリはもうしわけございませんでした、と本気で焦った様子を見せ、地に伏して頭をさげた。
「いやなに、気にするな。この見た目だから、しょうがないさ」
ドゥベが言葉を投げかけると、イノリは体を起こして、
「はい、失礼いたしました」
と再度、頭だけをさげた。横に立つツイートも向き直り、頭をさげている。
「それで、君たちはチゴユリを連れてきてどうしようっての? 何か、お礼がもらえるとでも?」
お礼、のあたりで身じろぎし、しなをつくって見せるメラクに、しかしツイートは動じなかった。
「いえ、我々はあくまでも護衛として、森に帰る彼女に同道したに過ぎません」
その言葉は本来なら疑ってかかられてもおかしくないものだろう。まったく何も望むものもなく、ただの親切心で敵陣近くまで踏み入ろうとしたというのだから。だが、
「あっそ」
メラクは疑わなかった。ただ、ひどくつまらなそうな顔をしている。
「でもまあ、せっかくだからつれて帰りなよ? もうチゴユリのことは忘れるからさ」
「え……」
チゴユリは驚愕に目を見開いた。ツイートの表情には、何を言っているのか理解できないという色が浮かんだが、それは次第にべつの色に染まっていく。
「な、なぜですか、彼女はこうして、帰ってきたというのに……」
珍しく身振り手振りをしながら話すツイート。ふだんはそうそう聞くことのできない、怒りを含んだ声音をしていた。
「僕、穢れたものには興味ないんだよね」
メラクはひどく冷めた目をチゴユリに向けた。
「君たちもわかるだろうけどさ、チゴユリ、すっごいかわいいよね。僕もけっこう気に入ってたんだ。でもさ、人間に穢されたチゴユリなんて、僕はもう要らないよ」
「い、いや、彼女は穢されてなどいないはず……」
ツイートは、はっきりと聞いたことがあったわけではなかった。ただ、チゴユリは戦場から移送される途中だったと推測していたので、時期的に、娼館で働かされたり、好事家の慰み者になったりした経緯はないのだと思っていただけだ。
加えて言うのならば、エルフを捕らえて移送するというにしては状況がおかしかったし、そもそも、移送すること自体がおかしいといえばおかしい。発見したときの様子からも、乱暴されたとは思われなかった。
チゴユリは言葉が出てこないのか、涙で瞳を潤ませながらツイートの言葉に必死でうなずいている。
「ああ、そういう意味での穢れがないことはわかってるよ。僕が言っているのはさ、”そういう”ののことだよ」
見下すような視線を向けながらの言葉に、ツイートとチゴユリは揃って振り向き、メラクに視線を向ける。
「まあね、趣味の幅が狭いとは思ってるんだけどさ、やっぱダメなんだよね僕。独占欲ってのかな? それよか、自分を投影したものが自分以外の存在に懸想したりするのが気持ち悪いって感じなのか……僕自身よくわかんないけど」
メラクの言葉に、傍らのクララは目をつぶってただ佇んでいる。その表情にはとくに感情をうかがうことはできない。
一方の人間ふたりはといえば、怒りを滲ませた表情をしている。だが悲しいかな、目の前の怒りの元凶は、それをぶつけてどうにかできるような存在ではないのだ。そして、二人ともそれがわかって、かつ自制できるほどには熟練したハンターを自認していた。
そしてドゥベはメラクと同じ、神だ。メラクを含め、他の神よりは長らく実際に眷属と触れ合っているが、やはり眷属たちが感じる同族に対する感覚と、神が眷属に抱く感情には少なからず乖離がある。まして、エルフはメラクの眷属であってドゥベの眷属ではない。こいつはそうなのか、と思いはしても、口出しはしなかった。カナサンは何も考えていない。
唯一、あからさまに心を乱しているのは当のチゴユリだけだった。
「そ、そん、な……メラク様、私、私……」
ぽろぽろと涙をこぼしながら言葉をつむごうとするが、うまくいかない。
「あー、それ、さっさと連れてってくれない? 僕だってまったく心が痛まないってわけじゃないんだよ。かといって許せるものでもないしさ。さっさと忘れちゃいたいんだよね」
その言葉に、奥歯をぎりりと噛み締めるツイート。拳も硬く握り締めている。それでも堪え、チゴユリの肩に手を置いた。
「行こう……」
それだけを口にし、ドカタの許へと歩き出す。
チゴユリは子供のようにいやいやと首を振り、座りこんだままその場を動こうとしない。
イノリにはわからなかった。おそらく、ツイートにもよくはわかっていないだろう。なぜあれだけのことを言われてまで森に帰りたいのかと。いや、敵である人間たちに囲まれて隠れ潜んで暮らす日々はたしかに辛いものだろう。だが、エルフの権力者どころか、創造神だというメラクに疎まれてまで森に留まってどうなるというのか。
いつか許されて、元の満たされた生活を送れることを期待しているということなのか。
一連の考えが、短い付き合いながらも、こうして死地にまで赴いた自分たちよりも、冷淡な言葉を向けるメラクを選ぶのかという、嫉妬に近い感情から生まれていることにも、イノリは気づいている。気づいてはいるが、そう思ってしまうことはやめられない。チゴユリを憎からず思っているからこその感情だった。
「チゴ、行こ……?」
座りこんだままのチゴユリの傍らにしゃがみこみ、首を傾げて覗きこむようにして、そっと話しかける。
「大丈夫、あんたのことは、私たちが守ってあげるから」
そう言ってふわりと両腕をチゴユリの背中に回して、やさしく抱きしめる。イノリの胸に顔を埋めたまま、ぐすぐすと泣き続けるチゴユリの背中を、イノリはゆっくりと撫でさすった。
それを見ていたメラクはひとつ嘆息して、ドゥベたちに向き直った。
「さ、雑事は片付いたし、あらためて話そうじゃないか。ところでドゥベはどうして僕のところにやってきたんだい?」
「ん、ああ……。べつにおとなうつもりはなかったんだが、ちょっとした事情でな……」
ドゥベの言葉に、メラクは「んー?」とうなりながら小首を傾げている。見た目が完璧な美少女なだけあって、ちょっとした仕草ですら絵になる。性別の概念が薄ければ、自分の姿を見て一目惚れにちかい感情を抱いてしまうのも無理はない話だろう。なにせ、ほぼ間違いなく、それまでに見てきただれより、何よりもうつくしいものが姿見のなかに映し出されるということなのだから。
「自発的にやってきたわけじゃないのなら、何かから逃げてきたってところかな? その子はあんまりレベルは高くないみたいだけど、でもこの辺の魔物に遅れを取るような感じはしないよねえ」
ドゥベがそうであるように、メラクもまた他神の眷属のレベルを認識することができる。
「あ、もしかしてさっきの人間たちに追い回されたとか?」
面白いいたずらでも思いついた子供のような笑みを浮かべて言う。
ドゥベは不服そうに顔をそらしながら、
「ああ、そうだよ。まったくもって遺憾なことだがな」
と正直に白状した。その様子をメラクは愉快そうに眺めている。
「くふふ……言ってくれれば殺してあげても良かったのに」
歩き去っていく人間たちの背中を見やりながらメラクが口にする。ツイートがドカタを背負い、イノリがチゴユリの肩を抱いているのが確認できた。発言に疑問を抱き、ドゥベは思うまま質問する。
「生かして帰してよかったのか? というかおれたちも敵同士だが」
「んー……いくらなんでも自分の眷属を手にかけるのは気が進まないし、眷属同士で殺し合わせる趣味も僕にはないしねえ。引き取ってくれるっていうなら三人くらい見逃したっていいさ。ドゥベはまあ、ぶっちゃけもう敵でもないでしょ。向かってくるっていうなら迎撃するけど?」
瞬間、周囲に複数潜んでいるエルフの気配が攻撃の意思を高めたのをドゥベは感じた。神が直接的に眷属を殺めることはしない、というのをメラクも遵守するようだ。さきほども、もし殺すとなれば伏せているエルフたちに狙わせるつもりだったのだろう。人間たちはそんな神の事情など知る由もないだろうから、強大な気配を発するメラクを相手取ることを恐れていただろうが。ドカタの件については、まあギリギリセーフとか、グレーゾーンというところではないだろうか。
「いや、こんなところで無駄に死なせるつもりはないぞ」
「ふふ、それがいいよ。で、ドゥベはこれからどうするつもりなの? 僕はそろそろ帰ろうかと思うけど。里のみんなと触れ合う時間も残しておかないといけないしねー」
そんなことを言いながらメラクはだらしない表情を見せている。
ドゥベが常時顕現していることもあって感覚がおかしくなっているが、本来、神がこの世界に直接姿を現すというのはけっこう大変なことだ。これにはマナが必要となるのだが、その量というのがかなりのものなのだ。
なぜマナ不足に喘いでいるドゥベが常時顕現していられて、安定的にマナを獲得できているメラクにそれが難しいのかといえば、それは領土の差だ。広く領土を獲得すれば、その領土を治める眷属の神は強大な存在ということになっていく。強大な存在は顕現に際して、それに比例しただけのマナが必要となる。そういう理屈だ。
つまりドゥベが常時顕現していられるのは、限りなく弱小な勢力だから、ということになる。遊びのようなこの世界の理屈に照らせば、弱小勢力になった神は眷属に対して直接的な干渉が可能になり、有利不利を覆す芽が残されるといったところか。