五日目
今日から冬夜の修行開始!
12月30日
冬夜はいつものように早く目が覚めた。自分が寝ている隣を昨日の朝のように確認するが、今日そこには今まであった温もりは無かった。冬夜は体を起こすと、折りたたんだ布団を、誰かがいるかのような丁寧さで元に戻した。これも彼にとっては日課だったのである。
彼女をいち早く奪還するため、冬夜はすぐに着替えて下に向かった。
下に向かうと、心地の良い香りが鼻孔をくすぐった。一階から香ってくるその匂いは、どうやらリビングからのようだ。
冬夜は階段をおそるおそる降りながらリビングを覗き込むと、気配に気づいたのかその人物は気さくに手を振りながら。
「おはよう。冬夜君」
冬夜の目の前には、優雅にコーヒーを口にする神主姿の天野がそこに居た。コーヒーカップを置いた後、焼いてる食パンをカリッと一口食べると、良く噛んで飲み込んだ。――とても日本の神様らしくない姿である。
「失礼だね君は。神様だって別に昔からのしがらみに縛りつけられるだけじゃないんだよ? ある神様は休みの間にゲームに熱中したり、ボーリングをしたり。現代の日本人のようなことしかしてないと思ったら大間違いだよ?」
「確かに個性があっていいですね……じゃないですよ! 僕はすぐにきなを助けに行かなくちゃならないのに、どうして余裕なんですか!?」
怒声を飛ばす冬夜を無視するように、天野は二口目の食パンを口にして再び飲み込んだ。
「それは彼らが事を起こすのが二日後だからだよ。昨日も言ったろう?」
天野はそう言うと、ブラックのコーヒーを特に苦そうに思ぬそぶりで飲んだ。
「……にがっ」
「砂糖持って来ますから少し待っていてください……」
冬夜がキッチンからコーヒー用のシュガーとミルクを持ってくると、天野は「ありがとう」と言って両方ともコーヒーの中に全て入れると、スプーンを精製してかき回し始めた。とても便利な能力である。
「そういえばまだ聞いていませんでしたが、どうして二日後なんですか?何かあるとすれば……」
「一月一日。それは元旦の日だよ。その日だけはどんな神様も忙しくなる。なんせ一年の始まりがその日なんだから、神様だって様々な仕事をする日になる」
「そんな日にきなの力を使えば……」
「君の想像する通りだ。そんなことをすれば、神を今でも少なからず信仰しているこの日本に災いが降り注ぎ、元旦が最悪な一日になるかもしれない」
きなを救わないことは、日本中人々への被害、そして日本の滅亡を意味しているのであった。
「と世界が危ない感じになっているのにも関わらず、こうやって私が気楽にコーヒーを飲めるのには、一つの確信があるからだ」
楽しそうに笑う天野に、冬夜は不思議そうに問いただすと、よくぞ聞いてくれた。と言わんばかりの顔で言葉を発した。
「それは君のおかげだ。柴咲冬夜君。私は何の能力も無い君に、少しだけ期待しているんだ。何もないがゆえに。私はどうして『四気神』は君を選んだのかと言う疑問を抱いた。『四気神』は力があると同時に知識も豊富だ。だから彼女は何の理由もなしに君に力を渡してあの神のもとに行ったわけじゃないだろうと思っている」
私はそんな君に彼女と同じくらいにこの状況を打破してくれると信じているのだよ。
天野は冬夜に楽しそうにそう言うと、コーヒーを飲みほして椅子から立った。
「君も早く支度をした方が良い。今日と明日の午前で君には戦い方をその体に刻みこまないといけないんだからさ。私は外で待っているよ」
そう言って、玄関の前で手を合わせると、昨日のように一瞬でその場から消えてしまった。神様にはドアを開けて外に出ると言う概念は無いのだろうか……?
冬夜はそんなことを考えながら、キッチンに向かって歩き始めた。
「今日はおにぎりでいいかな……」
昨日炊いたのに食べなかったご飯を見ながら冬夜は朝食づくりに励むのであった。
食事の終わった冬夜は、きちんと皿を洗った後、天野に言われた通り、自分の家の外に出た。その場所には、目をつむり姿勢の良い状態で立ち続けている天野の姿があった。その姿は清められた仏像のような雰囲気で、神々しく近寄りがたいものがった。
「……準備はできたようだね。冬夜君」
さっきまでの不思議な雰囲気はどこに消えてしまったのか。まるで別人の天野がそこに立っていた。
「ちなみに僕は何をすればいいんですか?」
「本当は君の能力が分かれば、それに特化した修行をしたいんだけど、きな君の能力のせいだろう。神である私でも君の能力の本質は分からなかったよ」
だからこうしよう。と天野は言うと、手が光りだしてそれが塊になる。そして冬夜にそれを投げつけた。いきなり投げつけられた物だったので、あやうく取り落としそうになった。その光は長く細い物へと変化していき、冬夜にも見たことのあるものへと変形していく。
「なんですかこれ?ただの……木刀?」
「そう。木刀だ。ただし普通の木刀とは違い、私の神力が微量だが練りこまれている神界の霊樹で作られている特注品だ」
冬夜の手の中には、いい具合に反り返った木刀があり、片手でも扱えそうな大きさの割にはとても軽かった。
冬夜はその木刀を適当に振り回してみたが何も起こらなかったので、とりあえず何かわからない念を送ってみた。すると、その木刀からわずかにだが、体がみなぎるような温かな力を感じた。
「そうか。人間なのに神受性が君には備わっているようだね」
「神受性?」
「今の君のように、神力を感じ取る能力のことだ。神の中でもばらつきがあり、この能力が高いと言うことは探索能力に長けていることを意味するんだ」
そう言われ、再び木刀に念を送ってみると、暗闇の中に炎のような白い揺らめきを感じ取ることができた。数は増えていき、まだ曖昧だが九個に増えたように見えた。
「白い炎……私にはそんな力を使う能力は知らない」
「世界を作った神様なのにわからないとは、それほどに正体不明の能力なんですね」
「まぁ、力の発端が、情報量の少ないきな君の能力だからね」
しいて名づけるなら、『正体不明』と言うところだろうか。
「よし。君の具体的なことはあまりわからなかったが、とりあえず戦闘力だけでも君には身に着けてもらおう」
いくよ――その一言で、動きにくそうな服を着ている天野は冬夜の方まで走ってきて、何か物体を振りかざした。それに気づいた冬夜は、反射神経のみでその攻撃を木刀で防ぐ。
カンッ!と間の抜けたような音が周囲に響き渡った。
「うん。良い反応だ」
冬夜は木刀で受け止めたものを確認する。それは冬夜のものと同じ木刀であった。
天野は一旦木刀を引くと、次の一手を繰り出した。しかしそれも、冬夜は何と言うなく受け止める。
「うまいね。剣道でもやっていたのかい?」
「やったことないですよ? まぁ子供の時に近所の……」
その時、どうしたのか、冬夜は昔のことを思い出そうとした時、頭に激痛が走った。あまりの痛さに誰と遊んだのかまでは思い出せなかった。――少し大切な思い出のはずなのに。
「っ、大丈夫かい?」
「……はい。続けますと、チャンバラぐらいならやりました。僕の実戦経験はそんなものですよ?」
天野は内心驚いていた。今までの剣による実戦経験が、まさか子供の時に行うチャンバラごっこだけで、神である自分の剣撃を受け止められるとは思っていなかった。
「冬夜君はあれだろう。よく人に何でもできる子って言われているタイプだろ?」
「……良く言われますが」
どうやら、この子の強みはそこにあるらしい。天野は神の攻撃をも人一倍攻略することができる冬夜の天性の才能に驚きながらも、少し嬉しい気分になった。
――この子なら、明日までに確実に強くなることができる……!
もしかしたら、『四気神』はこのことを直感で感じ取って彼を選んだのかもしれないな。天野は心の中で改めて『四気神』の恐ろしさとその最強さを知らしめられた気がした。
「やられてばかりじゃ修行にならないと思うので、こちらからも行かせてもらいますよ!」
冬夜も木刀を構えて天野に突っ込む。強く握った木刀で狙うのは……天野の足!
刈り取るような弧を描いて切り上げる!しかしその動きを読んだ天野は後ろに下がって避ける。大振りで出来た隙を狙うように天野は冬夜に斬りかかる。
「……ぐっ!?」
「君の力はこんなものなのか?そのまま守りたいものも守れずにまた君は地面にへばりつくのかい?」
天野の斬撃が冬夜の顔をぎりぎりに掠る。その瞬間に冬夜は昨日のことを、苦い思い出を振り返る。何もできなかった自分の無様な姿を。だから今度は……!
「今度は、絶対に助けて、絶対に連れて帰ってくるんだ!!」
冬夜は右手に持った刀を、天野に狙いを定めて振りかぶる。大きく振りかぶった木刀は、遠心力を乗せて天野に繰り出される。
しかし、そんな動きは読めているのか、天野は両手で冬夜の斬撃を受け止める。
「そんな大振りな攻撃、私には……!」
いきなりの出来事に、天野は言葉を無くし、目を疑った。
勝負はすでに制していたのだ。天野の顔の先には、すでに刀が向けられていた。誰も知りえない、冬夜がもう一つ持っていた刀。それは。
「なるほど、一本……いや、一手を取られたといえばいいのかな」
「うまいこと言ったつもりですか? それよりこれで僕の勝ちでいいですよね?」
天野の目の前にあった刀、それは冬夜の左手。要するに手刀が顔の目の前で刀のように構えられていたのだ。
天野の放った相手への挑発は、冬夜の逆鱗に触れ、そしてその怒りは頭脳に渡り、冬夜に勝つ為の閃きを生み出させた。今回の勝負は、そういう面でも天野の負けであったのだ。
「ふぅ……。今日はこの辺にしようか冬夜君。」
あれから十時間。冬夜と天野は休憩を挟みながら演習を何度も繰り返した。実戦経験の差なのか、やはり天野にはあまり勝てず、三敗ぐらいの差があった。が、冬夜にはそれだけで十分な実戦経験となったのだった。
天野は帰る支度を始める。借りた木刀を返そうと思い、天野に差し出すと、「それは君に貸しておくから、明日までになじませるように」とそのまま持たされてしまった。
「明日も家まで行くから。ああそれと、鍵は開けっ放しで大丈夫だよ。私は神様だからね」
「朝のことで十分承知しています……」
神様は扉を開ける概念は無いのですか?と今日は聞こうと思っていたのだが、なぜだろう。改めて考えると聞く気がうせてしまった。だって神様だもの。
「それじゃ、また明日」
「ありがとうございました!」
冬夜は天野に向かって頭を下げる。天野は満足そうな笑顔を冬夜に向けると、一瞬にしてその場から消えてしまった。
――毎回思うのだが、天野さんってどこに行ってんのかな?
たぶん家だろう。とは思うのだが、何か別のところにも行っているのではないのだろうかとも思えた。あくまで直感なんだけれど。
午後十時
「ふぅ。今日もいい風呂だった」
冬夜は濡れた頭をタオルで拭き取りながら冷蔵庫の中を開けた。取り出したのは作り置きの紅茶だった。それをマグカップの中に入れ、砂糖を足して電子レンジで温める。中からは電子レンジ特有の電子音だけが聞こえる。
数分後、終了の甲高いアラームが空気を揺らした。
食器棚の中からスプーンを取り出して、まだ溶けきっていない底に沈んだ砂糖をかき回す。からん、からんとカップとスプーンが擦れる音が聞こえる。
指の感覚で溶けきったのを確認すると、スプーンをシンクにおいて、ソファーに向かう。
ソファーに座った冬夜は、紅茶を一口飲むと、某ゲーム機に手を伸ばす。テレビの付いていない部屋にゲームの楽曲が響き渡った。選択したのは『久遠の夜』だ。
しかし、冬夜はその楽曲で決定ボタンを押さなかった。曲を聴いてしまったら、なんだかやる気が損なわれてしまった。ゲームの電源を切ると、机の上に置いて、再び紅茶を口にした。
体はまだ熱かった。ふと壁についている掛け時計を見てみると、十時半を針が刺していた。
「散歩でも行こうかな……」
冬夜は防寒具を身に着けると、小銭ばっかりの財布をポケットに突っ込んで家の扉を開けた。戸締りを済ませると、冬夜はふらりと歩き始めた。
――そういえば、あの時もこんな感じだっけ。
日は浅いが、冬夜にとっては十分に多くの時間が経っているように感じた。
歩きながら冬夜は冬休みのはじめのころを思い出す。
今のように体が火照ったのを理由に散歩に向かったのだ。そうして、ふと見つけた森の中で誰かに呼ばれた気がしたから入ってみたら、きなと出会ったのだ。
考えながら歩いていた冬夜の足は、どうやらその森に向かっていたらしく、すぐそばに森の入り口があった。冬夜はあの時のように静かに歩いて中に入った。
この前のように朝ではなく夜なので日光は無い。前に歩いた感覚を頼りにかき分けながら森の中を進む。
奥に進むと、見えないはずの光がぼんやりとだが見えた。冬夜は早足でその光に手を伸ばしながら進んだ。
奥の中にあったのは、少し溶けてはいるが、きらきらと光を反射する一面の雪があった。ぼんやりと光っていたのは、どうやら雪に反射された月明かりだったようだ。
冬夜は浅い雪の上を踏みしめながら、あの時きなが眠っていたであろう場所まで歩む。
しかし、あの時のようにきなの姿は無かった。代わりに、少し窪んだ雪が地面に積もっていた。そこにある雪を軽く手に取ってみた。なぜか温かみを感じた。
「ここで……きなと出会ったんだ」
冬夜は思い出す。雲一面でだった空から一筋の光が差し込んで、ここで眠っていたきなを照らし出したんだ。
そういえば、小さい頃にもこんな風にきれいな一面の雪を見たんだっけ。
ズキッ!と頭の中に朝のように激痛が走った。昔のことを思い出そうとすると、こんな風に激痛が走るようだ。
「何か……思い出しそうだ……あぁっ!?」
――チャンバラをしたのは……こんな……雪の日……僕は……!!
目の前がブラックアウトしそうなくらいな激痛を耐えると、ぼやけてはいるが、目の前に今までなかったものが置いてあった。いや、現れたのだ。
それはまるで――冬夜に拾われることを望んでいるかのように。
目の前に置いてあるそれを感じ取ったのか、冬夜は置いてある物を赤子を抱くように、そっと手にとった。心が揺れ動くのが分かる。それはまるで、今まで欠けていた何かを手に入れて時のような感覚。
けれども、結局それが何なのかもわからず、記憶も辺々しか思い出せずどういう記憶だったのかと言うこともわからなかった。
家に着いた冬夜は、部屋に戻ると、拾ってきた物を机に置くと、天野からもらった木刀に触れた。
木刀からは相変わらず力を感じる。暖かくて優しいような、これが天野の神力なんだろうか?冬夜は考えていることが変に思えてきたので、考えることをやめた。
そして、今日三度目の念を両手で持っている木刀に送る。最初は真っ暗だったが、朝のように白くてほんわりとした炎が揺らめいていた。神授性が高められたのか、今でははっきりと九個に見えた。
しかし、それだけにとどまらず、今度はルビーのように紅い物体を二つ見つける。
その目をもっと見ようと集中力を高めてみようとしたとき、――体がそれを拒んだかのように木刀を投げつける。
額には汗がにじんでおり、体も震えていた。その震えは寒いからではない。冬夜の体は恐怖で震えていたのだ。何か得体のしれない何かに。
「何なんだ……いったい」
冬夜はひとまず木刀を机の上に置くと、電気を消した。
今日も一人の夜だが、冬休み前はそうだったので、そのことを思い出すと少しだけ体が楽になった。
「きな……泣いていないかな」
きなのことを考えながら冬夜は目を瞑る。体を横にしているからか、眠気が襲ってきた。
冬夜はその眠気に抗うことなく、深い深い眠りへと沈んでいった。
(五日目 終了)