俊蔭(その1)
わたくし、あて宮と呼ばれていますが、実はこの世界の生まれではありません。『令和』の世から転生してきた未来人なのです。大学で平安時代の『枕草子』という随筆を研究していたのですが、トラックにひかれて(ファンタジーの世界では、あるあるの事情なのですが)気が付いたらこの世界に住んでおりました。
どうも、『枕草子』の中に出てきた『宇津保物語』の世界のようなのです。『枕草子』には、詳しいのですが、『宇津保物語』には、詳しくありません。
あて宮の登場は、もう少し後になりますが、まずは俊蔭様のお話をお聞きくださいませ。
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あて宮様、私の話をいたします。ずいぶん長くなると思いますが、まずは聞いてくださいませ。
昔、式部の大輔で左大弁を兼任している清原の王という者がおりました。皇女がこの者の妻になっており、男子を一人産んでおりました。これが、わが父母です。
父母は、幼き子があまりにも聡いと思い、わざと書物も読ませず教え諭すこともしないで育てたのですが、わたしは、すくすくと育ち、聡い心のままであったと申します。
七歳になった年、父が高麗人(朝鮮半島の国から渡来した外国人)と話をしていたのを見て、自分もそれをまね、漢詩を作って交わしていたということです。
(ああ、大学の韓国からの留学生と英語で会話していたのと同じね。平安時代、高麗の人と日本人だと、漢語、つまり中国語が共通語になるもの。)
それを帝がお聞きになり、驚かれて、直接いろいろ試してみたいものだと思われ、十二歳で加冠の儀をした後、呼び出されました。
帝は、唐の国に三度も渡ったという大学寮の博士である中臣の門人を呼んで難しい問題を出させられました。大学寮の才ある学生達が、答えあぐねて一文も答えを書かないうちに、わたしは答案を苦も無く作りだして、世の中の人々が驚きあきれる中で、わたし一人が合格して進士となったのです。
また、次の年に同じ博士を呼び出し、進士から秀才になるための試験をさせられました。試験場所をわざわざ宮中の校書殿にしつらえ、帝の御隣席のもと、難問を課されました。
わたしは、わが心に従い、よどみなく答えました。帝は、
「その答え、まことにおもしろく、興あり。」と驚かれて、私をすぐに式部の丞になさいました。
(幼いころからひときわ優れていて、世間を驚かす様子は、『源氏物語』に似ていますが、『宇津保物語』の方が、先に成立しているので、『源氏物語』が『宇津保物語』に似ているのです。)




