エピローグ
初夏の日差しが幾分やわらぎ、心地よい北風が吹く夕暮れ。
交易都市オルディナの冒険者ギルドに、一組の旅人が訪れた。
「依頼を頼みたいのだが」
受付に立った女性を見て、受付嬢は思わず目を見開いた。
受付嬢に話しかけたのは、黒髪の美しい女性だった。
二十歳前後だろうか。
皮の鎧を身につけ、腰には一振りの剣を帯びている。
剣士なのだろう。
その所作、立ち振る舞いから、それなりの手練れであることがうかがえた。
切れ長の緑色の瞳は、油断なく周囲を見渡している。
一方、その剣士の後ろに、不安そうにぴったりと寄り添っているのは、年の頃十三、四歳ほどの愛らしい少女だった。
旅装束姿ではあるが、どこか気品が漂っている。
この二人。
姉妹にも見えるし、貴族の娘とその従者にも見える。
そして――。
それ以上に受付嬢の目を引いたものがあった。
二人の頭の上で、ぴょこんと揺れる猫耳。
そして、背中で揺れる尻尾。
二人は猫人族だった。
この町では、獣人は決して多くない。
――猫耳。
触りたい……。
受付嬢がそんなことを考えていると、
「あの……依頼を……」
女剣士が、たまらずといった様子で声をかけてきた。
「あっ。申し訳ございません」
受付嬢は慌てて姿勢を正す。
「どのようなご依頼でしょうか?」
「ああ。私たちは、これからベルヴェディアまで行きたいのだが」
「ベルヴェディア、ですか?」
受付嬢は思わず聞き返した。
ベルヴェディア。
ヴァルザック山脈のふもとに位置する、はるか北の町だ。
そこへ向かうには、山を二つ越えなければならない。
相当な道のりになる。
「ああ。そこまでの道案内を依頼したいのだが」
「承知しました」
受付嬢は少し考えてから答えた。
「険しい道のりになりますので、腕利きのレンジャー、もしくは、それなりの規模の商隊に同行されることをおすすめします」
「ああ」
「依頼料としましては……そうですね。王国金貨五百枚ほどになるかと思いますが」
「…………」
「…………」
しばしの沈黙。
やがて、女剣士は懐から布袋を取り出した。
「手持ちは、これだけなのだが」
カウンターの上に置かれたのは――。
王国金貨、一枚。
「……これだけですか?」
「……これだけだ」
受付嬢は途方に暮れた。
桁が違いすぎる。
「申し訳ございません。王国金貨一枚で、ご要望の依頼を受けてくれる冒険者は、おそらく……」
「アリア」
後ろの少女が、小さな声で呟いた。
「もう、ええで。あきらめよ」
「なりません。ソルテア様。あきらめてはなりません」
少女を諭す女剣士。
何か、のっぴきならない事情があるのだろう。
だが、この報酬ではどうしようもない。
受付嬢は困り果てた。
だが、そのときだった。
目の前で、ぴこぴこと動く猫耳を眺めていて――。
「……あ」
受付嬢は、ある人物のことを思い出した。
「ひとり。ひとりだけ、依頼を受けてくれる冒険者がいます!」
「えっ?」
アリアが、受付嬢に詰め寄った。
「本当か?」
「ええ」
受付嬢は大きく頷いた。
「Aランクのレンジャーで、腕は確かです。まだ二十歳になったばかりですが、この街では名の知れた冒険者ですよ」
そして、二人を交互に見つめる。
「なにより、彼は、この街では珍しく獣人に敬意を払う冒険者です」
「……」
「特に、猫人族には親切です。驚くほどに」
「彼なら……」
アリアの表情に、わずかな希望が浮かぶ。
「王国金貨一枚でも、依頼を受けてくれる可能性があります」
「それは、本当か!」
「ええ」
受付嬢は胸を張った。
「正式なギルドメンバーですし、なにより、彼は誠実な人柄で評判です」
そして、少しだけ声を落とす。
「……少し、無口ではありますが」
「そこがまた、いいんですけどね……」
受付嬢が、なぜかうっとりとした表情を浮かべた。
「そんな御仁が、これほど少ない報酬で我らの依頼を受けてくれるのだろうか?」
アリアが不安げに尋ねる。
「ええ。大丈夫だと思いますよ」
受付嬢は、にっこりと笑った。
「なんせ、昔、奴隷だった猫人族の姫君を買い戻したうえ、ヴァルザック山脈の故郷まで無償で送り届けたという逸話が残っているくらいですから」
「ヴァルザック山脈まで!」
ソルテアが思わず声を上げた。
「それは……すごい」
アリアも感嘆の声を漏らす。
「ぜひ、その御仁に依頼をお願いしたい」
「承知しました」
受付嬢は頷くと、手元の台帳をぺらぺらとめくった。
「今日は別のクエストで出かけていますが、おそらく今日中には戻ってくると思われます」
「そうか」
「しばらく、こちらでお待ちいただければ――」
そのときだった。
ギルドの入り口から、一人の男が入ってきた。
受付へ向かって歩いてくる。
受付嬢は、その顔を見て――。
はっと目を見開いた。
「あっ」
そして、笑顔になる。
「アルジャンさん!」
男が足を止める。
「ちょうどよかったです」
受付嬢は、カウンターの向こうから身を乗り出した。
「あなたに、依頼が来ています」




