第7話 残っている声
「……まだあるのか」
俺はため息をつきながら、スマホの画面を見た。
新しい依頼。
内容はシンプルだった。
夜中に声がする。
「声?」
思わず口に出す。
今までは足跡や物音だった。
でも今回は違う。もっと直接的で、逃げ場がない。
「……めんどくせえな」
そう呟きながらも、断る理由はなかった。
—
現場は古いアパートだった。
外観は普通だが、なぜか色が薄く見える。
人の気配が、どこか弱い。
「ここです」
隣で阿部が言う。
「声って、どんなだ」
「泣いてる声らしいです」
「……は?」
思わず顔を見る。
「泣いてる?」
「はい。女の人の声で」
「いない場所から聞こえるので」
—
部屋に入る。
狭いワンルーム。
家具も少なく、生活感が薄い。
「……普通だな」
「そうですね」
短い返事。
だが、阿部は部屋の奥を見ていた。
—
「いつも通りいくぞ」
カメラを設置する。
録音機も回す。
今回は音が主役だ。
「それ、意味ありますか」
後ろから声がした。
「は?」
振り向く。
「録音しても、残らないと思います」
「……なんで分かる」
「たぶんですけど」
少しだけ間を置く。
「これは“聞くもの”じゃないので」
意味が分からない。
だが、無視する。
—
録音開始。
時刻は1時02分。
最初の十分、何も起きなかった。
「……やっぱりな」
そう言いかけたとき、かすかな音が耳に触れた。
小さく、息のような声。
「……?」
気のせいかと思う。
だが、すぐに続いた。
う……ぁ……
今度ははっきりしている。
女の声だ。
「……おい」
思わず振り返る。
「今の、聞こえたか」
阿部は答えない。
ただ、同じ一点を見ている。
う……さ……
言葉になりかけている。
俺は録音機を確認する。
波形は動いていない。
「……は?」
聞こえているのに、記録されていない。
「……なんだよこれ」
小さく呟く。
声が近づく。
耳元に寄ってくるような感覚。
「さむい……」
はっきり聞こえた。
思わず背筋が冷える。
振り向く。
誰もいない。
だが、空気が違う。
温度が一気に下がっている。
「……これ、どういう現象だ」
俺は低く言う。
阿部が静かに答える。
「それ、残ってるだけです」
「……は?」
「その人の感情が、この場所に残ってるだけです」
「いや、それ幽霊だろ」
「違います」
「じゃあ何だよ」
「分かりません」
言い切る。
迷いはない。
「さむい……」
また聞こえる。
今度は、すぐ後ろで。
「……っ」
反射的に振り向く。
何もない。
だが、視界の端で何かが揺れた気がした。
「……今の」
思わず呟く。
阿部が小さく言う。
「見ない方がいいです」
「は?」
「これは、見るものじゃないです」
その瞬間だった。
耳元で、はっきりと声がした。
「……たすけて」
息が止まる。
思考が真っ白になる。
「……っ!」
振り払うように一歩下がる。
心臓の音がうるさい。
「……今の」
声が震える。
阿部はゆっくりと首を振る。
「関わると、引きずられます」
「……何に」
「そのままです」
短く答える。
俺は録音機を見る。
やはり、何も残っていない。
だが、部屋の壁に小さな水滴がついているのに気づく。
触れる。
冷たい。
まるで、誰かの涙みたいに。




