襲撃者
来客の予感はずっと前からしていた。
一人で夕食を食べていた時か、百塚が家を出ていった時か、あるいは鬼灯先生が帰って来ないと言った時か。
音が聞こえたわけでも、振動を感じたわけでもない。
本能的な虫の知らせとでも呼ぶべき直感に従って、俺は訓練場へと降りた。
「やあ、こんばんは」
訓練場に優男が立っていた。
長い灰色の髪は無造作に一つにまとめられ、ブラウンのレザージャケットの内側には鍛えられた痩躯が透けて見える。
その顔は歳こそ重ねているが、腹立たしい程に俺の知る剣崎の面影があった。
聞かなくても分かるもんだな。
「こんばんは。人の家に無断で入ってくるのはどうかと思うぞ」
「脛に傷を持っている身でね。あまり堂々と出歩けないんだ」
「それで、そんな奴が名乗りもせず何の用だ?」
男はおかしそうに笑った。
「聞いていた以上に肝が据わってるね。失礼した、私は剣崎祇遠。君を捕えに来た飼い犬さ」
「鬼灯先生は無事か?」
「彼女をここから引き離したのは私じゃないから、今頃は足止めを受けていると思うけど、まあ心配しなくても無事だと思うよ。あの子をどうこう出来る人間はほとんどいないから」
あの子、ね。
鬼灯先生も剣崎祇遠を知っている様子だった。守衛魔法師時代に面識があったんだろう。
まあそんなことはどうでもいい。
「鬼灯先生に言われてるんだ。もしもあんたが襲撃に来たら、戦うことは考えずに全力で逃げろって」
「鬼灯ならそう言うだろうね。A級守衛魔法師の中でも珍しい現実主義者だった」
「あんたは違うのか?」
「A級になる人間なんて、ほとんど現実からのつまはじき者だよ。まっとうな感覚じゃやっていけない」
バチコーンとウィンクをかます椿先輩を思い出した。
つまはじき者かはさておき、たしかに一般人とは精神構造が違った気がする。
笑顔でランク3に斬りかかれる学生は、まともではなかろう。
「それで、君はどう私から逃げる?」
ゆらりと身体の影から刀の柄が見えた。
わざと見せたんだろう。見せられるまでそこにあることにまったく気付かなかった。
マジシャンみたいだな。
「この間ランク3と戦って分かったことがあるんだ」
「聞いてるよ。ランク3と戦った経験がある者は稀だ。そのうえ勝利し、生き残ったとなれば歴史に名を遺す程の偉業。それを為した君が何を思ったのか、興味があるね」
偉業、偉業ね。
あれをそんな輝かしい言葉で飾る気にはなれない。俺は何も出来ず、椿先輩と紡、音無さんのおかげで倒したようなものだ。
「俺はまだ弱い。あんたから逃げたとして、次はだれが追ってくる? 次に来る相手からも逃げて、逃げて、逃げ続けて、その先に何がある」
敵は俺が強くなるまで待ってはくれない。
魔王が現実にいるのならば、勇者のレベルが低いうちに殺しに来るだろう。
そしてランク3との戦いで俺は間違いなく強くなった。暴走してしまったが、それでも自分の力だけでは決して開けない扉が開かれたのだ。
火焔を発動。
ランク×へ移行。
『炎駆』によって、炎の筋繊維を全身に絡ませる。
体外に出す炎は最小限に、徹底して肉体の熱量を高める。
「あんたも俺の踏み台になってくれ」
構えた瞬間、祇遠が笑った。
見知った顔が邪悪に歪むのはひどい違和感だ。可憐な王人の顔を歪めるのはやめてほしいもんだ。
「良い気概だ。そういう自惚れ方は嫌いじゃない」
静かに祇遠がエナジーメイルを発動した。全身を覆う光の鎧は薄く、布のようでさえあった。
昔鬼灯先生が言っていた。
もしもエナジーメイルを薄く纏う者に会ったら、決して視線を外してはならないと。
エナジーメイルの極意は、魔法で身体を動かすことだ。
しかし薄く纏う者たちは真逆。
『そういう人間は、思考よりも肉体に叩き込んだ動きが反射で出る方が早いんです。だからエナジーメイルも動きを阻害しないように最小限にする。魔法よりも肉体の方が強いと信じる狂信者ですよ』
剣崎祇遠もそのタイプだ。自分の動きを加速させることだけに注力し、防御力は捨てた使い方。
「さてさて、大口に見合うだけの力があるのか、見させてもらおうか」
こちらから仕掛けようと思ったのに、先手を奪われた。
一歩目に反応出来ない。
いつ動き出したのかも分からない滑らかな挙動で、祇遠は俺を間合いへ捉えていた。
首筋を撫でる死の気配。
爆縮でその場から跳ね上がる。
刹那、斬撃が音もなく俺が居た場所を薙いだ。
「がっ!」
口から血が零れる。
手で押さえると、首に一直線の傷が刻まれていた。
嘘だろ。
いつ斬られたのかまったく分からなかった。
しかし現実の視界には、それ以上に恐ろしい光景が映っていた。
血の曲線を空中に残した切っ先が――切り返す。
見えたのはその初動だけだ。掻き消えた銀影の行く先がどこかも分からぬまま、身体を強引に捻って倒れ込む。
今度は左耳が飛んだ。
速すぎる。
覚悟はしていた。相手は元A級守衛魔法師、実力的に鬼灯先生や椿先輩と同格だ。
――ここまで遠いか。
分かっていたつもりでも、こうしてその差を叩き込まれると、身体が委縮しそうになる。
倒れ込む身体を手を着いて支え、指を地面に食い込ませる。
それでも、負けるわけにはいかない。ここで退いても、何も得られない。
足から爆縮を噴射し、身体を独楽のように回転させる。
「おっと」
逆さの状態から強引に放った閃斧は、当然のように避けられた。
それでいい。今の間合いを維持されたらいいように刻まれるだけだ。
体勢を立て直し再び構える。
初撃は度肝を抜かれたが、動きを見られたのは大きい。普段から見えない攻撃を鬼灯先生から何百発と食らってるんだ。
見えないなら見えないなりに動きようはある。
今度はこちらから踏み込もうとすると、祇遠が刀を鞘に納めたまま肩に置いた。
「んー、思ったよりも普通だね。再生や強化はそれなりだけど、それだけだ」
「‥‥何が言いたい」
「もっと全力を出してほしいな。まだまだあるでしょ。命も魂も絞り出してもらわないと、わざわざ無間から出てきた意味がない」
「言われなくても、その涼し気な面真っ赤にしてやるよ」
『象炎』で両腕にガントレットを装着する。
黒鉄はまだ壊れたままで、武機はない。炎駆を維持しながらは正直辛いけど、祇遠の刀は尋常じゃない切れ味をしている。装備なしじゃ受けきれない。
「行くぞ」
「どうぞ」
肩に刀を乗せたままの祇遠に向けて振槍を打ち込む。
ふらりと、地面に立てた小枝のように祇遠は拳を避けた。
振槍、花剣、閃斧。炎駆で強化された技の数々を絶え間なく浴びせかける。
しかしその全てが当たらない。紙一重で手を流れる水のように滑り落ちて行く。
王人と近接戦闘をしてもまともに攻撃が当てられないのだ。それを超えるであろう祇遠を相手に、そうそう攻撃が当てられるとは思っていない。
そう、初めから毀鬼伍剣流だけで戦うつもりはない。
祇遠が攻撃を避けた瞬間、右腕の炎駆を解除。圧縮された炎を解放し、手のひらから放出する。
捉えた。
爆発が祇遠を飲み込んだ。
火焔は肉体強化だけではない。炎としての性質だけでも十分に強力だ。
祇遠はエナジーメイルで炎を防ぐが、それは悪手だ。
魔力を燃やせばこちらの火力が上がる。
炎を操作して捉えた祇遠を囲う。象炎によって炎は灼熱の鎖となり、祇遠の全身を縛り上げた。
間髪入れず全身を捩じり上げ、炎駆に回していた炎を全て右腕に集中させる。内側の炎に照らされ、腕が眩く輝いた。
親父に叩き込まれ、鬼灯先生に鍛え上げられた拳だ。
そこにシュテンとの戦いを経て、炎の圧縮と解放は一段階次のステップへ進んだ。
――二十煉、振槍。
訓練場を焼き尽くす大輪の花火が咲き誇った。




