過去の鎖 ―鬼灯―
神宮司に呼び出された薫が向かったのは、都内のレストランだった。
地下に降りると、扉を開けたスタッフが薫を奥へと案内する。
通されたのは広い個室だった。
学校の教室ほどはあろうかという部屋に、大きな一枚板のテーブルが鎮座している。
そこには既に神宮司が座っていた。
「来たか鬼灯。久しぶりだな」
「お久しぶりです神宮司さん」
薫はスタッフが引いてくれた椅子に座った。
対面で見た神宮司の顔は、薫が現役時代だったころに比べて、老けたように見えた。
たかだか数年。
その間に背負ってきた重圧が全身に表れている。
「お疲れみたいですね」
「お前が抜けてから、俺に回ってくる仕事が増えたんだよ」
「すみません」
「冗談だ。余計な肩書が増えるとな、仕事はその何倍も増えるもんなんだよ。現場出てる方が幾分気が楽だ」
相も変わらず苦労人だ。
薫が現役だった頃もそうだった。誰もやりたがらない仕事を押し付けられ、便利屋のように使われる。
その全てをきっちりこなすだけの力と気真面目さが、周囲からは評価されていた。
薫のように若くしてA級になった天才ではない。
堅実に実績を積み重ね、一段一段昇るようにA級守衛魔法師になった人間だ。
コミュケーション能力というものが欠如している薫も、随分助けてもらった。
神宮司の呼び出しでなければ今日応じることはなかっただろう。
スタッフが神宮司の前にビールを、薫には赤ワインを注いだ。
「頼んでませんが」
「久しぶりに会ったのにあんまり急ぐなよ。飲みながらでも仕事はできる」
「はぁ‥‥分かりました」
カチンと、軽くグラスを鳴らし、薫はワインを呷った。
それから事前に頼んでいたであろう料理がテーブルに並ぶが、薫の表情はすぐれなかった。
「あまり長居するつもりはありませんよ。用件はなんですか?」
「前から言ってるだろ。人と人の関係は余分から生まれるんだ。教員になったんなら、多少は余分なやり取りを楽しめるようになった方がいいぞ」
「時と場合によります」
「分かったよ。これでも楽しみにしてたんだがな」
「神宮司さん、いつも間が悪いって言われませんか?」
「切れ味も変わんないな、おい」
苦笑いを浮かべた神宮司が、テーブルの鈴を鳴らした。
すると部屋の中にいたスタッフが部屋を出てドアを閉める。
「この間、裏天宮が無間から一人の受刑者を出した。それも、一人の学生の身柄を確保するために」
「‥‥」
「対象は桜花魔法学園の一年生、真堂護だ」
神宮司がポケットから取り出した写真を薫の前に滑らせてきた。
そこには登校中を撮影された護が映っていた。
神宮司は薫の反応を待たず、話を続けた。
「この子は少し特殊な事情を持っていてな。いや、それよりもお前には重要なことがあったな」
神宮司は昔を懐かしむように目を細めた。
彼の視線が護にその面影を重ねていることに、薫は気付いていた。
「彼は真堂先輩の息子さんだ」
「‥‥知っています。というより、私が真堂君の専攻練を担当していることも知っているでしょう」
こんなものは茶番だ。わざわざこうして話をしている以上、ある程度の下調べは済んでいる。
「時間が無いと言いましたよね。無間から出てきたのが剣崎という話も聞いています。その上で聞いているんです。何の用かと」
神宮司は一拍置き、真っ直ぐ薫を見た。
「こっちに来い鬼灯。お前が一緒に来れば護君も安心だろう」
ため息が出そうになった。予想はしていたけれど、そうでなければいいという希望的観測がびりびりと音を立てて引き裂かれる。
「裏天宮に真堂君を明け渡せと? どんな扱いをされるかも分からないのにですか」
「いくら裏天宮でも、非人道的なことはしないだろ。欲しいのはアークライト理事長に並ぶ旗頭だろうからな」
「その保証がどこにありますか」
目的のためなら囚人を脱獄させることも、人を殺すこともいとわない連中だ。
回復で傷を治せる護は最高の実験体だ。
「逆に聞くが、何故そっち側は味方だと断言できる? アークライト理事長の考えてることがお前に分かるのか、鬼灯」
「分かりません。分かりませんが、あの学園が生徒の為に真摯に運営されていることは紛れもない事実です」
「だから信じたいって? お前がそんな綺麗ごと言うようになるとはね。時間は恐ろしいもんだ」
「これでも教員ですから」
神宮司は長く息を吐いた。
厄介な怪物相手に出撃する時の仕草と同じだ。
「今回の件で裏天宮が護君を確保できなかったら、次はどうすると思う?」
「何が言いたいんですか?」
「あいつらは毒蛇だよ。するすると思いもよらないところから噛みつきに来る」
神宮司は薫から視線を外し、遠くを眺めるように言った。
「次は真堂先輩の奥さんか、娘さんか。なあ‥‥政府相手にどこまで戦うつもりだ?」
薫の目が鋭く研ぎ澄まされ、テーブルの下で拳を握る。
「話は終わりですね。失礼します」
感情を押し殺した声で言いながら、立ち上がった。
「悪いが、そうはいかない。鬼灯、仕事が終わるまではここにいてもらう」
間髪入れず、テーブルに手を着いた薫が、蹴りを神宮司の顔面に叩き込んだ。
その衝撃は凄まじく、テーブルの足と天板が雷に打たれたように割れた。
「‥‥護君は俺が守ってやる。真堂先輩の息子だ、裏天宮の好きにはさせない」
薫の足は、神宮司によって掴み止められていた。
足と手。両者の間に展開されたエナジーメイルが激しく火花を散らし、部屋が揺れる。
「だったら正規の手順で保護をすべきでしたね。無間の犯罪者を猟犬にしておいて、あまりに薄っぺらな言葉です」
「――それに関しちゃぐうの音も出ねえな」
薫は足を振り払い、そのまま後ろに跳んだ。
「しかし正規の方法でアークライト理事長が首を縦に振るとも思えん。もはやこれしか方法はなかったんだろうよ」
「そこに真堂君の意思が介在していますか?」
薫は構え、『エナジーメイル』を発動した。一つではない。二つ、三つ、四つ。
華奢な肉体を、不可視の鎧が分厚く覆う。
「どいつもこいつも、人の生徒を物のように扱って――ぶち殺しますよ」
放たれる魔力の圧に神宮司の頬を冷や汗が伝った。
神宮司がひたむきに実力を磨き、実績を重ね、A級へと昇りつめた秀才だとすれば、薫はその頭上をゆうゆうと大股でまたぐ怪物だ。
今まさに踏み出そうとした瞬間、薫は躊躇した。
背後から何かの気配がした。
その予想を確信に変える音が部屋に響いた。
薫の背後から、壁をぶち破って複数の人間が部屋に入って来たのだ。
そのうちの一人が投げたアタッシュケースを神宮司は片手でつかみ取る。
「‥‥守衛魔法師ではないですね」
一切視線を後ろに向けることなく薫は神宮司に言った。
「ああ。部下にこんな仕事させらないだろ。こいつらは裏天宮お抱えの魔法師たちだよ」
「店に似つかわしくない血の匂いがすると思ったら、碌でもない連中を使いましたね」
「俺は一人でやるつもりだったんだがな」
その時、魔法師の一人が短剣型の武機を逆手に薫へと突っ込んだ。
神宮司という最強の敵を前に、振り返る余裕すらない状態。千載一遇のチャンスだった。
その判断は間違いではなかった。そう、相手が鬼灯薫でなければ。
「――馬鹿が」
神宮司が呟くのと、突っ込んだ魔法師が後ろに吹き飛ぶのはほぼ同時だった。
油断はなかっただろう。ただその意識は全て攻撃に注がれていた。
まさか背を向けたままノーモーションで攻撃が飛んでくるとは、予想だにしていなかったのだ。
薫が繰り出したのは後ろ蹴りだ。
それを顎に受けた魔法師は子供に投げられた人形のように、縦に回転しながら飛んでいき、壁の向こうに消えた。
その一撃で魔法師たちの緊張感が一気に跳ね上がった。
既に一線を退いている? 片足を失っている? エナジーメイルしか使わない?
――これがか?
事前に与えられた情報がいかに無価値な文字の羅列だったのかを、魔法師たちは今更ながらに思い知った。
「お前らはただの監視役だろうが! 無駄に手を出すな。お前らが束になったところでエナジーメイル一枚すら割れねーよ!」
神宮司が怒声を上げながらアタッシュケースを床に立てた。ぶ厚く、高い。神宮司の身長ほどはあるだろう。
その中身が何か、薫は知っていた。
「私一人の足止めに武機も持ってきたんですか。呆れた慎重さですね」
「お前を丸腰で止められると思う程、己惚れちゃいねーよ」
使われると分かっていて止めない理由はない。
薫は後ろの魔法師は無視して神宮司へと踏み込んだ。
雷脚、一閃。
放たれた矢のように接近し、その速度全てを拳に乗せる。
振槍。
薫の拳はアタッシュケースを捉え、その裏側にいる神宮司ごと殴り飛ばした。
さっきの魔法師のように吹っ飛ばされたのではない。自分から飛んで衝撃を和らげられたのだ。
同時に殴られた瞬間の衝撃でケースを開き、武機も取り出された。
「っぶねーな」
「ちっ」
薫は追撃をやめ、舌打ちをした。
神宮司の両手には、巨大な盾と片手剣が握られていた。
A級守衛魔法師の中でも、『鉄壁』と称される大盾だ。
現役時代に何百回と模擬戦をしてきたが、時間内に彼の盾を突破できたのは数える程しかない。
足止めという役割においては、これ以上の適任はない。
薫をここに留める理由はたった一つ。
剣崎祇遠が護を狙いに来る。
(本当に、自分が嫌になりますね)
薫は己の甘さを呪った。
神宮司が裏天宮と共に無間に入ったことは知っていたのに、何か特別な事情があったのではないかと思ってしまった。
全て断ち切ったと思っていた過去の鎖。その端が見えた時、つい掴んでしまった。
失ったものが帰ってくるわけがないのに、縋ってしまった。
「反省は後ですね」
ゆるかに腕を持ち上げ、両手の指先を合わせる。
これより始まるのは、もはや人を人と思わぬ所業。
怪物を殴殺するためだけに作られた力を、解放する。
「進化、発動」
アイコンが砕け、薫の全身を光が覆った。
それに対し、神宮司は盾を強く握り締める。そして奥で待機している魔法師、あるいは自分自身に向けて叫んだ。
「一瞬も気抜くなよ! 相手は――」
部屋に罅が入り、窓が砕け、地震もかくやという揺れがその場の全員を襲った。
それは鬼が一歩を踏み出した瞬間だった。
「相手は、ランク3討伐者だぞ‼」
片足と仲間を引き換えに得た偉業。その重さに自嘲の笑みを浮かべ、元最強の守衛魔法師は蹂躙を開始した。




