第16話 終末の混迷
『マーカスの体の時も槍で貫いてやったな。これで2度目だ』
グリフィンはそう言うと冷ややかな笑みを浮かべた。
俺の胸を光の槍が背中から貫きやがった。
俺は痛みとその衝撃に体を震わせることしか出来ない。
「く……くそったれ」
そう悪態をつくのが精一杯だった。
前から向かってきたはずの光の槍がいつの間にか俺の背後から襲ってきやがった。
そして避ける間もなく刺し貫かれ、このザマだ。
なぜ、とは思わない。
グリフィンのインチキ術ここに極まれりといったところだろう。
奴はもはや空間すら自在に捻じ曲げる。
俺が突撃しても奴は瞬きする間に遠ざかり、得意の灼熱鴉を放っても途中で引き返して俺を襲ってくる有り様だ。
そんな奴を相手にどう戦えばいいってんだ。
事ここに至ってようやく俺は思い知らされた。
グリフィンと俺とでは立っている場所が違う。
実力の差、などという生ぬるいものじゃない。
俺が盤上の駒ならば、グリフィンは盤を見下ろす駒の差し手なんだ。
そんな奴とまともに戦おうとする俺の方が馬鹿だったってことか。
頭にくるぜ。
『さっき言ったことをもう忘れたか? 貴様はもう私に触れることは出来ん。それどころか近付くことさえ不可能だ』
冷然とそう告げるグリフィンに文句のひとつも言う余裕がなく、睨みつけてやるのが俺に出来る最大限の抵抗だった。
クソッ……情けねえ。
光の槍に貫かれた体が硬直して動かなくなっている。
俺の残りライフは……いや、もはやライフゲージがバグで文字化けして解読不能だ。
『虚しい抵抗もここまでか。バレット。いよいよ死刑台に上る時がきたな』
そう言うとグリフィンは指をパチリを鳴らす。
すると俺の目の前の光景が変化した。
海上にいたはずの俺は、いつの間にかフーシェ島にある塔の外壁に、胸を貫く光の槍によって磔にされていた。
『この絶海の孤島が貴様の終焉の地だ。今から貴様には絶望のエンドロールを眺めてもらうことになる。終わりまでの最後のひとときをせめて楽しんでくれ』
「ま、待ちやがれ。この野郎……」
苦痛に呻きながらそう言う俺を無視して、グリフィンは塔の最上階へと向かう。
そんな奴の姿を目で追って頭上を仰ぎ見た俺は、上空から多数の人影が舞い降りてきていることに始めて気が付いた。
な、何だ?
霞む目を必死に凝らし、俺はそれが天使の軍勢であることに気が付いた。
いや、天使だけじゃない。
水平線の彼方からは黒い人だかりが押し寄せてきている。
怒号を響かせているそれは悪魔の集団だった。
天使と悪魔。
2つの勢力がこの海域に集結しようとしていた。
するとそれまでこの地域一帯の包囲網を展開していた魔物どもが一斉に動き出し、2つの勢力を迎え撃つ。
多勢と多勢がぶつかり合い、すぐにその場は怒号と悲鳴の渦巻く戦場と化していった。
俺はその混乱の中で、天使や悪魔が魔物と戦う姿に着目した。
「あれは……運営本部の直轄部隊だ」
俺がそのことに気付いたのは、天使と悪魔の部隊の連中は皆、同じNPCマークを頭上に浮かべているからだった。
青く輝く菱形のマークがその証拠だった。
奴らはゲームにとっての脅威を排除するために編成された部隊で、普段は表舞台に出てくることはない。
ようやく運営本部が動き出したってことか。
本来は敵であるはずの天使と悪魔の部隊が協力して魔物の討伐に奮闘している。
だが、このままだとマズイことになりそうだ。
奴らがグリフィンを排除できるかどうかは別として、グリフィンに取り込まれているティナの奴も下手すりゃ共犯扱いされる。
別にあの天使の小娘がどうなろうが知ったこっちゃねえ。
こうなったのはマーカスという間者を見抜くことが出来なかったあいつの自業自得でもあるんだ。
だが……。
― バレットさんは誇り高き戦士です。―
俺の頭の中にティナの言葉が鮮烈に残ってやがる。
グリフィンが俺の体を使ってティナを襲った時に、ティナが言っていた言葉だ。
「くそっ……イライラさせやがって」
あいつはいつも俺をイラつかせる。
弱くて臆病なくせに、時折俺を見るまっすぐな目がやけに意思の強さを感じさせる。
そんなワケの分からない見習い天使。
だけど一つだけ言えることがある。
変わり果てた今のあんな姿は、ティナにはまったく似合っていないってことだ。
「堕天使なんかになってんじゃねえ。おまえには似合わないんだよアホ」
そう呟くと俺は腹の底の苛立ちを噛み殺して空を見上げた。
上空では天使と悪魔、そして魔物どもが入り乱れて戦い続けている。
バグで狂った魔物どもはライフがゼロになっても死ぬことはない。
それを見越した天魔の直轄部隊は何やら筒状の武器を用いてそこから白い煙を魔物どもに吹き付け、奴らを凍結してその動きを停止させていた。
なるほど。
ああいう手があるのか。
おそらく超低温で凍結させられ動きの止まった魔物どもは、次々と海や島に落下していく。
そして下で待っていた別の部隊がそいつらを壺のような物に吸引して封じていた。
さすがに統制の取れた動きだ。
だが、それでも魔物どもの数が大きく減ることはなかった。
今、俺が磔にされている塔の外壁には、無数の鏡が貼り付けられている。
それらは俺がこのフーシェ島の地下室で見たものと同じで、縦長の姿見だ。
そしてそこから次々と魔物どもが出現し始めたんだ。
魔物どもは外壁に磔にされている俺には見向きもせずに、上空や地上および海上の直轄部隊に襲いかかっていく。
「こりゃキリがねえぞ」
俺は自分のすぐ間近から出撃していく魔物どもを見ながら唇を噛んだ。
直轄部隊がいくら魔物どもを無力化しても、奴らは次から次へと無限に現れる。
この状況を打破すべく、直轄部隊はこの塔の鏡を破壊しにかかるが、ひっきりなしに鏡の中から魔物どもが現れる現状では、塔に近付くこともままならない。
こりゃ無限地獄だな。
この騒乱はそうそう収まりそうもない。
これこそがグリフィンの望んだ事態なんだろう。
あの野郎はこの機に乗じて何かをしでかすつもりなんだ。
そして俺が磔にされている塔の屋上で何やら騒ぎが起きたらしく突然、大勢の男の声がワッと響き渡ったかと思うと、塔が小刻みに震えた。
一体何が起きてやがる?
俺がそう訝しんでいると、頭上からグリフィンが悠然と降下してきて俺の前で静止した。
『秩序と混沌の争い。神代から続く永遠のテーマを再現してみたんだが、いかがかね』
「てめえ……ふざけてんのか」
俺は今すぐグリフィンをぶっ飛ばしてやりたくて必死に体を動かそうとするが、この胸に突き刺さったままの光の槍はそれを許さない。
『おとなしくしていろ。もうじきメイン・イベントが始まる』
メイン・イベントだと?
顔をしかめる俺を見たグリフィンが機先を制して言った。
『内容は見てのお楽しみだ。せっかくの祭を楽しめ』
「何が祭だ。運営本部の直轄部隊が派遣されたってことは、てめえは正式にお尋ね者になったってことだ。今に大群が押し寄せてきててめえも氷漬けにされるぞ。あの魔物どものようにな」
そう言って牙を剥く俺に対してもグリフィンは余裕の表情を崩さない。
『心配は無用だ。バレット。邪魔が入らぬよう入念に準備は行った。今頃、天使と悪魔それぞれの総本山は大混乱だ。こちらに増援を派兵する余裕はあるまい』
「なに? どういうことだ?」
『前に話しただろう。この塔の2本の角柱の話を』
2本の角柱。
この塔の屋上にあるその柱には、この外壁に貼られた転移の鏡よりもさらに大きな鏡が四面に貼り付けられている。
それはグリフィンが不正プログラムを用いて拵えたものであり、それぞれ天使の総本山である天樹の塔と、悪魔の根城である悪鬼城に繋がっている。
「てめえ。さっきあの部屋で言っていたことを実行したのか」
『その通りだ。今頃は悪魔の軍勢が天樹の内部に侵入して天使の寝床を襲撃しているだろう。同様に天使の部隊が悪鬼城に押し入り、悪魔の穴蔵で大暴れだ。もうどちらも自陣を守るのに必死で、ここに援軍を送る余裕はなかろう』
愉快痛快といったようにそう言うと、グリフィンは喉を鳴らして笑った。
このクソ野郎の手引きで天使も悪魔もまんまと踊らされていやがる。
それは俺にとっちゃどうでもいいことだが、この後に踊らされるのが俺だって話ならクソ面白くもねえ。
俺は何か手はないかと周囲に注意を払い、視線を巡らせる。
天使や悪魔と魔物どもの争いはますます苛烈さを増していた。
眼下の波打ち際では海棲人の首領が倒れたままなのを、奴の小飼の大脚鳥が必死に助け起こそうとしている。
リジーの奴はどこかに消えちまったようだ。
争乱によって魔物どもの包囲網が解かれたのをこれ幸いと、さっさとトンズラこいたんだろう。
賢明だ。
『この期に及んでも心折れずに勝機を見出そうとする貴様の根性には敬服するぞ。バレット。だが、もう貴様は手足をもがれた虫けら同然だ。何も出来ずに死を待つのみ』
そう言うとグリフィンは俺の頭をその手でグッと掴む。
「触るんじゃねえよ。クソ野郎が」
そう牙を剥く俺に構わず、奴は俺のメイン・システムに不正アクセスを試みた。
くそっ……勝手に腹の中を探られているような極めて不愉快な気分が俺を襲う。
グリフィンは俺のメイン・システムを不正操作してアイテム・ストックに侵入すると、その中から海竜の笛を取り出した。
そしてそれを指でつまんでしげしげと見つめる。
『なるほど。これか。厄介な水流を呼び出すのは。海棲人どもの宝具だな。まったく貴様ごときにはふさわしくない貴重品だ』
そう言うとグリフィンは海流の笛を握りつぶし、粉々になった破片を投げ捨てた。
くそっ……起死回生の切り札になり得るアイテムが奪われ、俺の勝利への選択肢がまたひとつ失われた。
いくら周囲を見渡してみても、俺がこの目で見える範囲には俺の助けになるような人物や物事は見受けられない。
打つ手なしか。
そうして視線を巡らせているうちに、波打ち際の上空あたりに黒い点がかすかに見えた。
それに気付いた俺は眉を潜める。
あれはさっきグリフィンが作り出した奇妙な黒玉だ。
その黒玉はいまだに縦軸の回転を続けていたが、心なしかその回転速度が速まっているように感じられる。
それだけじゃない。
さっきより少し大きくなっているような気がする。
俺の視線に気付いたグリフィンは得意気に顔を綻ばせた。
『どうだバレット。あれが闇の宝玉だ』
「闇の宝玉だと?」
『そうだ。まあ私が勝手に名付けたものだが、私をこの世界から解き放ってくれる切り札だ』
「てめえ。そんなにここを出ていきたきゃ1人で勝手に行け。俺を巻き込んでんじゃねえ」
『もっともだ。私も立つ鳥跡を濁さずといきたかったが、残念ながら不正プログラムを手に入れただけでは、それは叶わぬのだ。だから私はこのティナの力を欲した』
そう言うとグリフィンはティナの頭髪を掴んでグイッとその顔を引き上げた。
光を失ったままのティナの目が俺に向けられる。
生気の欠片も窺えないその虚ろな瞳が俺を苛立たせる。
「グリフィンてめえ。いい趣味していやがるぜ。そんな小娘をいたぶって楽しいか」
『楽しいさ。何しろ私にはバラ色の未来が待っているのだからなぁ。今は何をしていても楽しくて仕方が無い。それにしてもバレット。つくづく貴様は悪魔らしからぬ男だな。卑劣な行いは貴様ら悪魔の十八番だろう。まさか行動を共にするうちにティナに情でも湧いたか? くだらん』
嘲るようにそう言うと、グリフィンは薄笑みを浮かべた。
『さて、私は忙しい身でな。貴様にばかり構っている暇はない。旅立ちの刻限が迫っているので身支度をせねばならぬ。貴様はそこで終末の混迷を眺めているがいい』
「待ちやがれ。俺をここで確実に殺しておかねえと、後で必ず泣きを見ることになるぞ」
そう言って睨み付ける俺の視線にもグリフィンは涼しい顔を見せる。
『断る。今、貴様を殺してもまったく面白味がない。そう焦らずとも貴様には必ず死を贈呈してやる。すぐにな。だが私にここまで抵抗してみせた貴様には相応の死に様を用意してやりたいんだよ。だから魔物どもにも貴様を殺さぬよう一時的に制限をかけてある』
だから魔物どもは俺を無視していやがるのか。
くそったれめ。
「どうしてもてめえの旅立ちを見送ってから死ねってのか? 胸糞悪いんだよ」
『ハッハッハ。そう言うな。だが、死に様を用意してやりたいなどと偽善的な物言いだったな。訂正しよう。私が見たいのだ。私の用意した手段で貴様が派手に散る様をな。私はその光景を土産に甘美な旅に出るのだ』
そう言い残すとグリフィンは再び塔の最上階へと飛び立っていった。
後に残された俺は胸を貫く光の槍から抜け出すことも叶わず、ブザマな姿を晒しながら周囲を見ていることしか出来ずにいた。
グリフィンの奴が引き起こした騒乱が目の前で繰り広げられている。
奴はこの馬鹿騒ぎの最後に一体どんなショーを見せようというのか。
何にせよ俺はそれを見せられた後に死ぬ。
まったく気に入らないがな。
忸怩たる思いで周囲を見つめていた俺は、海岸線の上空10メートルほどのところに浮かぶ闇の宝玉を見つめる。
回転を速めながら徐々に大きくなりつつあるそれは、最初に見た時は拳大でしかなかったが、今はすでに人の頭ほどの大きさに成長している。
その大きさになってみて俺は初めて気が付いた。
真っ黒な宝玉は奇妙な明滅を繰り返しながら……周囲の物質を少しずつ引き寄せ始めていたことに。
それはこのゲームにとって最悪の災いの始まりだったんだ。
今回もお読みいただきまして、ありがとうございます。
次回 最終章 17話 『闇の宝玉』は
12月2日(月)0時過ぎに掲載予定です。
次回もよろしくお願いいたします。




