第1話 成功報酬は、君の笑顔じゃない
ストップウォッチが、止まった。
00:04:32
四分三十二秒。
「……予定より八秒遅い」
俺は画面を見つめたまま、小さく舌打ちをした。
屋上のフェンス越しに、二人が見える。
夕日に染まった中庭で、男が女に向かって何かを言っている。女は俯いて、それから——顔を上げた。
頷いた。
男が腕を伸ばす。
女がその胸に顔を埋める。
青春映画の一幕みたいな光景だった。
俺はその「一幕」をスマホのカメラに収めながら、静かに息を吐く。
完璧だ。
服装、タイミング、LINEの返信間隔、告白場所の選定、言葉の選び方。
すべて、俺の設計通り。
「成功率、百パーセント」
誰に言うでもなく、呟いた。
風が吹いて、制服の裾が揺れた。どこかから金木犀の匂いがした。
俺はその匂いを、特に何も感じることなく認識した。
「橘先輩!!」
階段を駆け上がってくる足音。
振り向くと、息を切らした田中航一年の告白成功者が、目を真っ赤にして飛び込んできた。
「成功しました……!! ありがとうございます、本当にありがとうございます……っ!」
肩を震わせて泣いている。
俺は彼の様子を三秒観察して、最適な表情を選んだ。
「おめでとう」
薄く、笑う。
田中は俺の手を両手で握って、激しくしゃくり上げている。
「先輩がいなかったら、絶対無理でした。服も全部選んでもらって、LINEも全部指導してもらって……俺、自分一人じゃ何もできないって思ってたけど——」
「それは違う」
俺は穏やかに彼の言葉を遮った。
「君は彼女が好きで、勇気を出したから。俺がやったのは、その勇気を無駄にしないための最適化だよ」
田中がぽかんとして、また泣き出した。
本当のことを言うと、君の幸せには一ミリも興味がない。
俺は人体実験をしているだけだ。
恋愛という感情を持つ人間が、どの変数を調整すれば最大効率で「成功」を引き出せるか——その仮説検証を、君に手伝ってもらっただけだ。
でもそれは、言わない。
プレイヤーに実験対象だと教える必要はない。
「幸せにな」
田中は深く頭を下げて、去っていった。
俺はその背中を見送って、すぐにスマホを開く。
手のひらが少しだけ、汗でじっとりとしていた。
自分の心拍を確認する。82。……少し高い。
「おめでとう」という言葉を吐き出すたび、自分の内側にある何かが、薄く削れていくような気がする。
急いでメモアプリを開いた。
Case_47:成功。
告白所要時間4分32秒。
有効データとして採用。
感情を文字に変え、数値を打ち込む。
そうして「データ」として整理してしまわないと、他人から向けられた過剰なまでの幸福感にあてられて、死んでしまいそうになる。
俺は、この作業が嫌いだ。
そして、この作業なしでは、自分が自分でいられないことも知っている。
この学校で、俺には通り名がある。
「縁切り師」
本来は「縁結び」だったはずが、いつの間にかそう呼ばれるようになった。理由は、たぶん——俺が笑わないからだと思う。
ちゃんと笑ってるんだけどな、と俺は思う。
筋肉の動かし方は知ってる。
目尻を下げて、口角を上げて、声のトーンを三度ほど上げる。
「親しみやすさ」の演算式は、とっくに暗記した。
でも人間というのは不思議なもので、「本物かどうか」を、どこかで感じ取るらしい。
俺にはそれが、よくわからない。
本物の笑顔って、何が違うんだろう。
そんなことを考えながら、夕日が沈んでいくのを眺めていた。
空が橙から藍に変わっていく。
誰かが誰かを好きになる理由が、俺にはわからない。
でも、その「好き」を最大化する方法は、わかる。
それだけで十分だ。
俺には——
「あの」
声がした。
振り返った瞬間、思考の回路が、ショートした。
夕日の逆光の中に、少女が立っていた。
長い黒髪。
少し乱れた前髪の隙間から、きれいな目が俺を見ている。
制服の第一ボタンをちゃんと留めていて、でも全然お堅い感じがしない。
足元には小さなバッグ。
白い指がその持ち手を、ぎゅっと握りしめている。
世界が、一段明るくなった気がした。
違う。
大気の屈折現象だ。
瞳孔が散大している。
網膜に入る光の量が増えただけだ。
──そう自分に言い聞かせないと、足元が崩れそうだった。
心拍数が、跳ね上がっている。
(……毎秒72から、94。有意な上昇。原因はなんだ??)
俺はその数値を素早く確認して、フォルダの奥に叩き込んだ。
「橘くん……だよね? 二年の、橘晴人くん」
「そうだけど」
自分の声が、いつも通りで安心した。
少女は深呼吸した。それから、ちょっと恥ずかしそうに、でも真剣な目で言った。
「恋愛相談、受けてもらえる?」
ああ。
またか。
「聞くよ」
俺はフェンスに背をもたれて、スマホを構えた。いつもの姿勢。いつもの顔。
少女が一歩、近づいてきた。夕風が吹いて、彼女の髪が揺れた。
金木犀の匂いが、また、した。
「好きな人がいるんだ」
「うん」
「でも、全然振り向いてもらえなくて」
「具体的に教えて欲しい。相手はどんな人なのかな?」
少女は俯いた。白い頬が、少しだけ赤い。
そして——名前を、言った。
俺は画面から目を上げた。
反射的に。
「……それって」
「うん」
少女は顔を上げた。
真っ直ぐに、俺を見た。
「クラスの男子に振り向いてほしいんだけど、どうしたらいいかわからなくて。橘くんなら、絶対うまくやる方法知ってるって聞いたから」
俺は彼女が言った名前を、頭の中で反芻した。
——あいつか。
確かに。
「高嶺の花」という表現が、この学校で一番似合う奴だ。外見、家柄、成績。どれをとっても、同学年の女子が憧れるのは当然の帰結で——
「ねえ」
少女が、小首を傾けた。
「私の恋も、叶えてくれるかな?」
沈黙が、三秒。
脳内にある何千もの恋愛データが、高速で検索を開始する。
「……あいつ、かなり難しいぞ」
ぽつりと、俺の本音がこぼれた。
計算の結果ではない。一人の男としての、敗北宣言に近い言葉。
「知ってる。でも、橘くんなら……」
彼女が少しだけ不安そうに、俺の制服の袖を掴んだ。
指先から、体温が伝わってくる。
演算不能な、熱。
胸の奥に、冷たい穴が開く。
脳裏には、彼女が別の男──俺よりずっと光り輝くあいつの隣で、今日のような笑顔を浮かべている「完成予想図」が、鮮明に描かれてしまった。
自分で自分の首を絞めるようなものだ。
でも、俺にできるのは「演算」だけだ。
「わかった。引き受けるよ」
最適な筋肉を選んで、笑顔を作る。
「君が誰を好きでも。俺が完璧に叶えるために最善をつくす」
それは、恋の予感なんかじゃない。
これから始まる、完璧に設計された、緩やかな自殺の始まりだった。
夜。
一人になった屋上で、俺はスマホを開いた。
メモアプリ。
新しいケースファイルを、作る。
Case_48:依頼者——
そこで、俺の指が止まった。
名前を、打ち込もうとして。
なぜか、打ち込めなかった。
風が吹いた。
金木犀の匂いがした。
俺は空を見上げた。一番星すら、見当たらなかった。
(俺は空っぽだ)
昔からそうだ。だから、他人の幸せを詰めることで、重さを保っている。
だが、なぜだろう。
今日打ち込んだ「Case_48」という数字だけは。
指先が拒絶したように、震えて消せなかった。
街の明かりが、いつもより滲んで見えた。
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