54.道具屋とビギナーズの引率
この世界の大気中に溶け込み、当たり前のように存在している魔素。
大気のみならず、生物や植物、水や大地、鉱物にも含まれているが、生物の体内に取り込まれることで「魔力」というものに変換されるといわれている。
魔力はこの世界の根幹たるもとであると言っても過言ではない。魔力が失われてしまうと、ほとんどの生物は生命活動を維持する事ができなくなるからだ。
魔素の発生源はどこか。太古より研究者達が探求し続けているのだが、いまだ結論付けされていない。
ある者は時空の裂け目から流れ込む異界の風だと、ある者は地脈から湧き上がる瘴気だと、またある者は天から降ってくる神の吐息という。
ただ、魔素を最も強く感じることが出来るのは迷宮である。
閉鎖空間で外とはまた違う強力な魔獣達が跋扈する世界となっている迷宮は、濃度の濃い魔素で充たされていると考えられていて、それ故に途切れることなく魔獣が発生するのだというのが一般的な考えである。
その魔獣達がどこから来るのか。
倒しても倒してもまた同じところに現れる魔獣は、数を減らすわけでもなく、這い出てくるわけでもなく、永遠に迷宮内を彷徨い続けるのだ。
当然、人族であっても六十日も連続して迷宮内に籠れば魔獣化してしまい、もはや人ではなくなってしまう。それ故に、迷宮へ入る探索者達は【魔素遮断結界】の魔道具を身に着け、体内へ入り込んでくる魔素を極力遮断して探索を続けているのである。
◆
獣人族の二人が店に飛び込んできてから二日後、ロウはリルとイシュルを連れて探索者組合にやって来た。
ロウはいつも着ている古びたローブと丈夫な長革靴姿だが、今日は珍しくも短槍を持っている。
組合へ来たのは、これからビギナー級の二人を連れて迷宮に入る許可を取るためである。
探索者組合には、ルーキー級にならないと迷宮に入れないという規則があるのだが、第二階層までならセンター中級以上の探索者一人に付き、三人まで見習いとビギナー級探索者の同伴が許されているのだ。
自由都市国家ラプトロイでは、新人は探索者養成所で基礎を学んでから探索者になるのが一般的であり、その教育の一環として、教官の引率の元、迷宮での実地訓練が行われる。
しかし、新人達の中には諸事情あって養成所に通えない者もいるので、不公平感をなくすために作られたルールであった。
ロウは、これまでのセンター上級からエクスぺリア下級へと昇級していた。
この数年の間、細々とではあるが探索者として依頼を消化し続けていたので昇級する資格はあったのだが、ここ最近では古代樹の杖の修理や迷宮魔法陣の探索と組合依頼も達成したのが決め手となってしまった。
エクスぺリア級になると組合からの指名依頼も発生するで、ロウとしては絶対に断りたい昇級であったのだが、支部長の推薦(鶴の一声)で有無を言わさず決められてしまったのである。
ともかく、ロウは二人を連れて迷宮に入る予定である。
従魔使いになりたいというリルに、魔力という目に見えぬモノを意識的に感じ取る事を覚えさせるのが目的だ。さらに、体内を駆け巡る魔力を感覚だけで理解し、その流れを制御するまでできればなお良い。
魔獣を自分の従魔にするためには、契約するか、隷属させるなどの方法があるが、いずれにせよ対象の魔獣に自分の魔力を与える必要がある。
従魔に魔力を与える方法は二つあり、一つは契約者と直接接触して一方的に魔力を押し込む方法、もう一つは契約の魔法陣を介して通路を作り魔力を流す方法である。
いずれの場合も、固有能力である魔力操作と同等の能力を覚えなくてはならないのだ。
しかし、魔力操作はそう簡単に習得できるものではない。体中を巡る魔力を感じろと言って、すぐに成功する者など殆どいないであろう。
しかも、獣人族の二人は魔法とはそれほど縁がなく、魔獣との戦闘経験もあまりないので、魔力というものを身近に感じた事が無いという。
だからこそ、ロウは二人を迷宮に連れて行こうとしているのである。
迷宮の中であれば魔力の元と言われる「魔素」で充たされ、あらゆる事象に魔力の流れが伴うのである。それは、誰かが魔法を発動させた時、迷宮の罠が発動した時、人族や魔獣が死亡し内包魔力が揮発する時、そして新たな魔獣が生まれた時などである。
そういった魔力の流れが頻繁に起こる迷宮は、これまで魔力を感じ取った経験が無い者でも何かをつかめる場合がある、と言われているのだ。
魔獣との戦闘経験が少ない二人にとっては良い訓練にもなるし、倒した魔獣の魔核をロウの店で買ってあげれば、少しは生活費の足しにもなるであろう。
「ふーがいないのは、ちょっとさびしい。」
「仕方ないのです。フーコが悪い魔獣になってしまったら大変なのです。」
リルの従魔フーコは、黒蛇ディルとスライムのハクと共にロウの店でお留守番である。
迷宮内の魔獣は、高濃度の魔素のせいで闘争本能が最大まで活性化した状態だと言われている。そんな中に未契約の従魔を連れて入ってしまえば、たちまち闘争本能に支配され懐いている仲間さえ襲ってくる危険があるのだ。
「夕方には戻ってきますから。少しの間、我慢ですよ。」
「うん。」「はいです。」
◆
自由都市国家ラプトロイにある探索者養成所には、最初から仲間と一緒に通う者もいれば、学校で気の合う仲間を見つけ、縁を結ぶ者達もいる。
もちろん、固定パーティを嫌い、普段は一人で活動して臨時パーティを組むという探索者もいるが、それを続けるのがいかに難しいか、高位の探索者であるシモン・ヴェルモートルを見れば理解できるであろう。
探索者養成所に真面目に通い、晴れて見習い探索者を卒業してビギナー級となった治癒魔法士リンセルは、養成所の座学では常にトップクラスの成績で、剣術、体術、解体術の訓練でも、治療師とは思えないほど真剣に取組み、本職にも引けを取らぬ技術を身に付けている。
たゆまぬ努力を続ける彼女は、養成所を卒業して間もないのに、探索者達の間でもちらほらとその名が挙がるようになり、偶に格上パーティから勧誘されることもあった。
そんな彼女は特定の仲間と組むことをせず、現在は養成所で知り合った、女二人男一人で構成されたパーティに臨時の治療師として参加している。
まだ迷宮に入れないビギナー級なので、ここ最近は組合の依頼を受けて魔境に入り、野兎や森大蛇、魔獣フォレスボアの討伐などをこなしていた。
「リンセルの回復魔法はすごいよね!あっという間に傷が治っちゃうもの!」
「獣の解体だって俺よりも上手いんだからなぁ。立つ瀬がないや。」
「まだまだだよ。範囲も狭いし、魔力も足りない。全然魔法を使いこなせてない。」
「えっと、リンセルがそんなこと言ってたら、他の治療士なんかみんな仕事失っちゃうよ?」
「・・・だめ。もっと早く正確に発動させないと。」
仲間の探索者がやれやれと言った感じで口を噤む。
実際、リンセルの治癒魔法は、発動までの速さや効果など探索者の中でもセンター級の治療魔法士にも匹敵するものである。
だがリンセルにとって、それは決して満足のいく成果ではないようだ。
(まだ樹王の杖を使うどころか、ウォームワンドすら使いこなせていない・・・)
リンセルは腰に挿した銀色に輝く魔法杖にそっと触れた。
リンセルは今の自分の評価は、このウォームワンドという優秀な魔法杖のおかげであるということを理解している。
もしこの杖が無ければ自分の魔法など初歩も初歩、仲間の助けになるようなものではないと自戒し、決して驕ることはなかった。
(このままではお婆ちゃんにも、私を信じてこの杖を貸してくれたロウさんにも会わせる顔が無い。)
「早く恩返ししなきゃ・・・」
そんなリンセルの小さな呟きに、誰一人気が付いた者はいなかった。
◆
翌日、リンセルは一人で探索者組合の大扉を潜った。いま、共に行動しているフォレスボア討伐のパーティと、五日に一度は作ると取り決めた休暇日である。
たとえ休暇日であっても、リンセルは探索者組合の訓練所に行き、魔法と剣の鍛錬を休む事はなかった。
受付カウンターに向かう途中でリンセルは立ち止まった。窓口に見知った人の姿を、恩人である「道具屋」のロウがカウンターの職員と何事か話しているのに気付いたのである。
リンセルは思わず駆け寄ってロウに声をかけた。
「ロウさん!!」
「おや?リンセルさんですか。こんにちわ。そう言えばビギナー級に昇格したとか。おめでとうございます。」
「ありがとうございます!あれからご挨拶にも伺わず、御無沙汰してしまいすみませんでした。」
「いえいえ、何も無ければそれが一番良いのです。杖の整備が必要になった時はいつでもいらして下さい。」
「はい!その時は・・・」
ふと、我に返ったリンセルは、ロウの傍に立ち、怪訝そうに自分を見ている二人の少女に気付いた。
思わずロウと二人の少女を見比べると、ロウは苦笑を浮かべながら経緯を説明する。
「いや、彼女達の引率で迷宮に行くのですよ。その許可を貰いに来たのです。」
「え?迷宮に行かれるのですか?三人で?」
「ええ、少し魔獣を倒す訓練をしようと思いまして。彼女達もビギナー級なのですが、二人とも他の町から来たので養成所で学んでいないのです。それで・・・」
「私も連れて行って下さい!!」
「え?」
リンセルは反射的に叫んでいた。別に迷宮に行きたい訳ではない。いや、養成所に通っていた時も訓練の一環として何度か教官と共に入ったことはある。
迷宮であろうが魔境であろうが、機会があるならば恩人と一緒に探索してみたいという純粋な思いから出た言葉だった。
「あの・・・お邪魔でしょうか?」
「いや、そういう訳ではないのですが・・・魔獣討伐が目的ではないので、探索者としての稼ぎをお約束できないというか、リンセルさんに益がないというか・・・」
「ぜっ全然かまいません!!今日は探索休養日ですので!ぜひお願いします!!」
「はあ・・・リルさん、イシュルさん、宜しいですか?彼女もビギナーの治療魔法士なのですが。」
「師匠が決めた事に従う。」「人数は多い方が楽しいのです!」
獣人族の二人も特に反対はしない。逆に、自分達と同世代で治療魔法士という聞きなれない職業のリンセルに、少なくない興味を持ったようである。
ともあれ、急遽ビギナーズの引率役となったロウは迷宮に入る届出書を提出し、三人の少女を引き連れて探索者組合を後にした。
◆
ここはラプトロイ迷宮の第一層。
広大なこの階層には、鋭い角を振りかざして襲ってくる魔獣双角ネズミや、強力な二本の後ろ足の蹴りで襲ってくる魔獣ラットフログなど、体長は60cm程度と小さいながら毒爪を持つ魔獣が跋扈しているので注意が必要だ。
しかし、第一層で最も危険な魔獣は「小鬼」と呼ばれる二足歩行の人型魔獣である。
十歳位の子供と同じ背丈で手足が長く、よくゴブリンと間違われるが、残忍な性質で刃物や鈍器など武器持ち、常に三、四匹で徒党を組んで襲ってくる手強い魔獣である。
迷宮に挑む者ならば、最初に倒さなければならない魔獣であるが、人型をした魔獣なので人族を殺した感覚になり、殆どの者が気分を悪くしてしまうのである。
小鬼に限らす迷宮での戦闘では、決して一人で複数を相手にしないこと、背中を見せないこと、変異種がいたらすぐに全力で逃げること、が鉄則である。これを守らなかった初心者が大怪我してしまうことが少なくないのだ。
ロウに引率されたビギナーズが、迷宮大脈道から細脈道に侵入していく。
浅階層では細脈道の岩壁にもヒカリゴケがこびり付いているので、暗闇に怯えることはないのだが、ロウは魔道カンテラを取り出して光源を確保した。
背後にいるビギナーズが極度に緊張した様子が伝わってくる。
リルとイシュルは獣人族だけあって気配察知能力は優れているようなので、暗がりにいる魔獣から不意打ちを食らうことはないだろうが、ここまで緊張してしまうと周囲に気を配ることは出来ないだろう。
やがてロウは立ち止まり、声を落として囁くように三人に告げる。
「この先を曲がったところに三体いますね。おそらく小鬼です。」
ビギナーズが一層緊張して体が固くなるのが分かる。
リンセルは見習い時代に教官の引率で迷宮に入った経験はあるが、それでも表情は固い。獣人族の二人組は玉のような汗を額に浮かべていた。
ロウは小鬼から距離を取るように後ろ向きで下がると三人へ向き直り、相変わらず長閑な声で話しかけた。
「はい、みなさん深呼吸をしましょう。」
「は、はい。」
「まずは、落ち着くことが大切です。イシュルさんなら小鬼程度倒すのは造作ない事ですよ。」
「・・・分りましたです・・・ふぅ~、もう、大丈夫なのです。」
「うん、最初は僕が戦います。迷宮の中で命が散るという事をしっかりと見届けて下さい。」
ロウはニッコリと微笑むと、肩掛けの鞄から迷宮の外で拾ってきた小石を取出し、曲がった通路の死角になった先へと投げ付けた。
「ギュワワ!!」「ギュワ!ギュワ!!」
その先の暗闇から、嗄れた魔獣の鳴き声が聞こえてきた。




