46.道具屋の珈琲と昔馴染みと
辺境にある自由都市国家ラプトロイでは、昨晩この時期にしては珍しく纏まった雨が降った。
これまで乾燥した天気が続き、ずっと街中に溜まったままだった砂埃が一気に流され、建物の屋根や壁などが本来の色を取り戻し、朝日を受けて鮮やかに輝いている。
ラプトロイの街は第三防護壁内であれば殆どの道に石畳が敷かれていて、こんな雨上がりでも道がぬかるみ、足元が汚れることは無い。
だから人々は砂埃が流されてすっきりとした街を、気分良く歩く事が出来るのだ。
街の殆どの店が開店となる鐘一つの刻(鐘一つ刻は九時、鐘二つ刻は十三時、鐘三つ刻は五時、鐘四つ刻十七時くらい)になると、街の人や街の外から来た者達でさらに道を行き交う人は増え、一層賑やかさが増してくる。
だが、もちろんそれは大通りであって、そこから数ブロックも離れた裏通りでは歩いている人も疎らである。
表通りから二ブロックは成功者が住むよく整備された街並み、そこから先はまるで迷宮のように混沌とした生活臭溢れる界隈、そんな二面性も持つ都市国家では、表の者のが裏に入り込んでくることなど殆どないのである。
◆
雨だろうが晴れだろうが、いつも通りの朝を迎えた裏路地にある道具屋の、店の扉に取り付けた鉄製の鐘が「からん」と涼やかな音をたてた。
「いらっしゃいま・・・」
「御機嫌よう、ロウ殿。」
客の姿を確認せず、反射的に営業挨拶の言葉を発してから客を見たロウの言葉が途中で止まった。
開店して間もなく、店の佇まいにしては重厚そうな扉を開けて入ってきた客は、長身の老紳士、以前シモンに連れて行かれた南大通りにあった喫茶店の店主である。
元レジェンダリ級の探索者ソルディ・カインズベルド。
この街で彼の名を知らぬという探索者はいない。いや、この街に限らず、探索者と名乗る者達の間で彼の名は余りにも有名だった。
曰く、拳神
曰く、大地割り
曰く、破壊王
彼は人間族長寿種のコードミアで、探索者組合の歴史にその名が現れたのは二百年も前だったとか。
探索者ソルディは武器を持たず、己の拳と体術で敵を倒すという武闘家であった。
もちろん、武器を持っても一流の腕前であり、刀剣や槍、弓といった武器を自在に扱い、身体強化と風土の魔法までも使いこなすという、まさに戦いの神に寵愛された人間族である。
しかも、この世界で二十人しかいないレジェンダリ級探索者でありながら、どの国家に属さず、爵位や称号さえ受け取らなかった孤高の人物の生き様は、酒場で歌われる吟遊詩人の詩にも登場するほどなのだ。
驚くロウを余所に、穏やかな笑みを浮かべながら片手を上げて挨拶した彼は、先ずは店内に展示してある武器防具を品定めするつもりなのか、壁三面に渡って展示してある武具や道具の棚へと目を向けた。
引退したとはいえ元探索者、やはり武器防具への興味は褪せないようで、一品一品確かめるようにゆっくりと見て回っている。
この道具屋は南面に入口があり、奥の北面に魔道具の棚と接客カウンターがある。東面には刀剣、槍、弓と武器が並べられ、入口の横には杖や短杖が展示してあった。
防具類は全身鎧や金属鎧の展示はなく、革鎧や籠手、革ベルトといった万人が装備できる物を展示しており、それ以外は注文生産となる。
一通り店の商品を見た後、ソルディはカウンターの傍まで来てロウに話しかけた。
「いや、中々の品揃えでございますね。路地裏の一角にこれほど品質の高い品々があるとは、驚きました。」
「カインズベルト様、このような小店にようこそ。」
「ロウ殿、私は既に一般人ですので敬称は不要でございますぞ。ソルディとお呼び下さい。」
「い、いえ、どうか私のことこそ呼び捨てでお願いします、ソルディ様。」
「ふふふ、商売人をしているとついこんな口調が板についてしまいます。お互い難儀なものですなぁ。」
「はぁ、畏れ多い事で・・・」
緊張のあまり、生返事になってしまうロウだがソルディは余裕の笑みを浮かべ、探索者としては格下のロウを相手にあくまで低姿勢で紳士的に振る舞うので、ロウは一層恐縮してしまう。
簡単な会話を交わしながらも、ロウはソルディにカウンター席を勧め、超一流の人物が何故このような小店までやって来たのか尋ねた。
「ソルディ様、本日は何かお求めでございますか?」
「いえ、私はもう武具を置いた身でありますれば、そう言ったモノを求めにやって来た訳ではないのですよ。」
「はい。」
「実は、シモン殿がこちらの珈琲が大変美味しいとかねがね言っておりましたので、ぜひ一度賞味したいと思いまして。まぁ敵情視察ですな。」
「そ、それは恐縮です。すぐ準備いたしますので少々お待ちください。」
まさか珈琲が目当てとは。予期せぬ注文に慌てながらも、店のバックヤードとしている水場に入り、珈琲を淹れる準備を始めた。
水場には調理台と二日に一度井戸から汲んでくる地下水が入った水瓶、火属性魔法陣で加熱と発火を付与した魔道加熱台、自作の簡易魔道冷蔵庫が配置されている。
ロウの店は食事処ではないのだが、いつからかあれこれ道具が揃い、このような状態になってしまったのだ。
水瓶から胴鍋へと水を移し、加熱台に乗せて沸騰させる間に、三日ほど前に焙煎したばかりの珈琲豆を密封容器から取出し、破砕機に入れて粉砕する。
粉砕機も石臼のようなものではなく、突起を持った三軸の歯が通過するモノを砕くといった物である。これは魔道具ではなく手動で動かすただの器具であるが。
粉砕した豆の状態と香りを確め、専用の抽出道具に濾し布を張ってから、粉末を抽出具の中に仕込んでおく。やがて湯が沸騰してしばらく経ってから加熱を止め、少しだけ冷ましたお湯を注いで、濃茶色の液体をゆっくりと時間を掛けて抽出していく。
この手法は、珈琲好きなサキ師匠から教わった淹れ方である。
もっとも、優秀な錬金術師である彼女は透明な硝子を錬成する術を持っており、スライムを二つ重ねたような形の透明で薄い硝子容器で淹れるのだが、ロウはまだ、その魔道具を作る知識も腕も持っていないのだ。
ロウが淹れる珈琲は若干苦みを強くした味わいにしている。
シモンに連れられて南大通りにあるソルディの店に行ったことがあるロウだが、あの店で飲んだ珈琲は酸味と苦みのバランスが絶妙で美味しく、ロウが淹れたものでは決して出す事ができない味わいだったのだが。
ともあれ、出来あがった珈琲を陶器のカップに入れ、カウンターで静かに待っていたソルディの前へ置いた。
「ほう・・・確かに香が際立ちますな。これは煎り具合かも・・・なるほど。」
「生豆は西南の農業国サテンドラで作られていて、隣国ハウンドール王国の王都サイトスに輸入される品です。」
「ふむ、私の店でも同じ豆を使っております。この店にはサキ殿が送るのですかな?」
「おや、師をご存じでしたか?はい、サイトスにいる師の友人が生豆を定期的に送ってくれるのです。」
「なるほど、同じ豆なのにこの違い・・・焙煎の方法ですかな。」
ここラプトロイで珈琲が広まったのはいつ頃からなのだろうか。
建国の勇者様さえ好んで飲んでいたという話であるから、相当昔から伝えられていたはずである。
珈琲を飲む習慣と共に、当然抽出器具も進歩してきた筈なのだが、焙煎方法だけはずっと変わらず、適当な大きさの鉄板上で煎るという手間のかかる手法が続いていた。
しかし、ロウは自分で飲む珈琲なのだから、それほど手間を掛けて飲むまでもないと考え、魔道具技術を応用して特殊な焙煎機を作りだしたのだった。
それが円筒式小型焙煎機である。
厚めの銅板に等間隔で細かく穴を開けて円筒状にしたもので、屑魔石を動力にして回転力を与え、筒の中で常に生豆を移動し、均等に煎る事ができる魔道具である。
斜めに傾いた円筒の中心に回転軸羽を置いて豆を上部へ移動し、上部から零れてまた下へ落とすという過程で、熱した銅版に触れて煎られる仕組みである。
銅板自体がかなり熱くなるので、火傷などしないように注意が必要であるが、道具の制御は過熱と回転の術式を組み込んだ簡単な魔法陣を付与すれば良いので、実に簡単に作る事ができる。
この仕組みを考案した時、サキには随分と褒められたもので、早速自分の分も作れと命じ、あれこれうるさく注文を出しつつ、現在の形に仕上がったのである。
こうして誕生した焙煎機の説明をすると、途端にソルディは興味を示し、焙煎機というものの詳細をさらに聞きたがった。
「ほほう?鉄板を熱して煎るのではないと?銅板ですか・・・確かに熱は伝わり易いと聞きますな。」
「ええ、なるべく円筒全体が均等に熱を持つようにと考えたのです。銅板の厚みをどうするか散々迷ったのですが、何度か失敗して丁度良い厚さを見つけることができました。」
ロウは工房に置いてあった自作の小型焙煎機を持ってくる。常に掃除しているので汚れている訳ではないのだが、長年愛用しているので焼き跡や傷が目立つ。
「屑魔石が動力となりますので、それほどお金と手間がかからないのです。」
「なるほど、これが魔法陣ですな。」
「これは歯車と言いまして横向きの回転を縦向きに変える事ができる仕組みなのです。」
「ほう、単純な構造ですが、それでいて良く考えられていますね。」
「ありがとうございます。この窪みに適当な大きさの魔石をいれて、この魔法陣に魔力を送ると、この様に円筒が回転するのですよ。」
「成程・・・、豆を常に移動させ熱ムラが無く同じように火が通る・・・素晴らしいですな!」
「最近は過熱の魔法陣は使っていません。炉に火を入れた時についでにやっていまして・・・。」
ロウの工房で魔高炉に火を入れるのは四日に一度ほどなのだが、その時に一緒に焙煎してしまえば個人が楽しむ分には十分な量を作る事が出来る。
豆を煎る時の匂いも煙突から外へ逃がしているので、近所から苦情が来たことは無い。
「ところで、この焙煎機を私にも作って頂けないでしょうか?」
「え?この焙煎機をですか?」
「ええ、私の店では熱した鉄板の上で豆を掻き回して焙煎しているのですが、これが中々手間のかかる行程でして。」
「も、もちろん作ることは出来ますが、本当にこんなモノでよろしいのですか?」
こんな単純構造の魔道具なら、材料さえ揃えばすぐにでも作れてしまうのだが、この焙煎機にもいろいろ問題はある。
鉄板式なら目で見ながら確認できるが、円筒式だと焙煎具合の確認が難しいのだ。
ロウは生豆の水分含有量と焙煎具合、つまり色付き具合を【鑑定眼】確認していた。苦みと酸味の出具合と煎り時間の関係を凡例化して鑑定結果を表わす「記憶情報」にし、その時の気分で味わいを決めている。
そんな欠点があることもロウは正直に話し、改めてソルディに聞いてみると。ソルディも鑑定持ちなので、そこは問題ないのだとか。それに彼の頭の中には、どの種類の豆がどの程度焙煎すれば一番おいしいのか、経験で培った知識が詰まっている。
ロウはこんな魔道具で良いのだろうかと迷いつつも、ソルディの店で一度に生豆を煎る量と、頻度、最大稼働時間などを聞いて、製作する魔道具の規模を決めていったのであった。
◆
そんな風に、ロウとソルディがあれこれと話しているところに、また新たな客がやって来る。
こんな時間に二人目の客とは珍しいと思いながら目を向けると、そこにいたのは「客」ではなく、おそらく時間を潰しに来たと思われる探索者組合の副支部長ダンドールであった。
ダンドールはカウンターにいる先客がソルディだと知ると、声こそ出さなかったが驚きに目を見開いている。
「ソルディ、君が店を離れてこんな所にいるとは・・・何か事件でもあったのか?」
「こんな所とは失礼だな、ダンドール。ここはとても良い店だよ。」
「そんなことは承知だ。君がここにいることに疑問を持っただけだ。」
「はっはっは、私だってまだ外の世界に興味位持っているぞ。店に引き籠ってばかりでは頭も身体も鈍ってしまうからな。」
「それは知らなかったぞ。ここ数年はあの辛気臭い店でしか見とらんからな。」
探索者組合の重鎮と元レジェンダリ級の探索者である。当然、二人は旧知であり、ソルディは先程までのロウに対する丁寧な口調とは全く違う、随分とくだけた調子で会話している。
それはとても珍しい事で、ダンドール副支部長は組合に近い場所にあるソルディの店にも良く通うそうなのだが、ソルディはあちらの店では客と店主という立場を崩さず、いつも固い会話になっているのだとか。
今の二人は互いに敬称も敬語もなく、気の合う仲間が世間話でもしているかのように軽口を言い合いながら、微笑んで会話している。
ロウはそんな二人のために新しい珈琲を淹れようと、店の奥へ静かに消えた。
たとえ奥にいても、カウンターで老齢の二人がこの上なく上機嫌で話に花を咲かせている様子は、ロウの背中へ十分に伝わってきていた。




