25.道具屋と深淵の使徒
迷宮は迷い込んできた人族達に死、または富を平等に与える。
その基準となるものが「力」であり、力弱き者はただ迷宮の糧となるより道がない。それを見極めるため、迷宮には「試練の間」が存在するのかもしれない。弱き者はこれより先に立ち入ってはならぬ、と。
古代文字を理解する「道具屋」のロウは、組合からラプトロイ迷宮の第十五階層に出現した魔法陣の調査を依頼され、この階層にやって来た。
岩肌にはっきりと浮かびあがった魔法陣の文様は鮮明で、記された古代文字も曖昧なモノはなく、明確に固有名詞を表わしていた。
『深淵に赴き、ただ一度限りの闇の使徒との試練に打ち勝て。さすれば汝に力を与えん。』
この魔法陣はそう告げている。
魔獣の氾濫を招くような魔法陣ではないようだが、古代文字の「深淵」から連想されるのは迷宮の最深部なのか、それとも別の場所か。いまだ人知の及ばぬ場所へと誘う危険な魔法陣であることには変わりはないのだ。
◆
岩壁に群生したミドリヒカリゴケが仄かに輝き、そこが岩盤をくり抜いたような巨大な地下空間が拡がっていることが伺える。
出口になるような通路や壁を抜ける扉のようなものも何も無く、この開けた空間が完全な密室であることは、そこにいる誰にでも想像できることだった。
足元の魔法陣が消え、仄暗さに目が慣れて辺りを見渡したセルダイナーが叫び声を上げる。
「こ、ここは!?貴様何をしやがった!!」
「私ではなく、貴方が魔法陣を起動させたのですよ、私の身体を使って。結果、ここにいます。」
「ふ、ふざけるな!!俺が何したっていうんだ!どこなんだよここは!!」
自分がとった行動すら忘れてしまったのか、半狂乱状態となった彼は、ロウに突きかかるような口調で捲し立てる。
ロウがもう一度説明しようとした時、背後の死角からゆらりと人影が現れ、まるで鈴の音のような落ち着いた声で話し出した。
「深淵だよ、セルダイナー。貴様のせいで死地に連れてこられた訳だ。」
「シモン様!どうして・・・」
突然、背後から声を掛けられロウが振り向くと、そこにはここにいるはずの無いシモンが立っていた。
あの時、十五階層の小部屋の床で魔法陣が輝き出した時、シモンは確かに魔法陣の外にいた。しかし、ロウが魔法陣の中に消えていくのを見過ごす事が出来ず、咄嗟に前へ踏み出したのである。
もう少しタイミングが違えば、空間の狭間でその身体が引き千切られるところであったのに、随分と無茶をしたものである。
そんな事を考え何か言おうとするロウを制し、シモンが言葉を続ける。
「貴様の欲が我々をこの場所に招いたという訳だ。分っているのか?エクスぺリアの分際で随分と高望みしたな。」
シモンが上位探索者としての威厳と威圧を込めてゼルダイナーを睨み付けた。それだけでセルダイナーは震えを止める事が出来ない。
所属する蒼天の平均はともかく、セルダイナーは最近になってようやくエクスぺリア級に上がったばかりである。
戦士という役職は、防御に優れてはいるが攻撃に関しては手数が少なく、殲滅速度が遅いという特徴がある。依頼をこなすのでも効率が悪く、自分が所属する「蒼天」の中では最下位という立場だった。
「し、しかし!こいつの言う事が・・・」
「本当であったろう?ここには魔法陣は見当たらないし、見ろ、あそこにある祭壇を。」
シモンが指を挿す方向、何も無いと思われたその空間だが、ロウ達が居る壁際とは反対側の壁に祭壇のようなモノが置かれていて、そこには一振りの両刃の剣が突き刺してあった。遠目で見ても禍々しい黒い剣だ。
「どうやらアレが試練の報酬らしいな。全く、私の雷鞭の方が余程美しいぞ。」
そんな軽口を言うシモンだが、腰の剣に手を添えて最大限の警戒をしており、視線を祭壇から離さずじっと見つめている。そして、その声は若干震えていた。
ロウが祭壇に目をやると、祭壇の前でそこに陽炎があるかのように空間が歪んでいるのが見て取れる。そしてその「歪み」からは途轍もなく強力な、そして禍々しい魔力が溢れ出ているのが感じられ、ロウの首の後ろの毛も逆立っていた。る。
目を離さず見詰めていると、歪みの中から影のように黒い人型が湧き出てきた。全身甲冑を纏い、体型こそ判別できないが、そこだけぽっかりと空いた面から覗く顔は髑髏、スケルトンである。
甲冑スケルトンからはゆらゆらと瘴気のような黒い魔力が立ち上り、圧倒的な強者の威圧を放っていた。
迷宮第十五階層の魔法陣が示した「深淵の間」にいる「闇の使徒」とは、漆黒の甲冑を纏い、刃の部分だけが血を塗ったように赤い大鎌を持った死神「死霊騎士」であった。それは黒の魔力と死の波動を撒き散らす「魔物」である。
魔獣はその脅威度によって下位の五等級から一等級まで位が分けられ、さらにそれよりも上位の脅威として「魔獣」に括られず「魔物」と名付けられた厄災級、破滅級に分類されている。
そしてこの魔物の最大の武器、能力が、死霊兵の召喚であった。
「厄災級の魔物だな。奴が使役する死霊兵は数百体にも上るというぞ。」
もはや目撃例もなく伝説とまで云われる魔物の殺気をうけ、セルダイナーが震えはじめた。
「あ、あんなの・・・な、何であんな化物が!?」
「ロウが警告していたではないか。転送の先には闇の使徒がいるとな。さぁ、行ってこいセルダイナー。アレを倒せばお前の望むお宝が手に入るかもしれないぞ。」
「む、無理に決まってる!!あれは一等級以上の魔物だぞ!敵う訳がない!!」
ロウの鑑定を信用せず、このような事態を引き起こした男の言葉とは思えぬ弱腰である。もっとも、この男が恐慌を起こすのも無理はない。死霊騎士は単体で戦ったとしても、最高位のレジェンダリ級に匹敵する力を持つシモンでさえ到底倒す事など出来ない相手であることは判っていた。
「まもなく奴は死霊兵を召喚するぞ。」
そうこう言っている間に死霊騎士は、その口から聞き取れないほど低く魔獣が唸るような音を出し、何事か詠唱すると、空間が歪んで中から剣と盾を持ったスケルトン兵が次々と這い出してきた。
その数はどんどん増えていき、少なくとも百体は越える一団となってロウ達がいる場所に向かって前進してくる。
死霊騎士の能力【死霊兵召喚】である。
シモンが腰の双剣を抜く。横に並ぶロウの横顔をちらりと見て、しっかりとした口調で言った。
「ロウ、頼れるのはお前だけだ。何としても生き残るぞ。」
「まぁ、何とかするしかありませんね・・・。善処しましょう。」
ロウは諦めたように溜息をつくと、愛用の短槍を構えて向かってくる死霊兵を見詰めた。
探索者三人と死霊兵百体の戦いが始まった。
死霊騎士が召喚した死霊兵は、言うなれば魔獣スケルトンの強化版で武器防具を持ち、動きが早くなっただけである。一対一ならばセンター下級でも十分対応できる魔獣だが、このような数の暴力は脅威であった。
死霊兵どもは我先にと、互いに肩をぶつけ合いながら三人へ殺到した。
乱戦となった場合、寡兵側は敵に的を絞らせないためとにかく動き回るのが定石である。武勇に優れた者ならば、戦場を駆け回り目の前に現れた敵だけを切り崩していくのだ。
そしてまさにシモンの戦いはそれであった。
死霊兵に囲まれぬよう双剣を振っては移動し、回り込む敵を剣に纏わせた雷と氷を放って破壊していく。
時に雷鞭化させた鞭を振って一度に五、六体もの敵を薙ぎ倒し、氷の剣で頭蓋骨を無力化していくその動きは、まるで舞踏会で踊る貴婦人のダンスのようであった。
一方、ロウの戦いは少し違っていた。
確かに動いているのだが、場所を移動しているのではなく、軸足を固定して殆ど立ち位置を動いていない。殺到する死霊兵が繰り出す剣を敵の動きを読んで状態を反らし、半身になって躱し、時に短槍で受け流して敵の体勢を崩し、的確に急所である頭か魔核部分を破壊していった。
やがて敵が押し合うように重なってくると素早く背後に飛び、攻撃の届かぬ位置に移動するとまた同じ戦いを繰り返すのだ。
そして火風属性の攻撃魔法による牽制。ロウが使う古代魔法は全ての属性を「召喚」して使う事が出来る魔法である。
今のロウの状態ではごく小規模の魔法しか使えないが、敵の動きをけん制する位には活用する事が出来た。
「う、うわあああ!!!ぐあっ!!」
最初の衝突からまだいくらも時間が経っていない。しかし、聞こえてきたのは味方の悲鳴、セルダイナーが死霊兵に囲まれ、腹を突き刺されて上げた悲鳴であった。
「っ!ティルさん!!」
ロウが声を上げると、先に現れた死霊騎士に匹敵するかのような威圧が湧き上がり、三人に殺到してきた死霊兵も一瞬動きを止めてしまった。
黒蛇のディルはスルスルとロウの肩から降り、死霊兵に呑まれたセルダイナーの元まで地上を滑るように移動して行くと、死霊兵の間から強力な魔力が湧き上がり、同時にディルの身体が膨張し始めた。
ディルの内側から溢れ出る魔力が空間を歪め、その波動が周りに広がっていくと、感情を持たない死霊兵達も、見えない壁に押しやられるようにじわじわと後退していく。
やがて強大な魔力の拡散が収まると、動きを止めた死霊兵が勢いよく宙に跳ね飛ばされた。それも一体二体ではない。一度に数体もの死霊兵が吹き飛ばされているのだ。
そして死霊兵を吹き飛ばした本体が鎌首を擡げる。
小さな黒蛇の面影はなく、体長は10m位にまで伸び、それに伴い胴回りも優に1mを越えている大蛇とも呼べる巨大な黒蛇、いや妖魔ハイメドゥーサの顕現であった。
「ロウ様!」
「ディルさん!彼を護って壁際まで下がって!」
「わかった!」
ディルは地に伏したセルダイナーに群がっていた死霊兵を尾の先で吹き飛ばすと、ズタズタに斬り裂かれた身体を掴みあげ、治療魔法を掛けて傷を癒してやる。そしてもう一度尾を振り回して死霊兵を扇状に吹き飛ばし、壁際まで下がっていった。
セルダイナーはディルに掴みあげられてもぐったりとして動かない。傷の痛みとディルの威圧に当てられ、気絶したのか。
だが、ディルの治癒魔法で傷は塞がったようだが、右腕の肘から下は欠損してしまったようだ。
それでもなんとか命は繋いだようである。それを見たロウが安堵の息をもらしとき、突然、地の底から呼ぶような低く暗く、怨念に満ちた叫び声が上がった。
「オオオオオオオオオン!!!」
死霊騎士の能力【冥府の咆哮】である。
ディルの威圧で動きを止めていた死霊兵達が咆哮を聞いた途端、我に返ったように動き出した。さらに、ディルの出現で半分ほどまで減った死霊兵だったが、死霊騎士の周りに再び空間の歪みが生じ、中から死霊兵が溢れ出てくる。
「ロウ!これでは限がない!!親玉を倒さないと無限に湧き出てくるぞ!」
「っと!シモン様!まさか私にアレの相手をせよと?!」
「奴の大鎌は私の細剣ではおそらく、受けきれない!まず雑兵どもを駆逐しなければ!!」
シモンが剣に纏った黒雷を放ちながら叫んだ。確かにシモンの剣技は近接も遠隔も通用する能力である。つまり一対多数の戦闘でも有利に流れを支配する事が出来るだろう。
同じように攻撃範囲が広いティルも、瀕死のセルダイナーを護るため動ける状態ではない。
残った者が死霊騎士を相手にし、再び【冥府の咆哮】を上げさせないのが得策だった。
そう、昔ロウに救われたシモンは知っているのだ。
ロウの本当の姿と内に秘められた強大な力を。あのハイメドゥーサさえ従えるほどの力を有していることを。
「・・・まったく、私はただの商売人なんですよ!ハク!!」
ロウの呼びかけと共にフードの中から小スライム型のハクが現れ、その姿を変えてロウの上半身を覆うように張り付き、さながらミスリルの鎧であるかのように擬態した。
それを機にロウが振う槍の速度が上がっていく。さらにハクも四本の触手を硬化させて降り回し、死霊兵の魔核を貫いていった。
ロウが死霊兵の集団に楔を打つように掻き分けて進み、背後では瞬時に視界を奪う闇の閃光と激しい爆裂音とを発しながら、シモンの黒雷が踊っている。
ロウはそんな気配を感じながら、自分の正面に銀色の魔法陣を張り捲らせると、一気に走る速度を上げて魔法陣の中に突っ込んでいった。
そして、魔法陣の背面から出てきた異形のモノは・・・あれは、ロウという道具屋を営む人間族ではなかった。
表情は確かにロウのままだが、上顎が迫り出して口の中には鋭く長い犬歯が並んでいるのが見て取れる。元々長かった銀髪も一層量を増やし、それが逆立って広がっているのは風のせいではないだろう。
手足は人のままだがその爪は長く伸び、まるで刃物のような輝きを放っていた。
そして獣と化したロウの背には九つの尾が靡いている。それは妖魔種の九尾狐の特徴を有した妖のモノ、すでに絶え伝説化している妖人であった。




