第三節:魔法学園での初日、そして思いがけない出会い
翌朝、アリエスとヘナを乗せた馬車は、モリス魔法学園へ向かって街道を走っていた。車窓から流れていく景色を眺めながら、二人は向かい合って座っている。
そんな中、ヘナは先ほどから何度もアリエスの顔をちらちらと窺っていた。何か気になることがあるらしい。しばらくためらっていたものの、やがて意を決したように身を乗り出し、彼に声をかけた。
「アリエスさん! 昨日のことなんですけど、どうして一人でアビスモンスターを倒せたんですか? もしかして、ものすごく強いんですか?」
突然の質問に、アリエスは少し不思議そうな顔をした。だが、すぐにヘナが何を気にしているのかを察する。
(ああ、そうか。俺は力の大半を封じられているとはいえ、天使であることに変わりはない。天使はあらゆる種族の頂点に立つ存在とされているんだ。普通の人間より強くても、何もおかしくはないか……)
少し考えた末、アリエスは自分がある程度強いことくらいなら話しても問題ないだろうと思った。余計な注目を集めないように力を抑えながら、学園生活を楽しめばいい。それに、せっかく人間界に来たのだから、いろいろな相手と戦ってみたいという気持ちもあった。
「実は俺、けっこう強いんだ。強い魔物だって、倒せるくらいにはね」
アリエスはそう答えながら、照れくさそうに後頭部を掻いた。
(頼むから、これで納得してくれよ……。あまり怪しまれたくないんだから)
「へえ、そうなんですね!」
ヘナは感心したように目を輝かせた。だが、何かを思い出したのか、すぐに表情を引き締めると、アリエスへ念を押すように言った。
「それより、アリエスさん! よく聞いてくださいね。アリエスさんは今日から私の親戚ということにして学園へ通うことになります。だから、身分も下級貴族として扱われるんです」
「ああ、分かった」
「学園には上級貴族や王族の血を引く生徒もたくさんいますし、その中にはとても強い人たちもいるんです。ですから、自分から喧嘩を売ったり、危険なことに首を突っ込んだりしないでくださいね。自分の身を危険にさらすような真似は絶対に駄目ですからね!」
「う、うん。分かったよ、ヘナ」
アリエスは素直に頷いた。
(ふう……。ひとまず、これで大丈夫そうだな)
ひと安心したところで、アリエスはふと思い出したように首を傾げた。
「そういえば、ヘナって呼んでもいいのか?」
その言葉を聞いたヘナの表情が、ぱっと明るくなる。
「もちろんです! ヘナって呼んでください!」
「そっか。じゃあ、俺のこともアリエスって呼んでくれ」
「ア、アリエス……」
ヘナは頬をほんのりと赤く染め、小さな声で彼の名前を呼んだ。
「ん? 聞こえなかったぞ。もう一回、ちゃんと言ってみてくれ」
「アリエス!」
「おお、ちゃんと言えたじゃないか!」
アリエスは嬉しそうに笑った。一方のヘナは、恥ずかしそうに視線を逸らしてしまう。
(アリエス……。やっぱり、少し不思議な人だな。銀色の髪に、あの綺麗な金色の瞳……。それに、あんなに整った顔立ちをしているなんて。普通の人とは何かが違う気がする。いったい、どんな人なんだろう……)
「おっ! どうやら着いたみたいだぞ!」
窓の外に目を向けたアリエスが、弾んだ声を上げた。
二人の目の前には、壮大で優雅な建物がそびえ立っていた。広大な敷地を囲む立派な門。その奥には、いくつもの美しい校舎が並び、どれもが威厳と気品を感じさせる。まるで王城を思わせるようなその光景に、アリエスも思わず目を見張った。
(すごいな……! こんなに大きな学園があるのか!)
やがて馬車は正門の近くでゆっくりと停車した。アリエスは先に馬車を降り、その後に続いてヘナも地面へと足を下ろす。
その瞬間、周囲を歩いていた生徒たちの視線が二人へと集まった。正確には、そのほとんどがアリエスに向けられていた。
銀色の髪に黄金の瞳。そして、誰もが思わず振り返ってしまうほど整った顔立ち。彼の姿は人混みの中でもひときわ目立っていた。通り過ぎようとしていた生徒たちが足を止め、中にはわざわざ振り返ってまで彼の顔を眺める者もいる。特に女子生徒たちは、その美しい容姿に思わず頬を赤らめていた。
「ねえ、あの子誰?」
「見たことない顔ね……」
「すごく綺麗な顔……」
あちこちからそんな囁きが聞こえてくる。しかし、当のアリエスは周囲の反応など気にする様子もなく、ヘナと並んで歩き始めた。
そのときだった。背後から近づいてきた三人の生徒のうち、一人がヘナの肩を乱暴に押しのけた。
「きゃっ!」
突然のことにヘナはバランスを崩し、そのまま地面に尻もちをついてしまった。
「チッ! 下級貴族の分際で、どこを歩いている! 俺様の邪魔をしたんだ。さっさと謝れ!」
ヘナを押しのけた少年は、不機嫌そうに彼女を見下ろした。残る二人は、その様子を面白がるように笑っている。
ヘナは慌てて立ち上がると、すぐさま頭を下げた。
「も、申し訳ありません。道を塞いでしまって……」
その様子を見て、後ろにいた二人がさらに笑い声を上げる。アリエスは足を止めて振り返ると、ヘナが頭を下げている姿を見て、不思議そうに声をかけた。
「ヘナ? どうしたんだ? どうして頭を下げているんだ?」
ヘナは涙の滲んだ目でアリエスを見つめ、そっと首を横に振った。まるで、お願いだから関わらないで、と伝えるように。
すると、三人の先頭に立つ少年がアリエスへと鋭い視線を向けた。
「おい、お前は何者だ? 俺はレメリオン・ド・ヴァルハイム。上級貴族の人間だ。見慣れない顔だな。どこの馬の骨だ、この野郎!」
アリエスは少年の顔を落ち着いた様子で見つめた。
(なるほど。こいつが上級貴族ってやつか……。まあ、今は適当に話を合わせておくか)
「ああ、これは失礼しました。俺は今日からこの学園に通うことになったばかりで、まだ何も分からないんです。どうかお許しください」
アリエスがそう答えると、レメリオンの隣にいた少年の一人が鼻で笑った。
「レメリオン様、もう行きましょう。こんな低俗な連中に構っていても、時間の無駄ですよ」
「そうだな。俺たちが相手にするような奴らじゃない」
二人はそう言って、ヘナとアリエスを見下すような視線を向けた。
その言葉を聞いたアリエスは、思わず口元を緩めた。どうやら、彼らの言動がよほど面白かったらしい。笑いを堪えようとしていたものの、その様子に気づいた少年の一人が、苛立ったように彼へ詰め寄った。
「おい、そこの野郎。俺の顔を見ろ!」
「え? 無理だよ。ごめん」
「何だと? 俺の顔を見ろと言っているんだ!」
少年が声を荒らげる。アリエスは彼の顔をじっと見つめたが、次の瞬間、とうとう堪えきれなくなった。
「あははははっ!」
突然の笑い声に、周囲を歩いていた生徒たちが一斉に振り返った。何事かと足を止め、二人のやり取りに注目し始める。
「おい、あいつ……笑ったぞ」
「嘘だろ? あの貴族に向かって?」
「終わったな……。あいつ、もう助からないぞ」
周囲からそんな囁きが聞こえてくる。少年の顔は怒りで歪んでいた。
「き、貴様! この俺を笑ったのか!? 俺が誰だか分かっているのか!」
アリエスはまだ笑いを抑えきれない様子で、目の前の少年を見つめた。
「悪い、悪い。でも……お前、顔が面白いんだもん」
その一言に、周囲がざわめいた。
「今、顔が面白いって言ったか……?」
「ロビエンに向かって、そんなことを言うなんて……!」
「あいつに面と向かってそんなことを言った奴なんて、今まで一人もいないぞ!」
少年の顔がみるみる赤く染まっていく。彼の名はロビエン・ロス・ロリエルト。もはや、これ以上の屈辱を黙って受け入れるつもりはなかった。
「この野郎……!」
ロビエンは怒りに任せて片手を掲げ、魔力を集中させ始めた。
「炎魔法――『悪魔の涙』!」
その魔法を目にした仲間の一人が、すぐさま声を上げた。
「ロビエン! 何をするつもりだ!? その魔法を使ったら、本当にそいつを殺してしまうぞ!」
しかし、ロビエンは忠告を聞き入れようともしなかった。怒りに染まった顔でアリエスを睨みつけ、声を荒らげる。
「黙れ、ヴォルト! 俺はこの野郎を殺す!」
次の瞬間、ロビエンの手から巨大な炎が放たれた。その炎は悪魔の顔を思わせる形を成し、轟音を響かせながらアリエスへと襲いかかる。あまりの勢いに、周囲の生徒たちは悲鳴を上げ、慌ててその場から逃げ出した。
だが、炎がアリエスへ届く寸前――。
「風魔法――『天上の吹雪』!」
澄んだ声が響き渡った。
アリエスたちの前に、一人の少女が立ちはだかる。美しい金色の髪に、澄み渡るような青い瞳を持つ少女だった。彼女が手を掲げると、凄まじい風が巻き起こり、迫り来る炎へと正面からぶつかっていく。
激しい風が吹き荒れた次の瞬間、悪魔の顔を形作っていた炎は跡形もなく消え去った。
あまりにも一瞬の出来事だった。
その場にいた生徒たちは、誰一人として声を出せなかった。レメリオンも、ロビエンも、ヴォルトも、目の前で起きた出来事に驚き、少女の姿を見つめている。
やがて、そのうちの一人が震える声で呟いた。
「で、殿下……!?」




