第一節: 天界が俺に追放を言い渡した日、父上は俺に一つだけ問いかけた。
「自分がなぜ生まれてきたのか、分かるか?」
俺は笑顔で答える。
「天使としての務めを果たすためです」
俺は十五歳。今、三つの世界――人間界、魔界、天界を統べる至高の存在である父の前に、膝をついている。
周囲を取り囲むのは、強大な力を持つ天使たち。その顔には、俺に対する憎悪がありありと浮かんでいた。何千もの星の光を受け、彼らの銀色の翼が輝いている。けれど、かつて俺に向けられていた敬意は、もうどこにもない。
王宮の向こうには、黄金色の雲が果てしなく広がっている。普通の存在なら想像することすら難しく、足を踏み入れることなど到底かなわない世界。それが天界だった。
俺は史上最強の天使。
その力ゆえに、『均衡の武器』と呼ばれていた。
だが、俺は過ちを犯した。
自分の口から語ることさえためらうほど、取り返しのつかない過ちを。
かつて、父は俺を誇りに思っていた。俺の力を認め、三つの世界の均衡を守る役目を託し、いずれ偉大な天使になると信じてくれていた。
しかし、あの許されざる過ちを犯した瞬間、すべてが変わった。
父が片手を掲げる。直後、得体の知れない圧力が全身を駆け巡った。
体の内側で、何かが次々と沈黙していく。まるで目に見えない鎖が、俺という存在そのものを縛りつけていくかのようだった。
何が起きているのか理解できず、俺は愕然としたまま父を見上げる。
父は悲しげに目を伏せた。
「アリエス……我が息子よ。お前がこのようなことをするとは、今でも信じられない。お前はもう、自らの力を持つにふさわしい存在ではない」
「父上……」
「それでも、お前は私の子だ。自らの過ちを理解し、立派な天使へと成長したその日には、お前の力を返すと約束しよう。それまでは、自分の犯した過ちを悔いていることを示せ。そして、もう一度、天使と呼ばれるにふさわしい存在になってみせなさい」
父はそこで言葉を切った。表情には、先ほどにも増して深い悲しみが浮かんでいた。
「その日が来るまでは……」
「父上! 父上、どうか話を聞いてください!」
必死に手を伸ばし、声が枯れるほど叫ぶ。けれど、父の決意が揺らぐことはなかった。
次の瞬間、俺の足元から天界が消えた。
俺は天界から突き落とされ、世界と世界の境界を越え、人間界へと落ちていく。
残された力は、かつてのほんの一部。父によって、そのほとんどを封じられてしまったのだ。もはや、与えられた罰を受け入れるほかなかった。
それでも、父が最後に口にした約束だけは、はっきりと心に残っている。
(俺がふさわしい存在になれば、力は戻ってくる……)
俺は拳を強く握りしめた。
(いいだろう。そこまで言うなら、証明してやる。たとえ一からやり直すことになろうと、必ず立派な天使になってみせる)
◇
それから数日後。
俺が小さな村の近くにある森を歩いていると、切羽詰まった叫び声が耳に飛び込んできた。
「誰か! 誰か助けてくれ!」
声のした方へ振り向くと、老人と俺と同じくらいの年頃の少女が、アビスモンスターに追い詰められていた。
異形の怪物が二人を見下ろし、鋭い爪を振り下ろそうとしている。老人は立っているのもやっとの状態だ。それでも少女は、恐怖に顔をこわばらせながら、必死に老人をかばっていた。
(まったく……人間界に来たばかりだっていうのに、もう面倒事か)
俺は小さくため息をつく。
とはいえ、目の前で誰かが殺されそうになっているのに、見捨てて立ち去るわけにもいかない。
「大丈夫だ! 今、助ける!」
俺は怪物に向かって手をかざした。
「光魔法――『星衝連弾』!」
無数の光球が怪物の周囲に現れる。怪物が反応する間もなく、光球が一斉にその体へと殺到した。
轟音とともに連続した爆発が起こり、衝撃波が森の木々を揺らす。怪物の姿は、まばゆい光の中へと飲み込まれていった。
やがて光が消えたとき、そこにはもう怪物の姿はなかった。
俺は手を下ろし、何もなくなった場所をしばらく見つめる。
「……少し、力を使いすぎたか?」
(父上にほとんどの力を封じられたはずなのに、あの怪物、まともに抵抗すらできなかったぞ。手加減したつもりだったけど、まだ残された力の加減に慣れていないのかもしれないな……)
まあ、今はそんなことを気にしている場合じゃない。
助けた二人の方へと急ぎ、怪我の具合を確かめる。どちらもひどい状態だ。一刻も早く治療しなければ。
「回復魔法――『聖杯』!」
柔らかな光が二人の体を包み込む。傷口が少しずつ塞がり、乱れていた呼吸も落ち着いていく。顔色が戻ったのを確認してから、俺はようやく安堵の笑みを浮かべた。
「間に合ってよかった……」
最初に目を覚ましたのは老人だった。
ゆっくりと目を開けた彼は、しばらく周囲を見回していたが、何かを思い出したように突然顔色を変えた。
「ここは……。ヘナ!」
慌てて少女の姿を探し、すぐそばに倒れている彼女を見つけると、急いで駆け寄った。
「よかった……! 無事だったんだな! ヘナ、聞こえるか? どこか痛むところはないか?」
呼びかけに応えるように、少女もゆっくりと目を開ける。
「……おじいちゃん?」
目の前にいる老人を見て、少女は信じられないといった様子で目を見開いた。やがて、ほっと息を吐く。
「おじいちゃん……無事だったんだね……」
「わしは大丈夫だ。そんなことより、お前はどうなんだ? どこか痛むところはないか?」
「私も大丈夫……。よかった、本当に……」
安堵した表情を浮かべていたヘナだったが、ふと何かに気づいたように森を見回した。
「……あれ? アビスモンスターは?」
やがて、彼女の視線が俺に向けられる。
「あなたは誰? それに、あの怪物はどうなったの?」
俺は笑みを浮かべ、怪物がいた場所を何気なく指さした。
「ああ、あの怪物なら俺が倒したよ」
一瞬、二人の動きが止まった。
老人は俺を凝視し、ヘナは俺と怪物がいた場所を交互に見つめている。どうやら、すぐには信じられないらしい。
「ええっ!? あの怪物を、一人で倒したのか!?」
老人は俺の姿を上から下までじっくりと眺め、困惑した様子で口を開いた。
「君はいったい何者なんだ? 貴族か、それとも王族の出身なのか……? いや、アビスモンスターを一人で倒すなんて、少なくとも騎士くらいの実力がなければ不可能なはずだ!」
俺は思わず目を瞬かせた。
(騎士? 王族?)
(魔物を倒すのに、そんな条件が必要だなんて聞いたこともないぞ。父上は、俺が思っている以上に力を封じたのか? いや、そんなはずはない。今の魔法だって、たいして力を使ったわけじゃないのに……)
もちろん、自分が天使だと打ち明けるわけにもいかない。
俺は何事もなかったかのように、愛想よく微笑んだ。
「俺はアリエス・グランドハート。森を通りかかったときに二人の声が聞こえたから、助けに来ただけだよ」
ヘナは相変わらず俺を見つめていた。じっと顔を見ているうちに頬がほんのりと赤く染まり、やがて恥ずかしそうに視線を落とす。
その隣で、老人がはっとしたように姿勢を正し、深々と頭を下げた。
「これは、何とお礼を申し上げればよいか……。君のおかげで、わしも孫も命を救われた。本当にありがとう。どれだけ感謝してもしきれない」
ヘナも隣で頭を下げる。
「助けてくれてありがとう、アリエス」
俺は感謝されることに少し気恥ずかしさを覚え、頭の後ろをかいた。
「気にしないでくれよ。誰だって、あんな状況なら助けるさ」
「いやいや、そういうわけにはいかん! せめて、お礼をさせてくれないか。もしよければ、わしらの家に来て、一緒に食事でもどうだろう?」
「いや、本当にそこまでしてもらわなくても……」
「頼む。そうさせてもらえると、わしらもありがたいんだ」
そこまで言われると、さすがに断りづらい。俺はどう返事をしたものかと迷っていたが、そこでふと、都合の悪い事実に気づいた。
(……待てよ)
(俺、天界から追放されたんだよな。家もなければ金もない。というか、今夜どこで寝ればいいんだ?)
俺は老人とヘナをちらりと見てから、もう一度二人の申し出を考える。
(……しばらく世話になるのも、悪くないかもしれないな)
頬をかきながら、俺は少し気まずそうに笑った。
「そこまで言うなら……お言葉に甘えさせてもらおうかな」




