『完璧なアリバイ』第5話 最高のアリバイ
**『完璧なアリバイ』第5話 最高のアリバイ**
ノートパソコンの画面に、夜の街が映し出された。
粗い映像ではない。街灯の光まではっきりと捉えた、高画質の映像だった。画面の隅に、日付と時刻が表示されている。十月十日、二十時十二分。
ビルの裏手から、原付が一台、滑り出してくる。乗っているのは、フルフェイスのヘルメットを被った男だった。
「これは、居酒屋から久保田さんのマンションへ向かう道の途中にある、防犯カメラの映像です」
宮下が淡々と言った。
「公共のカメラではありません。久保田さんが一か月前、個人的に設置を依頼していたものです。ルート上に、全部で七台。すべて、あなたの通る道を想定して取り付けられていました」
映像が切り替わる。ヘルメットの男が、信号待ちで停車する。カメラがぐっと寄った。ナンバープレートの文字が、一字一字、はっきりと読み取れる。
「ナンバーは、あなたが偽名で登録した原付のものと一致します。ヘルメットを脱いだ映像も、マンションの駐輪場のカメラに残っていました」
画面の中で、男が駐輪場でヘルメットを外す。振り向いた横顔は、紛れもなく、佐伯自身だった。
「あ……が……」
喉から、掠れた声しか出ない。
防犯カメラには映っていない。そう信じていた。いや、確かめもしなかった。久保田の部屋の周りに、そんな設備はなかったはずだ。いつの間に。どうして。
だが、問う必要はなかった。答えはもう、目の前にあった。
久保田は、知っていたのだ。
佐伯が自分を殺しに来ることを。追い詰めれば、そうなることを。横領の証拠をちらつかせ、佐伯を恐怖と怒りの中に追い込めば、必ず「消す」という結論に辿り着く。この男は、そういう人間だと、久保田は読み切っていた。
どのみち病で死ぬ己の命を投げ打って、あえて佐伯に「完璧な殺害計画」を実行させたのだ。
合鍵を預けたまま、返してもらわなかったのも。
居酒屋のクーポンが、都合よく友人の元へ届いたのも。
裏口の鍵が開いていたのも。
ソファでくつろぐ久保田が、背中を向けたまま、抵抗しなかったのも。
すべて、そうだった。佐伯が段取りどおりに動けば動くほど、凶悪な計画殺人の証拠が積み上がる。あの日、佐伯が得意げに握りしめていたレシートも、頼んでおいた日本酒の注文履歴も、友人の無邪気な証言も、すべてが罠の一部だった。
「佐伯さん」
宮下が口を開いた。声はもう、容疑者を問い詰める刑事のものではなかった。どこか、哀れむような響きを帯びていた。
「久保田さんは、末期がんの激痛に耐えながら、この準備を一か月かけて整えたことになります。薬の量から見て、昨夜も相当な痛みがあったはずです。それでも彼は、ソファで紅茶を飲んで、あなたを待っていた」
「…………」
「正直に言うと、私にも分かりません。久保田さんが、なぜそこまでしたのか。あなたへの恨みか、会社への執着か、あるいは、別の何かか」
佐伯は答えなかった。答えられなかった。
笑っていた。久保田は、あのとき確かに笑っていた。
苦しさの痙攣ではなかった。あれは、勝利の笑みだった。自分の死と引き換えに、かつての友の人生を丸ごと奪い取った男の、満足げな笑みだった。
完璧なアリバイを作ったつもりだった。警察の裏をかき、完全犯罪を成し遂げたと、心の底で高笑いしていた。
だが自分は、死にゆく男の手のひらで踊らされ、自ら首に縄をかけていただけだったのだ。
「……はは」
乾いた笑いが、佐伯の口から漏れた。
「はは、はははは……」
誰も、何も言わなかった。
やがて笑いが途切れたとき、宮下が、机の上にもうひとつ、ポリ袋を置いた。
「久保田さんのデスクに、あなた宛ての封筒が残されていました。中身は、私どもも拝見しています」
震える指で、佐伯は袋を受け取った。
封筒の宛名は、見慣れた久保田の筆跡だった。几帳面で、少し角ばった、不敵な字。三年間、何千枚もの書類で見てきた、あの字だ。
中には、便箋が一枚だけ入っていた。
たった一行、書かれている。
『最高のアリバイをありがとう。あの世で待っているよ』
佐伯は、便箋を見つめたまま、動かなかった。
窓の格子の向こうで、秋の夕暮れが、ゆっくりと夜に変わっていく。
取調室の天井が、ぐらりと揺れた。
(完)




