『完璧なアリバイ』第3話 取調室
**『完璧なアリバイ』第3話 取調室**
翌日、十月十一日。土曜日の午後。
佐伯のもとに警察から連絡が入ったのは、昼過ぎのことだった。久保田が自宅で遺体となって発見された、と刑事は告げた。
来た、と佐伯は思った。むしろ予定どおりだ。取り乱さず、しかし衝撃を受けた顔を作る。何度も頭の中で練習してきたとおりに。
「久保田が……? そんな、嘘でしょう」
「詳しいことは、署でお伺いできますか。ご協力をお願いします」
任意同行だった。佐伯は素直に応じた。断れば、かえって怪しまれる。
そして今、佐伯は殺風景な取調室で、パイプ椅子に腰掛けている。灰色の壁。傷だらけの机。窓には格子がはまっていた。
向かいには、刑事がふたり。年嵩の男は五十代半ばで、白髪交じりの短髪に、眠そうな目をしている。もうひとりは若く、無言で手帳を構えていた。
「改めまして、捜査一課の宮下です。久保田さんとは共同経営者でいらっしゃいましたね」
「ええ。創業以来の仲間でした」
「お辛い中、申し訳ありません。形式的な確認ですので、お許しください。――では、昨日の夜二十時から二十二時までの行動について、もう一度お聞かせいただけますか?」
「もう一度」という言い方が、佐伯の耳に引っかかった。一度目の聴取はまだ受けていない。電話口で簡単に答えただけだ。
……いや、深読みだ。刑事の癖のようなものだろう。
佐伯は微かな笑みを噛み殺した。口元が緩みそうになるのを、必死で抑える。
「何度でもお話ししますよ。昨日のその時間は、高校時代の友人と品川の居酒屋『うおたみ』で飲んでいました。店に入ったのが十九時四十五分で、出たのは二十二時十五分頃です」
「ご友人にも確認を取りました。あなたと飲んでいたと証言しています」
「でしょうね。久しぶりの再会で、仕事の話や昔話に花が咲きましたから。会計のレシートも財布に入っていますよ。二十時三十五分に追加の日本酒を頼んだ記録も、残っているはずです」
宮下は頷き、若い刑事がペンを走らせる。
(完璧だ……)
佐伯は心の中でほくそ笑んだ。
村井は、佐伯がずっと店にいたと信じている。頼んだ日本酒の記録も、レシートも、全部そろっている。席を外した三十分間は、腹を下してトイレにいたという「事実」で埋まる。ほころびはどこにもない。
「ところで、遺体を発見したのは、今朝やって来た家事代行のスタッフだそうです」
宮下が静かに言った。
「合鍵で入ったところ、リビングで倒れている久保田さんを見つけて、すぐに通報したと。死亡推定時刻は、昨夜二十時三十分から二十一時三十分の間です」
「……恐ろしいですね。久保田とは仕事上で意見の対立こそありましたが、まさかこんなことになるなんて」
佐伯は眉をひそめ、悲しげな表情を作ってみせた。自分でも感心するほど、自然に作れたと思う。
「死因は?」
「首を圧迫されたことによる窒息です。強い圧迫痕が残っていました」
「そう、ですか……」
ここまでは想定内だった。あとは適当に嘆いてみせ、質問に淡々と答えていれば、いずれ解放される。そう考えた瞬間、宮下の声の調子が、ほんのわずかに変わった。
「ところで佐伯さん、現場には妙なことがありましてね」
「妙なこと、ですか?」
「ええ。久保田さんはリビングのソファで倒れていたのですが、背後から襲われると知っていたかのように、抵抗した痕跡がまったくないんです。爪の間に犯人の皮膚片はなく、服の繊維も残っていない」
ぞくり、と背中が冷えた。
ニヤリと笑った久保田の顔が、脳裏をよぎる。
「……へえ。恐怖で体がすくんだんじゃないですか?」
「そうかもしれません。ですが、不思議なことがもうひとつ」
宮下は隣の若い刑事に目で合図した。若い刑事が、ポリ袋に入った小さな瓶を、卓上にそっと置く。
茶色い、薬瓶だった。ラベルには、聞き覚えのない薬品名が印字されている。
「書斎の金庫から見つかったものです。末期がんの患者に処方される、強い鎮痛剤でした。主治医に確認したところ、久保田さんは半年前に余命半年と告げられていて、長くても、あと数週間の命だったそうです」
「……え?」
佐伯の思考が、止まった。
(第3話・了)




