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婚約破棄は結構ですが、卒論提出まであと三日です  作者: rorenji
第二章_新しい村へ

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聖女は命令を断る

「その命令に、従う必要はありません」


 夏の第1月13日、朝。


 ベルン村集会所で、王立農政会議の調整官が最初に記録した言葉だった。


「ヴァルモン教授は豊穣加速法の提唱者であり、調査団員です。しかし、フローレス嬢へ祝福開始を命じる権限はありません」


 十一村の代表。


 調査団。


 倉庫管理者と記録係。


 全員が見守る前で、調整官はガスパルの計画図を机へ戻した。


「この計画は安全審査を受けておらず、本人同意もありません。実施案として採用されていません」


 ガスパルの顔から、穏やかな教師の微笑が消えた。


「麦は審査を待ってくれない」


「だからといって、手続きを省けば安全になるわけではありません」


「私は二十年、この国の収穫を守ってきた」


「その実績を否定する審議ではありません。今朝、誰が誰へ何を命じられるかを確認しています」


 調整官は、発言者、時刻、計画書の未記載項目を記録させた。


 それから、ニーナを見る。


「フローレス嬢。答えないことも選べます。個別の相談室へ移ることもできます」


「ここで答えます」


 ニーナは、自分の観察帳を抱えて立った。


「皆さんの前で求められたことなので、皆さんの前で断ります」


 * * *


「先生。わたしを学院へ連れてきてくださったことには、感謝しています」


 ニーナの声は震えていた。


「故郷では、祝福を使うと気味悪がられました。先生は初めて、才能だと言ってくれました。国のために必要だとも」


「ならば、その力を必要な人々へ使いなさい」


「いいえ」


 短い言葉だった。


 けれど、ガスパルが次を重ねる前に、はっきり届いた。


「上限のない祝福を、十一日続けて使うことはできません」


「十一日とは決めていない」


「だから、もっとできません」


 予定時間がない。


 範囲がない。


 中止条件がない。


 休養日がない。


 使用後の土壌測定もない。


「わたしは十七秒使った後に吐き気と強い疲れが出ました。別の使用では、発熱と頭痛を自分の帳面に記録しています」


 声は震えたが、ニーナは胸元で手を握り込まなかった。開いた観察帳へ掌を置き、自分の身体について自分で決める権利を、記録の上から動かさなかった。


 この場で話す症状と二件の日付は、昨夜、ニーナが記録担当者と確認し、公開利用へ追加で同意していた。学院で欠けている頁そのものや、誰が失わせたかは証言範囲に入れていない。


「三秒の試験では、指先の冷えが二時間後に消えました。短ければ必ず安全という意味でも、長ければ必ず倒れるという意味でもありません。でも、測らずに最大まで使ってよい理由にはなりません」


「何もしなければ、子どもが飢えるのだぞ」


 ニーナの肩が揺れた。


 アウレリアは口を挟まなかった。


 ニーナの拒否を、別の強い言葉で守れば、また本人の言葉を途中で奪う。


「飢えさせたくありません」


 ニーナは答えた。


「だから、今年の麦を大きくした後、来年の種も育たない土にしたくありません。わたしが倒れて、別の人へ同じ命令が行くことも望みません」


「君にしかできない」


「わたしにしかできないなら、わたし抜きで決めないでください」


 空色の瞳から涙が一つ落ちた。


 ニーナは拭わなかった。


「わたしは聖女と呼ばれています。でも、国の畑も、わたしの体も、先生の実験鉢ではありません」


 ガスパルが何か言おうとした。


 その前に、倉庫管理者のイングリットが立つ。


「その子が断ったから飢える、という記録にはしないでください」


「現実の危険を述べただけだ」


「この村は、去年の麦をどこへ売るか自分たちで決めました。今年の種をどう残すかも決めます。助けてほしい。でも、誰か一人の体を差し出したことにはされたくない」


 十一村の代表席で、何人かがうなずいた。


 ニーナの拒否は、奇跡を失わせなかった。


 奇跡を使わないと決める権利も、村へ返した。


 * * *


「では、祝福以外で秋まで持たせる案を示したまえ」


 ガスパルが言った。


 挑発だった。


 同時に、必要な問いでもあった。


 アウレリアは、昨夜ルカと調査団の記録者四人が作った二枚の紙を壁へ貼った。


 一枚目は、六十日をしのぐ計画。


 二枚目は、三年で土地を戻す計画。


「分けて考えます。今期の食料不足と、土地の回復を一つの方法で同時に解決しません」


 短期策では、まず全倉庫の在庫を同じ単位で量る。


 食用、種麦、傷み、すでに売却契約のある分を分ける。


 種麦は、村ごとに隠して抱えず、封印した共同保管区へ移す。ただし移動量は各村代表が署名する。


 黄変の軽い区画と、未使用十四区画を種麦候補として優先監視する。


 水や肥料を全畑へ増やさず、小区画で反応を一日ずつ確かめる。


 農政会議の緊急備蓄を放出し、帰り荷が空になる王都向け荷車と、王家の輸送隊を組み合わせる。


「備蓄放出と輸送隊は、あなたに決められません」


 調整官が確認した。


「はい。農政会議への緊急申請です」


「私は、現地調査の範囲で仮受付できます。放出量と配給は会議の承認が必要です」


 受付番号がその場で発行された。


 配給順は、王都の役人だけで決めない。


 十一村から一人ずつ出る配給委員が、世帯人数、乳幼児、病人、妊婦、備蓄量を記録し、異議を受ける。


 記録仕事には賃金を払う。無償奉仕にしない。


「六十日後は?」


 ヨハンが尋ねた。


「次の収穫だけに頼らない輸送契約を、同時に組みます。六十日は解決ではなく、判断する時間を買う計画です」


 * * *


 長期策は、もっと地味だった。


 豊穣加速法の新規使用を一時停止する。


 十一村を水系、土質、使用年数で区分し、同じ深さ、同じ時刻で基準値を取る。


 作付けを減らす区画、休ませる区画、豆類と麦を交代する区画を、農家が候補に出す。


 月眠り苔は、用水路や食用畝へ直接入れない。


 自然群落を掘り取らない。


 学会の移送許可に加え、物理標本の所有者、原群落の権利者、現在の保管責任者が用途別に同意した管理株だけを、境界容器内の小区画で、非魔法保湿材と無処置を並べて試す。


 乾燥、病害、被覆接触で止める。


「何年かかりますか」


 イングリットが尋ねた。


「深刻な区画は、三年で元へ戻ると約束できません」


「三年計画なのに?」


「三年で、続ける方法と捨てる方法を判断できる記録を作ります。完全な回復には、さらにかかる可能性があります」


 集会所が重く静まった。


 奇跡より、ずっと人気のない答えだった。


 それでも、ヨハンが手を挙げた。


「畑を休ませる順番は、農家が決めていいんですね」


「候補と生活への影響は農家が出します。調査団は測定条件と危険を示します。最終的な公的支援の配分は、公開基準で審議してください」


「では、畑を出します」


 イングリットも言った。


「倉庫の空き部屋を種麦保管へ使います。鍵は二人で持ちます」


 一人、また一人と、できる仕事が挙がった。


 食事を作る人。


 荷車を直す人。


 深さをそろえて土を採る人。


 数字を読めない農家へ記録を読み上げる人。


 今挙がったのは、役割の候補である。実施前に、担当期間、賃金、材料費、食事代、荷車や道具の破損補償、費用源を仕事ごとに決める。善意を理由に、無償の義務にはしない。


 アウレリアの計画は、住民が仕事を選び始めた瞬間から、住民の計画へ変わっていった。


 * * *


 午後、調整官は二通の公的便を出した。


 一通は王都へ。


 緊急備蓄、輸送隊、配給委員賃金、長期回復区画の補償申請。


 もう一通はミューレへ。


 調査が二十日を越える見込みと、契約延長の選択書。


 さらに、管理中の月眠り苔、苗、被覆枠、測定記録のうち、何が候補になり得るかを共同会へ尋ねた。同時に、物理標本の所有者、原群落の権利者、現在の保管責任者、資料所有者へ別々の申請書を送った。


 命令ではない。


 新規移送には学会許可と個別同意が必要で、不同意の標本や資料は持ち出さない。所有権は移さず、返却または管理処分の条件を先に決める。運搬、留守管理、破損補償、作業賃金は緊急調査費から出すと明記した。


「来てくれるでしょうか」


 ニーナが封印される文書を見た。


「わかりません」


 アウレリアは答えた。


「ミューレの人が決めることです」


 聖女が命令を断った日。


 代わりに始まったのは、一人の奇跡を待つ時間ではなかった。


 十一の村が、自分たちにできる仕事を数え始める時間だった。


 研究が奇跡の代用品になるのではない。危険と限界を測り、誰か一人を犠牲にしない選択肢を増やすことに、その意義があった。


お読みいただき、ありがとうございます。


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