助手は悪口を測定できません
「その花は、フェルナーが悪口を言うと赤くなります」
夏の第1月24日、午後。
テオの作業場、その入口前に設けた覆い付き検査台で、淡い桃色だった感応花が、ルカの顔を見るなり真っ赤に変わった。
「僕はまだ何も言っていません」
「言う準備をしたのでは?」
「悪口に反応するなら、ローゼンベルク嬢が話している間ずっと赤いはずです」
「それは悪口です」
「反応は?」
二人で鉢を見る。
花は赤いままだった。
作業場の中で木枠を組んでいたテオが、入口から顔を出して笑い出した。
「便利だなその花。どっちが勝っても赤い」
感応花は、人の感情を読む植物として王都で売られている。
だが、実際には周辺魔力、温度、呼気、接触など複数の刺激で色が変わる。感情だけを測る器具にはならない。
今回の株は研究用二十四鉢とは別に、近隣の園芸商から正規に購入した。信託の試験材料費で購入し、所有者はアウレリア、管理責任者はルカと記録している。用土、道具、受け皿、記録は研究用と分け、試験後は麦穂亭裏手の非研究用日陰棚へ戻す。
目的は、テオの作業場で作る測定器外箱の試験である。切削と組み立ては作業場内だけで行い、木屑を落として布で清掃した完成品だけを入口前の検査台へ運ぶ。第一観察室へ木工道具も感応花も入れない。
「花の原因は後です。まず、箱を閉めてください」
「閉めたら目盛りが見えませんよ」
「ですから、窓が必要です」
「最初の図には窓がありませんでした」
ルカが差し出した設計図には、確かに箱の側面しか描かれていない。
アウレリアは図と試作品を見比べた。
「測定器を守る箱としか依頼していませんでした」
「数値を読む箱とは聞いてないな」
テオが答える。
「測定器は数値を読むものです」
「俺には携帯魔力計が何を嫌うかも、どこを毎日触るかもわからない。使う人が言わなきゃ、木は勝手に穴を開けませんよ」
温室の屋根と同じだった。
設計者にとって当然でも、作る者に共有されていない条件は、図に存在しない。
* * *
測定器工房と呼んでいるが、新しい建物が建ったわけではない。
テオの木工作業場の奥を片づけ、乾燥棚一つと精密作業用の机を一つ置いた。金属部品を扱う場所は火床から離し、鍵の掛かる工具箱を固定しただけである。
市場が閉じた二十日に相談し、二十一日から二十三日までの三日間で整えた。一般の片づけは短期の有給補助二人が日中に行い、作業範囲と賃金を記録した。区画の仕切り、机と棚の固定はテオが担当した。
机と棚の材料は、テオが保管していた端材を買い取った。専門作業の賃金と不足する留め具は、アウレリアの信託から返済不要、上限付きの初期整備費として支払う。工具箱と中の工具はテオの私物である。
ただし、作業場はテオのものだ。
信託資金で作った机と棚は、貸与備品として資産台帳へ載せた。一年間の試用後、契約どおり減価分を差し引いてテオが買い取るか、返却するかを選べる。
最初から高価な携帯魔力計を作る予定はない。
感応線も校正石も、この村では調達できない。ルカの器械を分解して写せば同じ物ができるわけでもなかった。
まず作るのは、測定時の高さをそろえる木製台、土を同じ深さで採る採取棒、雨から記録紙を守る箱、携帯魔力計の外箱である。
数字そのものを出さなくても、測り方のばらつきを減らす道具は作れる。
壊れにくい外箱と、同じ高さを保つ台があれば、研究者が毎回付き添わなくても、村人が測定器を畑へ運び、同じ場所を測り続けられる。器械を作れないことと、観察を自分たちの手へ渡せないことは同じではなかった。
「市場で問い合わせが三件、品物は計四点ありました」
マルタが問い合わせ控えを持って入ってきた。
粉挽き職人から袋を既存の秤へ毎回同じ位置で載せる案内台。
隣村の農家から畑の採土深さをそろえる棒を二本。
布屋から、所有する温度計を染料草の棚へ同じ高さで固定する枠。
どれも魔力は測らない。
「まだ注文ではないな」
テオは控えを受け取った。
「秤の幅、採りたい土の深さ、温度計の寸法を見ないと、値段も納期も決められない。俺が現物を確認して見積もる。相手が仕様、価格、納期を承認したら受注だ」
注文票には、材料費の前金、完成時の検査、残金支払い、完済時の所有権移転、無償で直す範囲と期限を記すことになった。
「測定器工房という名称に適合しないのでは」
「量る道具を作るんだから、いいだろ」
テオは、ルカの設計図へ細い窓を書き足した。
「それにいきなり魔力計を売って壊れたら、俺には直せない。木枠なら直せる」
ルカもうなずく。
「僕も、村にいる一年で感応線の製作まで教えられるとは約束できません。外箱と固定台なら、寸法と検査方法を残せます」
できる物から始める。
最初の苗と同じだった。
* * *
外箱の検査には、二つの条件を使った。
一つは、蓋を開けたままの状態。
もう一つは、透明板を入れた窓付きの蓋を閉めた状態。
蓋を開けた状態と閉めた状態を決めた順番で繰り返し、箱内の温度と周辺魔力を同じ位置、同じ時刻帯で測る。外気温は別の温度計で併記する。携帯魔力計の目盛りを外から読めるか、持ち運んだ後に校正値がずれないかも確認する。
携帯魔力計はルカの個人所有で、校正石は学院の貸与品である。当朝、三種の校正石で確認し、表示値と、表示値を一・〇二一で除した補正値を併記した。持ち運び後に許容する差も、試験前に決めてある。
感応花は、箱の近くで起こる小さな環境変化を見る補助に置いた。色だけで判断せず、温度計と携帯魔力計の値を同時に記録する。
「透明板を入れると箱の内側が少し暖かくなります」
ルカが読み上げ、アウレリアが記す。
「周辺魔力は表示のばらつきの範囲です」
「花は桃色」
「それは数値ではありません」
「色見本の三番です」
「最初からそう言ってください」
テオは、作業場の中で二つ目の箱を削っている。
一回目。蓋を開け、ルカが測定器へ近づく。記録係のアウレリアは、鉢を挟んだ反対側に立っていた。
感応花は赤くなった。
二回目。アウレリアが同じ位置へ立つ。
桃色のまま。
三回目。テオ。
変化なし。
四回目。マルタ。
少し濃くなったが、赤には届かない。
「やはりフェルナーへの反応です」
「僕の体温が高いのかもしれません」
「今朝の体温記録は平常範囲です」
「呼気量の差では?」
「同じ距離で、黙って立っています」
「衣服に付いた金属粉かもしれない」
ルカは自分の袖を嗅いだ。
「研究助手は、花に嫌われた事実を認められないんですか」
「嫌悪を示すと決まっていません。好意で赤くなる商品もあります」
テオの手が止まった。
マルタが、急に咳をした。
アウレリアは感応花を見る。
花弁は、先ほどより赤かった。
「商品説明を信じるのですか」
「否定するには検証が必要です」
「では、検証しましょう」
「今ですか」
「原因不明のまま作業場へ移せません」
ルカはなぜか、測定器ではなくアウレリアを見た。
「何です?」
「いえ。検証条件を増やしましょう」
ルカの提案で、立つ位置を入れ替え、上着を交換し、呼気が当たらない透明な仕切りを置いた。
花は、ルカがアウレリアの隣へ立つと赤くなった。
ルカが一人で反対側へ立つと、桃色へ戻った。
「先ほどの赤は、フェルナー単独では再現しません」
「二人分の体温が原因でしょう」
「テオとマルタさんの二人では変わりませんでした」
「身長差で空気が流れた可能性があります」
「わたくしとマルタさんでも変わりません」
「標本が一株しかありません」
正しい指摘だった。
最初と同じく鉢を挟んで二人が向かい合う配置と、二人が隣り合う配置を、もう一度ずつ試した。どちらでも赤色化したが、一株の同じ個体での反復にすぎない。
購入元、育成環境、個体差を分けられない。一株の反応から、感情も人物も原因とは断定できない。
アウレリアは記録紙へ結論を書いた。
特定の二名が近接した際、赤色化を反復確認。
原因不明。追加標本なし。検証保留。
「悪口ではありませんでしたね」
ルカが言う。
「悪口でないと証明されたわけではありません」
「では、僕がローゼンベルク嬢を褒めれば切り分けられますか」
「内容と反応の関係を見るなら、比較する発言が必要です」
ルカは少し考えた。
「あなたは、最初に会った頃より、人の話を聞くようになりました」
花が、深い赤へ変わった。
アウレリアの頬にも、急に作業場の熱が集まった気がした。
「温度条件が変わりました」
「そうですね」
「測り直します」
「はい」
テオが、完成した窓付き外箱を二人の間へ置いた。
「その前に、こっちは合格でいいですか」
透明窓から、携帯魔力計の目盛りがはっきり見える。
持ち運び後の校正値にも、許容範囲を超えるずれはなかった。
「外箱第一号、合格です」
アウレリアが答えると、テオは箱の内側へ製作者名と日付を刻んだ。
第一号は、検査後にルカが工房から有償で購入し、個人所有の携帯魔力計へ使う。第二号は構造見本としてテオが保管する。売買額と所有者は、試作記録へ書き足した。
測定器工房で最初に完成したのは、魔力を測る器械ではない。
器械を守り、同じ条件で使い続けるための、木の箱だった。
感応花の赤色化は、その日の記録で唯一、原因不明のまま残った。
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