第五話「刺客」
薫「・・・」
祭さんから崖に突き落とされた後、僕は野生のクマと遭遇してしまった。
元の世界で習った通りに、背を向けず、ゆっくりとクマから距離を取る。
ちなみに、明命ちゃんは祭さんの命により、城を出る前に僕の護衛を離れている。
薫「・・・っ」
授業で習った通り、背を向けず、クマとの距離を離していく。
クマは警戒して襲いかかってくる様子がない。
だけど、ここで何か余計な真似をすれば、命を取られかねない。
クマ「ぐるる・・・」
薫(あれ? 案外、いけるかも・・・)
もうクマとの距離は10メートルも離せた。
だが、その油断で足元に注意が向かなかった。
薫「っわ!?」
木の根に足を取られ、土の上に倒れ込む。
その瞬間、クマが怒濤の勢いで迫って来た。
薫(ど、どうすれば・・・!?)
懸命に離した距離は一瞬にして縮まり、眼前にまでクマの爪が殺意を宿してやってくる。
薫(も、もう、だめだ───!)
諦めて目を瞑った。
薫「・・・あれ?」
しかし、死を覚悟をした僕にクマが襲いかかってくることはなかった。
それどころか・・・
クマ「───」
薫「・・・???」
襲いかかる体勢で動かない。
その体勢のまま、僕の足に覆いかぶさった。
薫「うっ・・・!」
死んでる。
クマのうなじ辺りに矢が突き刺さっていた。
でも、一体誰が助けて───
[ヒュッ!]
薫「ぇ・・・?」
顔の横を何かが通過した。
地面を見たら、クマを仕留めた同じ矢。
頬に触れると、薄皮が切られていて手に血が付着した。
薫(違う・・・助けられたんじゃない)
目の前の木の幹に黒のローブで全身を覆っている三人組が立っていた。
三人とも弓矢を装備し、その内の一人が矢じりを僕に向けている。
薫(僕が狙いだ!)
クマを退け、転がるように近くの木に逃げ込む。
僕がいた地面に矢が刺さった。間違いない、彼らは僕を殺す気だ。
薫(でも、何で───)
だめだ、考えている暇はない。
既に黒ずくめの三人組は、僕を包囲して射抜こうと動き出していた。
薫(逃げないと・・・)
出来るだけ、険しい獣道を。
運動神経はこれでも良い方。高校に入ってからは水泳部のマネージャーをしていたけど、それまでは新体操とか剣道とか色々やっていた。
[ビュッ!ビュッ!]
薫(射ってきた!)
後ろを確認する余裕はない。
道にすらなっていないところは、手の届く幹を掴んで猿のように飛び越える。
薫(いつまで追ってくるの!?)
木々を盾にして逃げ続けるが、矢の脅威は衰える気配がない。
そして獣道は終わり、水の流れの速い川に出た。
薫「うっ・・・」
どうしよう・・・。
いや、もう相手はすぐそこまで来てるんだ。
意を決して川に飛び込む。
薫(い、意外と深い・・・! あっ、やっぱりだめだ───)
僕は水泳部のマネージャー。
部員の計測、備品の新調だったり管理、などを主な活動なんだけど・・・
カナヅチなんだよね・・・
薫[コボコボコボ・・・]
「───し──り─」
ぁ・・・
「しっ──しな───」
誰・・・?
蓮華「しっかりしなさい!」
薫「っ・・・ぁれ?」
孫権さん・・・?
薫「どうして、ここに・・・?」
蓮華「それは私が聞きたいわよ。来てみれば、あなたが川に打ち上げられて気絶していたんだから」
川・・・? 僕、カナヅチのはずなのに何で川なんかに?
ダメだ、思い出せない。
薫「えと、ここは?」
蓮華「昔、よく野宿に使っていた洞穴よ」
薫「そうなんですか・・・」
でも、後頭部は柔らかい・・・
薫「あ・・・」
蓮華「?」
薫「膝・・・痛くないですか?」
蓮華「これぐらい気にしなくてもいいわ。どうせ、動けないでしょ?」
薫「え、ええ・・・あ、いえ! もう大丈夫です」
上体を起こすと、ズキリと全身に痛みが走った。
流されている最中にどこかで体をぶつけてしまったのか。
蓮華「ほら、痛いんでしょ? 我慢したら余計に悪化するわよ」
薫「これぐらい平気です。男の子ですから」
蓮華「は、はぁ・・・あれ? ちょっと頬見せなさい」
薫「はい?」
四つん這いのまま顔を寄せてくる。
褐色の肌、桃色の髪は姉の雪蓮さんとそっくりだが、漂ってくるのは酒臭い匂いでなく、仄かに甘い香りがした。
蓮華「この切り傷・・・どうしたの?」
薫「? ええと───っ!」
そうだ。僕は変な黒づくめに襲われて、
薫「逃げないと!」
蓮華「え?」
薫「早く!!」
蓮華「ちょ、ちょっと! 一体、何が───!?」
孫権さんの手を掴んで洞穴を抜け出すと、数本の矢が真横を通過した。
もう追いついてきたのか。
蓮華「下がってなさい!」
薫「孫権さん・・・?」
蓮華「あなたは姉様に選ばれた人間。ここで死なせるわけにはいかないわ」
孫権さんは、腰に提げていた剣を抜く。
綺麗すぎる刀身は、襲いかかる矢を切り落としていく。
蓮華「くっ、敵の姿が見えない・・・こっちに来て!」
今度は僕の手を引いて走り出す。
その間にも、木々の隙間から矢が降ってきた。
ひとしきり走ったところで大木に身を伏せて、孫権さんはあがった息を整える。
蓮華「はぁはぁ・・・一体、どこの敵国の者なの?」
薫「・・・」
敵国? 僕の存在は秘匿されているから、情報が他の国に漏れることはないはず。
それに僕の存在を知っているのは、雪蓮さんと親しいごく一部の人達だけ。
その人たちが裏切るとは思えないけど・・・じゃあ、あの三人組は一体───
蓮華「それにしても、あれだけ走って息すら切れてないなんて、体力はあるのね」
薫「ははは、まぁ人並みに───伏せて!」
孫権さんの頭を抱えて地面に倒れ込むと、挟み込むように矢が通過する。
既に、側面まで回り込まれていたのだ。
薫「雑談はあとで! 今は逃げないと!」
駆け出すと同時に、矢が何本も降ってきた。
木々をジグザグ走行して矢を回避する。
蓮華「あっ!?」
薫「孫権さん!?」
が、足場が悪い。
太い木の根っこに足を取られ、孫権さんは転んでしまい、足首をくじいてしまった。
蓮華「私のことは放っておいて!」
薫「そんな事できるわけ、
蓮華「行きなさいっ!」
呉が力をつけるために僕は拾われた。
孫権さんは、呉のために僕を救おうとしている・・・自分の身を削って。
そんなの、
祭『そうじゃ。呉の繁栄のためにな。まだ受け入れられんか』
受け入れられるわけがない!
薫 [ハッ]───
孫権さんの頭上の木に、弓矢を引く襲撃者の姿が。
僕を狙うのに邪魔な孫権さんからやる気か。
薫(間に合って───)
蓮華「え───きゃっ!?」
怪我をした片足首を庇いながら立とうとする孫権さんを押し倒して、直角で落ちて来た矢が地面に刺さった。
一射目は避けられた・・・だが、顔を上げた先には残りの襲撃者の矢が眼前にまで迫っていた。
薫「っ・・・」
死を感じたのは今日で二度目。
右目に吸い込まれるように矢が、スローモーションのように映った。
薫(だめ。ここで諦めたら、だめ・・・!)
[キィン・・・]
薫「ぁ・・・」
弾かれた矢と一緒に、鈴の音が響いた。
矢を防いでくれた武器を伝って上を見上げると───捻り褌が見えた。
薫(え!?)
蓮華「思春!?」
思春「呉にあだなす賊を引っ捕えろ!」
「「「ハッッ!!!」」」
甘寧さんの一声で、こちらも全身黒服を纏った数人が、襲撃者に接近する。
が、向こうは反撃することなく逃走した。
思春「そのまま追え!・・・さて、貴様はいつまで蓮華様に不埒な真似をはたらいている」
首筋に刃が押し付けられた。
薫「ご、ごめんなさい!」
逃げるように孫権さんから離れる。
すぐに孫権さんが、僕と甘寧さんの間に入ってくれた。
蓮華「待って、思春! 彼は私を助けようとしてくれただけで・・・って、あなた任務は?」
思春「帰りが遅いので、任務は明命に代行していただきました。それよりもこの場から離れましょう。事情は後ほどお伺います」
蓮華「そうね。南条、付いてきて」
薫「は、はい」
思春「・・・」
"蓮華様に近過ぎたら斬る"形相に、及び腰になりながらも走る二人の後をついていった。
森を抜けると馬が待機してあって、二人の乗馬を見よう見真似で、みんなのもとへ帰還することができた。
この一件により、あの森の立ち入りが禁止され、偵察隊が出動した。
そして僕の扱いが軟禁から、保護という名目の監禁に変わった・・・そして、「すまなかった!」と謝ってくれた祭さんはというと
祭「い、一年も、じゃと・・・」
禁酒を命じられた。ついでに、警邏のサボりもバレて穏さんの監視がついた・・・のだが、あの人に祭さんの手綱を握られるのだろうか。
今は、門番付きの部屋に閉じ込められ、ベットでゴロゴロしている。
[コンコンッ]
薫「? はーい、どうぞー」
外には門番の人がいるから、訪ねてきたのは雪蓮さんか冥林さんか・・・。
蓮華「失礼するわね」
薫「孫権さん? どうしたんですか?」
蓮華「ええ、あなたの処遇を伝えにきたわ。その前に・・・」
椅子に腰掛けた孫権さん。
僕はベットから起き上がった。
蓮華「あなたには二度も助けられたわ。本当は、私があなたを命を持って守らなければならないのに。自分の未熟さが情けないわ」
薫「あ、あはは、でも孫権さんが居なかったら、僕は死んでいました。ありがとうございます」
蓮華「そんな! お礼をされる筋合いなんて私にはないのに」
薫「いいじゃないですか。無事に帰って来れたんですから。ね?」
蓮華「・・・そう言われると、助かるわ」
薫「それで処遇の件は?」
蓮華「ああ、そうね。さっきも聞いたと思うけど、あなたはこの部屋からの出入りが原則として禁止になったわ」
薫「はい・・・? 原則?」
蓮華「ええ、原則として。私が同伴の時のみ外出が許可されたわ」
薫「本当ですか! 冥林さん、さっきはそんな事言わなかったのに」
蓮華「今回の件はこちらに非があるから、私から冥林に処遇を軽くするよう相談したの」
前まで、目が合えば睨んできた孫権さんだったけど、すごく良い人だ!
気付けば、ベットから立ち上がって孫権さんの手を握っていた。
薫「ありがとうございます! 正直、また部屋の中でジッとするの嫌だったんです!」
蓮華「そ、そう・・・あの、」
薫「?」
もじもじしている孫権さんが、時折上目遣いで僕を見上げてくる。
薫「顔が真っ赤ですけど、熱でも───」
[スッ]
重ねていた手で、孫権さんの額に合わせようとした時、僕の耳元にドスの効いた声が聞こえた。
思春「それ以上すれば、首が飛ぶぞ」
薫[ビクッ!?]
蓮華「ぁ・・・」
背筋が凍って、孫権さんから離れた。
今の甘寧さんだよね・・・
蓮華「ど、どうしたの?」
薫「えっ、あ、いや何でもないです・・・そういえば、甘寧さんは?」
蓮華「今、偵察隊と同行している、とは思うんだけど」
じゃ、じゃあ、今のは空耳だよね・・・
そう思い込んで、背中に流れる冷や汗を抑える。
蓮華「・・・な、なん───薫」
薫「はい?」
蓮華「その、これからは私のこと───
思春「蓮華様」
薫・蓮華「「わぁっ!?!?」」
僕らの横に甘寧さんが立っていた。
抑えていた冷や汗がぶわっと吹き出した。
蓮華「い、いつからいたの!?」
思春「私の気配に気づけないようでは、まだ修行が足りないようですね」
蓮華「うっ・・・それでどうしてここに?」
思春「蓮華様に、悪い虫が付きそうでしたので」
ギロッと僕を睨みつけられた。
ははは、随分と嫌われてしまった。
蓮華「ちょっと思春! 薫は私を守ってくれた───
思春「蓮華様」
蓮華「な、なに・・・?」
思春「あなたはまだ未熟です」
蓮華「ぐっ・・・」
思春「ですので、この者の護衛、私もついていきます。雪蓮様にも許可をいただきました」
蓮華「え? あ、うん。え、でも」
思春「では、鍛錬のお時間です。参りましょう」
蓮華「ちょ、ちょっと待ってよ、思春!」
「ま、また来るね!」と言い残して、孫権さんは言い残して二人は出て行った。
薫「・・・」
嵐のような一日に平穏が訪れて、僕はまたベットに倒れ込む。
目をつむると、脳裏に先ほどの襲撃者が思い浮かんだ。
薫(あの人たち、一体何者だったんだろう・・・?)
考えても答えは見つからないのはわかっていても、どうしても考えてしまう。
そうしている間にも、眠気が徐々に深くなって、気づかぬうちに眠りに落ちていた。




