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【更新中】悪役令嬢 〜史上最低の悪女は深紅の唇で紅茶を棄てる〜  作者: 丹空 舞


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5/5

5 仕込みを軽んじてはなりませんわ

翌日からエリザベートによる猛特訓が始まった。

目標はミリエッタ侯爵令嬢も参加するダンスパーティーだ。

準備の期間はそれほどない。

ものの数週間で、野ウサギ、もといヘレナを淑女に仕立て上げなければならない。


しかし、エリザベートだけが冷静だった。


誰しもが、否、ヘレナ本人も不可能だと思うようなことを、エリザベートはこともなさげに決定したのだった。



曰く、


「仕込みを軽んじてはなりませんわ」


ということで。





「ひぃぃ……」


優雅に着席し、紅茶の入ったカップを傾けるエリザベートの前で、ヘレナは数十回目のカーテシ―の練習をしていた。


「片足をもっと引いて」

「ううう……片足……ッ、ああ、背骨が痛いッ!」

「背筋を伸ばす。顎を引く。視線は遠く」

「遠くってどこですか!?」

「そうね、未来を見据えるようによ」

「エリザベート様……み、未来が見えませんッ!」



使ったことのない箇所の筋肉が悲鳴をあげている。ヘレナは涙目で、姿勢を保持した。


白鳥が水面下で足掻くように、淑女の優雅さは日々の鍛錬と修行によって形作られるらしい。


エリザベートは良い姿勢で、淡々と指示をする。


「鼻を高く意識するのよ」

「はっハナァ……うぐぐぐ」

「ヘレナ、あなた、釣り上げられた魚ではありませんことよ! やり過ぎです。あくまでも優雅に!」

「ひえぇぇええ」

「腕は泳がないように」

「泳いでるといいますか、溺れてます……!」



 一事が万事、そのような感じだった。


 ナイフとフォークの角度。

 パンはちぎる。

 スープは音を立てない。

 口紅がカップにつかないように。


 紅茶とは何か。

 最高の状態でいただくためには。

 厨房の使用人たちにも協力してもらいながら、ヘレナは少しずつ知識をつけていった。


 紅茶になじみのないヘレナに、厨房の使用人が丁寧に教える。

 「よろしいですか、沸騰した湯を使うのでお気を付けて」

 「あっ、音が変わりましたね!」

 「ええと、音ではなく、泡が出てくるかどうかを見て判断するのです。そして、ファーストフラッシュのいれかたは」

 「ふぁ、ファースト……?」


 ここまではまだ良い方だった。


 致命的なのは、淑女としての会話だった。

 本日の天気について。

 他人に話しかけられたときの振る舞い。

 これが難しい。


 「そのように視線をウロウロさせません」

 「で、ですが、何を話せば良いか」

 「貴族の会話の八割は天気ですわ」

 「そんなに!?」

 「残りは噂と探り合いです。困ったら本日の空模様について言及なさい」




 ヘレナは必死に言葉を繋ぐ。




「本日はお日柄も良く……晴天で……太陽が……丸く……」


「太陽は常に丸いものです」


「ううううう、ひ、陽射しが振り注ぐ、良い、日焼けびよりですね……?」


 エリザベートは扇をパチンと閉じた。

 ヘレナが崩れ落ちる。


「すみません……もう私は駄目です。口を開くとポンコツ庶民の血筋がバレてしまいます」


 フンッとエリザベートは鼻で笑った。

 高飛車に言う。


「あなたがポンコツかどうかは、他人が決めることですわ。弱音を吐く者が勝ったためしがありません。よろしくて?  あなたのお父様はもう男爵なのですよ。貴族としての誇りを持ちなさい」


「だって、だってぇ……うちの父ちゃんは元々、漁師ですよぉ……? 陽気者だからちょっと外部の民族と仲良くなっちゃって、海運業とか始めて、それがたまたま当たってお金持ちになったってだけで、ただの成金なんですうう……」


「そんなことは存じていますわ」


 エリザベートは何の気なしに言い、床にへたりこんでいるヘレナの前に立って、じろっと見下ろした。

 長いまつげが、白磁のような頬に影を落とす。


「だからって諦めるなんて許しませんわ。だからこそです。お父上のためにも、あなたをポンコツ庶民と見下している者たちに、一泡吹かせるのです」


「で、できるでしょうか」


「できるかどうかではなく、やるのです。ヘレナはもうわたくしの鞄持ちなのですから。このわたくしの鞄に触れる者は令嬢の中の令嬢でないと困りますわ」




 *


 その夜のエリザベートの自室。

 丸い机には、革張りの日記は今は棚にしまわれ、代わりにダンスパーティーの参加者名簿が開いてあった。


「……ミリエッタ侯爵令嬢、ね」


 コンコンと小さなノックの音がして、使用人のアリスが入ってくる。


「失礼いたします。お嬢様、ミリエッタ侯爵令嬢についての調査が終わりました」


「ずいぶん遅かったのね」


と、じろりとアリスをみやる。

アリスはなぜか嬉しそうに直立不動の姿勢をとって、お嬢様に謝罪をした。


「申し訳ありません! 裏取りをするのに少々時間がかかりまして……取り巻きの方々もそれなりのご身分でしたので、スパイ活ど……ンンッ! 聞き取り調査が難航しました! このアリスをお叱りくださいますか」


エリザベートは興味なさげに首を振った。


「叱る? わたくしは遅いと言っただけよ。あなたたちが――わたくしが無理に頼んだから――いつもの業務をできずに困ったのではないかと思っただけです」


「ッお嬢様!」


「簡単に報告して頂戴」


アリスは身もだえしながら、手元の羊皮紙をエリザベートに手渡した。


「こちらに詳しく記載してございます」


 それは貴族名鑑にも載っている人間たちがずらりと記されていた。名前に小さな赤い印のついた者もいる。


「赤いチェックの人物が、ヘレナ様をいじめていた令息や令嬢たちです。赤い丸が首謀者、教科書を燃やしたり、靴に針を入れたりしていた者たちですね。小さな赤い点は、調子にのって陰口に便乗したり、おかしな噂を広めたりした者です」


「青のチェックは?」


「ヘレナ様をかばう、もしくは噂に乗らずに冷静でいた令息、令嬢たちです」


エリザベートはリストに目を通した。

何人かの貴族の名前があがっている。

ミリエッタ侯爵令嬢の名前の上にはでかでかと、小ぶりのリンゴくらいはある赤丸がついている。


彼女が首謀者に間違いないだろう。


じっとMの項目に目を落としているエリザベートに気付き、アリスは補足した。


「ミリエッタ侯爵令嬢が今回のヘレナ様いじめの首謀者に間違いありません。しかし、やっかいなことに、彼女は直接手を汚さないのです。教科書を燃やしたのは別の人物なのですが、嫌がらせをした人物は皆、ミリエッタ侯爵令嬢の取り巻きやその友人たちなのです。彼女にやるよう仕向けられて行動している者たちが一定数います」


「嫌がらせをする友人ねえ……歪んでいるわ。具体的には?」


「まず教科書の件です。燃やしたのは子爵家のクラリッサ嬢。ただし指示はミリエッタ侯爵令嬢の取り巻き経由です」


「取り巻きの名前を」


「男爵家の双子、レナとミナ。侯爵令嬢の茶会の常連です。『あの子、生意気よね』の一言で十分だったようです」


「他は?」


「舞踏の時間、ヘレナ様の靴紐を細工したのもミリエッタ侯爵令嬢の取り巻きです。片足だけ微妙に長さを変えて、回転のたびにほどけるようにしていたと。おかげでヘレナ様は、舞踏の成績は下の下です」


「新しい物を買う余裕が無いわけではないでしょう」


「別の物に変えても、その度に紐を切って細工をしていたようです」


「陰険ね」


エリザベートはため息をついた。


「ええ。本当にそうです。舞踏の際の、楽譜の差し替えも。違う曲順を渡して、皆の前で立ち尽くすよう仕向けています。更衣室では安物の香水をドレスに振りかけて、庶民臭いと笑ったようです」


「証拠は?」


「物的な証拠はありません。ですが、実際に香水をふりかけたミリエッタの侍女が口を滑らせました。『副団長様の視界に入るのはミリエッタ様だけで十分』と」


「副団長?」


「はい。ミリエッタは騎士団副団長のディードリヒに夢中です。今は彼に近付く令嬢を徹底的に排除しています。近付いていなくても、視界に入った。それだけで十分だそうです。副団長様が廊下でヘレナ様を助け起こした件をご存じですか。それを見たミリエッタは、その夜の茶会で『田舎娘が勘違いしている』と。次の日、ヘレナ様の机に『身の程を知れ』と書いた紙が入っていました」


「彼女、直接は動かないのね」


「はい。『私は何も言っていないわよ?』が口癖です。取り巻きは常時五名。状況で入れ替わります。家格が上がる餌で釣られているようですね。お気に入りになると、宝石やら流行のドレスなど優遇が受けられると」


「くだらないわね」


「ミリエッタ様は惚れやすい方で、半年ごとに対象が変わりますが、今は副団長に執心のご様子です。報告は以上ですが……お嬢様、いかがなさいますか」


エリザベートは最後の一文を読み終え、羊皮紙を静かに机へ置いた。


指先で、ミリエッタの名に描かれた赤丸をとん、と叩く。


「副団長ディードリヒは、今回の件をどこまで把握しているのかしら」


「おそらく何も。あの方は実直なお人柄です。訓練と政務補佐で手一杯。令嬢同士の諍いなど、耳に入っても信じないでしょう」


「信じない、ではなく、想像が及ばないのよ。剣で斬れないものには鈍い」


「お嬢様、まるでご存じのように」


「知っているわ。ああいう殿方は、自分の目で見たものしか判断材料にしないの」


エリザベートは立ち上がり、窓辺へ歩いた。

夜の庭園は静まり返り、噴水の水音だけがかすかに響く。


「ヘレナを守るだけでは、何も変わらないわ。ミリエッタはまた別の標的を探すだけ。舞台を整えるの」


エリザベートの唇が、ゆっくりと弧を描いた。


「ヘレナは踊れるわ」


「……あの、先ほどまで釣り上げられた魚のように暴れておりましたが」


「マナーと教養は魚並みだけど、歩行と姿勢は一級品よ。彼女、身体の感覚が鋭いわ。音で湯の沸騰が分かるほどに。言葉はまだ未熟。でも、言葉を必要としないものもある……」




エリザベートは一度言葉を切り、リストを丸テーブルに置いた。

見るべきものは見た、ということだろう。




「ヘレナは逸材よ。厨房も庭師も、彼女の味方になる。ミリエッタは違う。彼女は人を駒にする。似て非なるものだわ」


アリスが小声で尋ねる。


「お嬢様は、ヘレナ様をどこまで引き上げるおつもりですか」


エリザベートは即答した。


「わたくしの隣に立てるところまで」


アリスは目を見開いた。

エリザベートは高慢な美貌を見せつけるように、微笑んだ。


「最後に笑うのはわたくしよ! アリス、準備を任せるわね」


「はい」


「ドレスは軽やかに。飾りすぎない。野兎の俊敏さを消さないこと」



淑女とは、倒れない者のことかもしれない。

アリスは目の前のお嬢様に向かって、丁寧に礼をした。


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