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 帰宅すると母親にランドセルや荷物はどこにやったのかと詰問され、殴られた。だけどいつもみたいな絶望的な気分にはならなかった。代わりに去年の図工の授業で必要になって学校で使わなくなった物を譲り受けた彫刻刀のセットをスーパーの袋に入れておいた。


翌朝、ビニール袋だけを手に提げて登校した。上履きの中に画鋲が入っていないか確認する。昨日奪われた体操着は最後に見たときより更に汚れた状態で机の上に載せられていた。


それを畳んで手提げに入れようとする。空っぽのはずのバッグにはごみが詰め込まれていた。諦めにも似た気持ちが肺を埋める。ランドセルの中の教科書やノートは全て水に濡れてふやけていた。


「昨日どこ行ってたんだよ?」


僕に暴行を加えては楽しそうに笑うクラスメイトが声を掛けてきた。自分の荷物を置く。それだけで準備は整ったということらしい。彼の取り巻き立ちも嫌らしい笑みを口元に載せて僕を取り囲む。


「授業中に出てくとか、お前不良じゃーん」


そう言ってケラケラ笑う声に、不良、不良、と他のクラスメイトたちの斉唱が始まる。腕を掴まれて身体を引き倒される。仰向けになると複数の顔に見下ろされた。彼らが何と言っているのかはわからないけれど、詰られていることは理解できる。そのうちに手や足が出始める。身体は痛むけれど、心は落ち着いていた。今はタイミングを見計らうべきときだ。そんな気がしていた。


やがて教室の引き戸が開けられる音を耳が拾った。


「はい、席についてー」


担任の女教師の声を合図に、クラスメイトたちは最後に一発ずつ僕の身体に蹴りを入れると離れていった。今日の日直の二人が教師に教壇に立ち、朝の会が始まった。僕は音をたてないように気を使いながらビニール袋の中の彫刻刀セットを取り出した。教師は教室の端の事務机に座って司会の話を聞きながら、机の上のプリントに目を落としている。


「何か連絡がある人はいますか?」


日直の内の女子のほうが進行表を手にしながら、教室中をちらりと見まわした。いつもここで何かしらの発言をする児童なんてほとんどいない。今日も誰も手を上げないだろうという判断で次に進みそうになったとき。


「はい」


僕は真っ直ぐに手を挙げた。目立つことは苦手で皆の前に立って何か発表するときにはいつも身体が震えていた。だけどそのときは不思議と落ち着いていた。


教師を含む誰もが呆気にとられたような顔をして僕のほうを見た。


「ハマサキくん」


名前を呼ばれて立ち上がる。椅子の足が床板に引っかかってギギッと耳障りな音を立てた。

深呼吸を一つして、僕に向けられている視線の一つ一つを見返した。何人かはまるでおびえているかのようにして顔を背けた。


「僕はいじめを受けています」


僕の発言に教室中が息を飲んだ。


「殴ったり蹴られたり持ち物に落書きをされたり壊されたりしています」


自分がこの教室でこんなにも堂々と自分の意見を述べられる日が来るとは思っていなかった。


「みんな、……先生もそのことは知っていると思います」


もう一度教室中を見回す。さっきよりも多くの顔が下を向いた。


「みんなは知っていて知らんぷりをしています。僕がいじめを受けているところを見て、笑っている人もいます。自分は直接いじめていないから関係ないと思っとるのかもしれんけど、僕にとってはそれもいじめです」


空っぽの机の中に移し替えていた彫刻刀セットを取り出して、プラスチックの蓋を開けた。教室内に緊張が走るのを肌で感じた。


「みんながこれ以上いじめを続けるのなら、……先生も」


教師のほうを見ると、ビクッと肩を揺らしたのが教室後方の僕の席からでもはっきりとわかった。


「先生もこれ以上知らんふりをするなら、僕は」


彫刻刀セットのなかで最も刃先が尖っているものを選んで取り出した。たしか印刀という名前だったような気がする。それを右手で強く握った。


「僕は今日ここで死にます」


室内の誰もが瞬きをする間も与えなかった。彫刻刀を左手首の辺りに突き刺し、そのまま肘のほうへ向かって力いっぱいに引いた。チューブから出したばかりの絵の具のような真っ赤な血液がぽこぽこと染み出てきて腕を真っ赤に染め、雫が床や机も濡らした。


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