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長引いた部活が十九時を回ってようやく終わった。スピーチの練習をした先輩たちがフィードバックを求めてくるのを適当にかわしながら室内を片付けると、一番に教室を出た。さまざまなテキストやらポーチやらでごった返すバッグの中からスマホとイヤホンを引っ張り出して、大音量で音楽を流した。どんな音も人の話し声も聞きたい気分じゃない。だけど脳みその中で鳴り響くようなJ‐POPも全然しっくり来ない。
ほんの少し日の光の名残があるキャンパスを誰とも視線を合わせないように早歩きで通り抜ける。なんでこんなに必死なんだろう。なんでこんなにイライラするんだろう。夏に向けて買ったサンダルはまだ足に馴染んでいなくて、靴擦れができそうだ。駅まで十分ちょっと歩くのが面倒くさい。スマホから流れる曲を歌うアーティストはハイヒールでダンスをすることで有名だけれど、どうして歩くだけでもキツいこんな靴を履いてあんなにも激しく踊れるのか不思議でならない。
坂道を下りきって左に曲がったところにあるローソンの前を通り過ぎようとした時だった。誰かの声が聞こえたような気がした。誰の声も聞かなくて済むようにイヤホンをしていたはずだったのに。
右耳からイヤホンを外しながら振り返る。
「よっ」
そこにいたのはビニール袋を手から提げたジャージ姿のジンだった。どことなくがっかりしたような、それでいてなんとなく嬉しいような複雑な気持ちのまま笑顔を作る。
「よー。何してるの?」
「これ」
ジンがビニール袋を持つ右手を少し上げてアサコに見せる。
「たまには自炊するつもりだったけど、やっぱめんどくなったから晩飯買いに来た」
「えー。お弁当?」
「うん。弁当と一応サラダと……」
慌てて口を噤む。なんとなくジンが持っているビニール袋に視線を戻すと、もごもごと淀んだ声が返ってきた。
「あと、酒」
同い年のジンが慣れた様子でコンビニで酒を買っているという事実に衝撃を受けながらも、なんでもない風を装って茶化す。
「未成年でしょー」
「アサコなら絶対そう言うと思った」
そのことばがグサッと音を立てて身体のどこか大切な場所に突き刺さった。アサコなら、ってどういう意味だろうか。アキナリやマリアやほかの子たちだったら違うってことだろうか。それよりなにより、そんなつまらないことを言うやつだと思われていたのか。
一瞬にして顔がカッと熱を持つのを感じた。恥ずかしさと悔しさと、なんだかよくわからないけれど耳まで赤くなっているような気がする。
どうしてそんな言い方をされなくちゃいけないんだ。ムカついて、せめて何か言い返してやらなきゃ気が済まない、そう思って口を開きかけた瞬間、視界がグニャッと歪んだ。
「えっ」
ジンの戸惑う声が聞こえる。
左目の目じりから熱い雫が零れて頬を伝っていく。顎まで来て、地面に落ちていった。続いて右目からもまた左からも、両目から。なんで泣くのか自分でも支離滅裂だと思いながらも止めることができなかった。
「ちょっ……、アサコ? どうした?」
いつも明るくてちょっとお調子者なところもあってスマートで皆に慕われるジンが、アサコの前で何もできずに狼狽えているという状況は少し面白かった。だからたぶんもうすぐ笑えると予感したときだった。
「……とりあえず、家来る?」
驚きすぎて自然と涙が止まった。
「……え?」
「たまには二人で話すのもありっしょ」
二人で話すのはありだけれど、一人暮らしの男性の家にのこのこと上がり込んでも良いものなんだろうか。ジンに彼女がいることは知っているし、自分たちの関係は紛れもなく友達同士だと言い切る自信があったとしても。
だけど断ったら、やっぱりつまらない女判定を下されるのだろうか。
「……うん。お邪魔していい?」
半ば投げやりな気持ちのまま答えた。
「じゃ、行こっか」
背の高いジンと並んで歩く。彼に恋人がいることは知っているけれど、彼女について詳しく話しているのを聞いたことがない。こんな人と付き合えるなんて一体どんな女の子なんだろう。ジンみたいな人が彼氏だったら、もしかしたら自分に自信が持てるのかもしれない。




