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案内された彼の部屋は、男子学生の一人暮らしと聞いて想像していたものとはまるで違っていた。行き場をなくした物たちが床に散乱するなんてことは一切なく、生活の匂いをほとんど感じさせないほどまでに片付いていた。ベッドや本棚やテーブルといったどこの部屋にでもあるようなものから、ギターやキーボードといった楽器類もあった。
「ジンくんって音楽やるの?」
「まーちょっとだけ」
ジンはローテーブルに弁当類が入ったビニール袋を置くと、冷蔵庫からペットボトルのお茶と紙コップを持ってきた。
「アサコ、腹減ってる?」
「んー、空いてると言えば空いてるけど、あんまり気を使わんといて」
「気を使いたくてもさっきの弁当かカップラーメンかポテチぐらいしか食べるもん無いけど、何がいい?」
「本当にいいよ」
「いいって。俺だけ一人で食ってるわけにもいかないし」
「んー、じゃあカップラーメンで」
「おっけー。適当に座っててー」
「あ、ありがとー」
テーブルのそばで腰を下ろす。手持無沙汰になって部屋のなかを見回していると、入った時には本が並んでいると思った棚には、本以外のものもたくさん並んでいた。膨大な量のCDと見たこともない四人組が表紙の雑誌。オシャレな人は、部屋までもオシャレなのか。片付けが追い付かなくて酷いときには洋服が床に散らばることさえある自分の部屋を思って苦笑した。
テキパキと準備をしてくれていたジンが、アサコの目の前にカップラーメンを置いた。
「四分ね」
「ありがとう」
今度は電子レンジで自分用の弁当を温める。こういうところが人に好かれる所以なのかもしれない。そう思うと乾いた目じりがひりひり痛む気がした。
ようやくジンが腰を下ろす。ビニール袋からサラダと、それから缶を二つ出した。見たことのあるラベルのビールの缶。
ジンがそれを手に取ってプルトップを起こすと、プシュッと爽快な音がした。そして迷うことなく口を付ける。喉仏が上下する。笑っちゃいそうなくらいに様になっている。同い年のはずなのにすごく年上みたいに見える。
「良かったら」
ジンの骨ばった色気のある手が、もう一つの缶をゆっくりと滑らせる。鮮やかなラベルの缶。ビールではなくてフルーツ系のチューハイだった。
「こういうのも飲むの?」
「俺はビールのほうが好きだけど飽きたときとかさ。あと誰か来たとき用にいつも買ってんの」
「へえ……」
飲酒は二十歳になってからとは言うものの、皆大学生になった瞬間素知らぬ顔でアルコールを摂取している。ちょっとした罪悪感は楽しみに変わるし、成人している先輩たちは平気な顔で新入生にも酒を進めてくる。だけどアサコは今までに一滴も酒を嗜んだことはなかった。今飲まなかったとして一生酒を口にすることのない人生になるとは思えなかったし、とくに飲みたいという欲求も湧かなかったからだ。別にルールに縛られていたわけじゃない。
そのはずなのに缶に伸ばした手が震えているような気がして、ジンの視線がこちらに向かないことをひたすら祈った。幸い彼はスマートフォンをのぞき込んでいた。息を潜めてプルトップを開ける。パキッともクシャともつかない音がする。唇を付けて、一口飲んだ。
なんだ普通のジュースと変わらないじゃん。安いジュースの薄いフルーツの味がするだけだった。勧められるたびに断っていた自分が、そのたびに真面目だねと笑われていた自分が馬鹿馬鹿しく思えるほど、呆気なかった。
いただきますと手を合わせて、ジンが用意してくれたカップラーメンを啜る。口の中に残ったままの甘さをしょっぱさが覆っていく。なるほど、こういう食事をするときは確かに甘いカクテルよりも苦いビールのほうが欲しくなるのかもしれない。
ジンが立ち上がって壁際にあったどうやって使うのかよくわからないオーディオを操作すると音楽が流れ始めた。声にも曲調にも聞き覚えがなかった。
そして不意にこの部屋にはテレビが無いことに気が付いた。
「テレビないの?」
「もともとあんま見なかったしDVDもパソコンで見れるし、テレビ買っても使わねぇなって思ってさ」
「そうなんだー。私の家は誰かが見てようが見てまいが常にテレビが点いてるからなんか不思議な感じがする」
「テレビ見るよりこうやってなんか音楽流してたほうがいろいろ考えれるし」
「いろいろ?」
「うん」
そういえばスピーチが終わってからジンと二人だけで話すなんてほとんど無かった。静かな部屋にバンドっぽい曲が高音質で再生されて染み込んでいく。何を話せばいいのかわからなくなって、ひたすらチューハイを飲み続けた。何か話さないと、ここにいてはいけないような気になってしまう。
あっという間に缶は空になる。空き缶の異様な軽さに驚いた。こんなに軽ければ飲み終えた後にポイ捨てしてしまいたくなる気持ちもわからないでもないかもしれない。
「アサコって意外と酒、イケるんだ。もう一本いる? ビールしかないけど。……あ、でもこの前アキが残してったサングリアかなんかが残ってるかな。ちょっと見てくるわ」
ジンが冷蔵庫を開ける。
「おー、両方あるけどどっちがいい?」
「……アキくんってお酒、飲むの?」
「飲んでるよ。すっげぇ弱いけど」
「……そうなんだ」
「うん。たぶんアサコのほうが飲める口だわ」
「じゃあサングリア飲んでみよっかな」
「おっけー」
グラスに氷を入れて、そこに注がれたサングリアは赤と紫の中間みたいな色をしていてきらきらと綺麗だった。缶に入ったままじゃ色がわからない。
「はい」
ジンがポテトチップスの袋を開ける。夕食を終えた後にスナック菓子を食べるのもまた小さな罪悪感があって楽しい。
ずっとバンドっぽい曲が鳴り続けている。複数のバンドの曲がランダムで再生されているのか、曲調とか声とかが変わっていく。今かかっている曲はピアノの音が目立っていて、歌声は切なくてなんかいい感じだ。
甘いけれど甘ったるくはなくて、ほどよい苦みのあるサングリアは、チューハイよりも飲みやすかった。ジンが二本目のビールに口を付ける。




