0.かの地にて
日差しがカーテンの隙間から差し込んでいた。
白のレースカーテンが風で揺れている。
確かいつかもこんなことがあったような気がする。が、思い出せない。
結構前。小さい頃の記憶だとおもう。天井は白に、黒っぽい芋虫のような模様がたくさん並んでいる。
小学校なんかの天井は、今でもこんな感じだろうか?
天井から垂れるカーテン。
そう、まるで小学校の保健室で寝ている様な感じだった。
やけに喉が渇いている。
どこだ、ここは?
狭い視界が徐々に広がり、点滴のパックが見えた。
小学校ではないな、確実に。
雰囲気からして、病室だった。
保健室の窓際にベッドは無かったはず。点滴も。
ぼやけたものが、徐々に確かになっていく。
だがしかし、なぜそこにいるのかはぼやけたままだ。
体を起こしたいが、うまく力が入らない。
視界がぼやけていくのがわかった。
「あれから、どうかな?」
スーツ姿の女性が言った。まるで年下の男の子に話しかけるように。彼女は来客用の丸椅子で足を組む。
手元では眼鏡を拭いていた。
事実、僕は年下だ。そこは間違いないだろう。
わざわざ僕に会いに来てくれる、数少ない女性。
控えめな人だった。年は20代半ばくらいだと思うが、正直分からない。
ショートヘアで、少したれ目。親しみやすい印象で僕から見ると色っぽいお姉さんだ。
あれからどのくらい経ったかはもうわからない。
朦朧とした期間が長かったし、リハビリに尋問まがいの面談を度々受ける日々が続いてカレンダーなど気にしてはいられなかった。
「変わりないですよ。怪我のほうはだいぶ良くなりましたが、やっぱり。」
今はちゃんと起き上がれるようになったし、何とか歩くこともできる。
だが彼女が聞きたいのは別の話だ。
「僕はこの世界の住人じゃない?」
彼女は笑って見せた。口だけ。
馬鹿にしているとも取れなくもないが、おそらくこれは彼女の癖だ。
意識が回復した後、多くの人間が僕の所にきた。その中でも彼女の訪問はかなりの頻度だった。
「努力はしてみたんですが、なぜこうなったのか覚えてないんです。」
彼女は目を閉じる。
自分の置かれている状況がよくない。その自覚はある。
大けがをして入院、手術。それからリハビリ。おまけに記憶が飛んだとかその他諸々に加えて、虚言壁があると思われている。
窓から航空機の音が割って入る。かなり低いところを飛んでいるようだ。
外を見れば、プロペラの機体が複数飛んでいるはずだ。
「ただ、やっぱり僕は知らないんです。あの飛行機を。」
僕は彼女の手元を見て話した。既に眼鏡はない。顔を上げれば、彼女は眼鏡の奥でうっすらと目を開けている筈だ。
先ほどとは違い、口は横一文字で。
ぞっとするようなしないような。何かの皮がはがれたような表情。
この人が時折見せるこの顔。
僕はそれが怖くて見られずにいた。
普通の20代のお姉さんにしか見えないのに、僕が知っている『普通の20代』とは明らかに何かが違った。
それでも僕は口を開く。
確かに彼女は怖い。けど、彼女が来なくなったら他に誰が来てくれる?
誰が僕の話を聞いてくれる?
僕は一人きりになるのが怖かった。見知った誰かと話をしたかった。
だけど、僕の口からは何も出てこなかった。
「そんな答えが欲しいわけじゃないのよね。」
僕は恐る恐る顔を上げた。
今度こそ何か言わなくては。
見ると彼女は目を閉じて笑っていた。元の親しみやすい顔だ。
「まぁいいわ。」
彼女は僕の話をちゃんと聞いてくれたし、割とよく足を運んでくれていた。
少し怖い時があったとしても、僕は彼女と向き合うしかない。
他の訪問者は最初こそ僕の話に耳を傾けてくれたが、大半は怒るか呆れて来なくなる。
いや、大半は誤りだ。ほぼ全ての訪問者は僕のもとに来なくなる。
彼女が来なくなれば、きっと僕を訪れる人はいなくなるだろう。
「他にもあります。たとえばそう。あなたが腰に着けている、ソレです。」
彼女は上着をめくる。
「これ?」
そこには黒い金属の塊が鈍く光を放っていた。
そこからは曲がった握り手が控えめに顔を出していた。
最初は気にする余裕すらなかったが、意識がはっきりするにつれ腰回りのふくらみが気になってはいた。
気にして見ている内、ある時チラリと見えてしまったのだ。
「護身用だけど、そんなに珍しい?」
彼女は上着をめくっていた手を放し、口元にやる。
「僕の生きた世界では、少なくともそうそう見るものではなかったです。」
彼女はしばらくの沈黙のあと、立ち上がり窓際に立つ。
外では先ほどの飛行機の姿はもう見えないだろう。
「もし、あなたの話が全て本当だとしてよ。」
背を向けたまま話す。
「私はどうするのが正解なのかな?」
正直、わからない。
僕が聞きたいくらいだ。
「それはわかりません。僕にできるのは、あなたに素直に話すことくらいです。」
夏の風がカーテンを揺らした時、彼女は振り返る。
彼女はあの表情をしていた。




