第六話 〜長耳の少女〜
カールシュは部屋を後にすると、まっすぐ受付へと向かった。
「至急、ギルド長に取り次いでもらえますか?」
受付の女性は突然の要請に驚いた顔をしつつも、「少々お待ちください」と一声かけて奥の部屋へと消えた。
カールシュは酒場の喧騒を眺めながら、無意識に顎の無精髭を撫でた。
少しして、受付の女性が戻ってきた。
「アネーロ様は本日中央協会の方へ出向かれているみたいです。ですが、もう少ししたら帰ってくると思います」
「わかりました。ありがとうございます」
カールシュは丁寧にお礼を伝え、さてどうしたものかと思っていたとき、背後から声がかかった。
「おう、カールシュじゃないか。浮かない顔してどうしたんだ?」
ひとつ結びの赤い髪と、右目を覆う眼帯、その下には爪でひっかかれたような大きな傷痕が残っている。左右の腰に一振りずつの短刀を携えた彼女こそ、このギルドの長、アネーロ・セリネレッラだった。
「アネーロ様、ちょうど良かった。お疲れのところ申し訳ないが、少し時間をいただいても?」
「なんだ、どうしたんだそんなにかしこまって……まさか、私に惚れたのか?」
「冗談でもそんなこと言ったら、天国の旦那さんが泣きますよ……立ち話もなんですから、話しながら説明します。"職業婆の部屋"に来てもらえますか?」
「ほう……」
カールシュの言葉を聞くと、アネーロの顔から冗談めいた色が消えた。
「わかった。カールシュが急ぎだと言うなら、すぐに向かおう」
そう言って、二人は階段を登って行った。
俺と老婆は少しの間互いを見つめて押し黙っていた。
「えっと……」
俺は我慢できずに口を開いた。
「ストレッサー、というのはどういった職業ですか?」
老婆はにやりと不気味な笑みを浮かべると、説明した。
「多くの冒険者は、それぞれ生まれながらに職業の適正を持っている。筋力や耐久に優れていれば戦士、魔力に優れていたら魔術師、取引の才能があれば商人……といった具合に、この水晶は触れた者の適正を読み取る魔道具なのさ。例えば、戦士に適正ありと出た者は剣士、重戦士、斥候なんかの職に就く者が多い」
老婆は咳払いして続けた。
「ここまでは"普通の職業"の話さ。そなたに示されたのは"特殊職"この世界では15種類しかないとされる、希少な存在だ」
「──では、最悪の職業というのは……」
老婆はやや言葉に詰まったような顔をしてから、静かに答えた。
「この世界で最も恐れられている存在……つまり、魔王は、元々ストレッサーという職の冒険者だったと言われている」
「えっ……」
ふと、ドアの外、酒場の方の騒がしさが無くなっていることに気が付いた。
俺がドアの方に意識を向けると、ドアをノックする音が室内に響いた。
「婆さん、入るぞー」
快活な女性の声が響き、許可の返事を待たずにドアは開かれる。
綺麗な赤い髪の毛を後ろで束ね、右目には傷と、それを隠すように着けられた眼帯、見るからに"冒険者"という風貌の女性と、カールシュが部屋に入ってきた。
「話の途中で悪いな、私はアネーロ・セリネレッラ、このギルドの長をやらせてもらっている」
一連の会話に若干気おされていた俺は、慌てて返事を返す。
「俺は矢崎優助といいます、これからお世話になる……と思います」
アネーロは顔の左側だけニイッと笑った。どうやら、右目の傷付近は、筋肉の動きが制限されているみたいだった。
「ずいぶん礼儀正しい新入りじゃないか、私は謙虚な奴は嫌いじゃない。だが……」
俺は、この部屋……どころか、ギルド全体に緊張の空気が張り詰めているのを感じた。カールシュと目が合うと、彼は気まずそうに顔を逸らした。
何かがマズい、本能的にこの場から逃げ出そうと考えてしまうくらいには、今の状況は居心地の良いものではなかった。
「"ストレッサー"ってのは、放置できないんだ。理由は、そこの婆さんから何となく聞いているかい?」
静かで、どこか上品さすら感じるアネーロの声には、どこか緊張の色があった。この世界の魔王がどんなヤツかなんて俺は知らなかったけど、ストレッサーという職業が出てしまったこと自体が良くないことだったのだろうか。まったく、やるせない話だ。
「──ええ、魔王と同じ職業だと、伺っています」
俺は、深く息を吸ってから、言葉を続けた。
「もし、俺の職業が危険視されていて、ここに居ちゃいけないって言われるなら、構いません。俺はこの街に近づきませんし、危害を加える気も当然ありま……」
俺が言い訳をしていると、話を遮るように声が重なった。
「あんた、突然何言ってんだ?」
「……えっ?」
「10年ぶりの"ストレッサー"の出現なんだ、盛大に祝おうって伝えに来たんだよ!」
「へ……?」
脳の処理が追い付かない。
俺がとぼけた顔をしていると、カールシュがこちらに近づいてきてこういった。
「アネーロ様と飲むと、酒場は死屍累々になるんだ……正直気は引けるが、断るに断れなくて」
直後、背後から俺とカールシュはガシッとつかまれる。
「新入り、あんた私に酒で勝てたら……伴侶にしてやるよ」
スラっとした筋肉には似つかわしくない、しっかりと"ある"モノを背中に当てられながらそんなことを言われたため、少し赤くなってしまう。
いかんいかん。
その後、俺とカールシュ、アネーロというギルド長、そして"ストレッサー"の見物に集まってきたギルドの冒険者たちで宴会が始まった。
アネーロは非常に酒に強いらしく、酒の勝負には連戦連勝、カールシュの言った通り、あっという間に酒場は死屍累々という有様だった。
俺は"社会人時代"の飲みニケーションスキルをフルに活用し、酒の勝負はやんわりと断りながら、この世界のルールやギルドのこと、生活に役立ちそうな様々なコツを聞いて回っていた。
ずいぶんと長い時間が経ち、酒場の喧騒が落ち着き始め、死体のようになったカールシュを介抱しながらまだまだ元気なアネーロを眺めていた頃、ふと酒場の一番端の席に座る、この宴会の場で最も存在感の薄い、静かな"耳長の少女"を発見した。
──そして、彼女と目が合った。無表情ながら端正な顔に、肩にかかる程度の神秘的な白髪、そして何より、吸い込まれるような美しさの空色の瞳。
俺は、数秒、もしくは数分の間だろうか?
まるで時が止まってしまったかのように俺の視線は固定されていた。
──すると
「ユウスケ! お前も私と勝負だ!」
アネーロの快活な声で現実に引き戻される。
てか何杯飲むんだよこの人……
「アネーロさんの気持ちいいまでの飲みっぷりを見ているだけで俺は……」
ドォン!!!
俺の目の前に酒が乱暴に置かれる。
ああ、これ逃げられないパターンだ。
俺の飲酒量はまだ2杯……行けるか?
「ユウスケ、あんたが勝ったら私を嫁にもらってもいいぞ?」
「あーいや、それは……丁重にお断りします……」
「けっ、釣れない奴だ」
「その代わりと言ったら何ですが……」
俺はもう一度少女の方を見る。相変わらず彼女もこちらを見ている。
「彼女について、情報を聞いてもいいですか?」
アネーロはフッと笑った。
「なんだ、ユウスケはエルフがタイプだったか……」
──ちなみに、両者限界まで酒を飲んだ後、日が昇る頃にはどちらが勝者となるでもなく、皆が地べたで眠っていた。
ただ一人、騒動の最中こっそりと酒場を抜け出した"エルフの少女"を除いて。
『ストレッサー』
この世界における最強の"特殊職"のひとつ。
この世界では、肉体的な鍛錬や修練だけでなく、精神的な負荷や感情の起伏もまた、“ステータス”を強化する要因となっている。
ここで言う“ステータス”とは──
単なる筋力や魔力量にとどまらず、器用さ、俊敏性、表現力、魅力、さらには商才や洞察力にまで及ぶ。
ストレッサーという職は、過剰なストレスをエネルギー源として、自身の潜在能力を強制的に引き出す者たち。
その力は時に偉業を為すと言われているが、同時に、過度なストレスを受け続けることで世界を脅かす“災厄”にもなり得る。
とある白衣を着た神様いわく「大いなる力には、大いなる責任を伴う」とのこと。
二週間ぶりに働きます。
2025/05/13 投稿