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前編

お越しいただきありがとうございます。

お楽しみいただければ幸いです。

「あ、ね? このぬい……如月(きさらぎ)くんの?」


 大学のゼミの飲み会。

 同じゼミで隣に座った男の子のリュックに付けられたぬいを指差す。

 どこのなんてキャラだろう? 黒いロングヘアと黒い瞳。薄ピンクのチークと小さく微笑む口の刺繍にどこか既視感を感じる。


「あ、うん。そうなんだ。大事な物だから、あまりさわんないで?」


 ぬいのほっぺを突いてた私の指を、そっと拒否する如月くん。

 整った顔には笑みが浮かんでるけど、その行動は明確に拒否を示していた。


「おっまえ! まだそれ持ってんのぉ? なんなのよ~お前~」


 だいぶアルコールの進んでいる同期が如月くんに絡んでいく。

 確かに如月くんほどの陽キャイケメンがぬいを持ってるというのは正直意外だった。

 やっぱり笑みを浮かべながらも、これ以上興味を持たれるのはごめんだと言わんばかりに、そっとぬいをリュックに仕舞い込んでいた。


「あ、うん。大事な物、だからね」


 リュックの中、ぬいが入ってるであろう部分をどこか愛おし気に撫でる如月くんに、なんとなくキュンとした。

 この人なら……わたしを大事にしてくれるかもしれない。

 わたしを愛して、大事にして、お姫様みたいに扱ってくれるかもしれない。


 脳内で過去のわたしが嫌な笑みを浮かべる。

 自分の過去を忘れたの? って。何を……。

 それを振り切るようにわたしは如月くんに話しかけ続けた。


「へぇ……そうなんだ。ずいぶん遠いところからこっちに出てきたんだね」


 如月くんにアルコールを勧めつつ、イイ感じに酔っ払った彼から個人情報を聞き出していく。


「ん……そう……。でも阿左美(あさみ)さんも同郷だよね?」


 如月くんの言葉に、ドキリを鼓動が嫌な軋みをあげた。

 地元はここ、大学のある場所だと普段言ってるのに、如月くんはどうしてわたしが同郷だと思ったんだろう。

 ……もしかして、あの頃のわたしを知ってる?

 どうしようもない人間だったあの頃のわたしを……。


 そこまで考えて、ふるりと首を振った。

 あの頃のわたしとは見た目からして全然違うのだ。

 大学デビューなんて言葉では片付けられないくらいには、見た目も雰囲気も変わってるはずだ。

 地元にいた頃のわたしと、今のわたしを結び付ける人はいないだろう。


「えー、違うよぉ? わたしの地元、ここだもん。地元大好きっ子だから離れたくなかったんだよねー」


 そう言い切って、手元のジョッキを呷る。

 すっかりぬるくなったビールが、不快感だけを残して喉を滑り落ちていった。


「えー? そうなん? なんかイントネーションが地元と一緒の時あるから、同郷かと思ってたわ」


 アルコールに染まった頬を緩めてそんなことを言う如月くん。

 緊張のせいかじわりとジョッキを持つ手に汗が滲んだ気がした。


「えー? わたしのイントネーション変ってことぉ?」


 ペシンと如月くんの肩を叩く。

 その後、手は如月くんの太ももに乗せた。

 ぐっと近づいた距離に、ドキドキとさっきとは違った意味で鼓動が跳ねる。


「変とかじゃなくて……。ただ懐かしいなぁって……」


 どこか遠くを見るような如月くんは、きっと故郷を思い出してるんだろうか?


「ふぅん。でもでもさ? こっちも楽しくない?」


 わたしを見て欲しくて、如月くんの太ももに置いた手を揺らす。

 真っ黒な目がわたしを視界に収めた。


「……そうだなぁ。 今日は……楽しい……かな?」


 ニコリと微笑む如月くん。

 それってわたしと話せたから……なんてうぬぼれてもいいのかな?


 そんなことを考えながら、如月くんの気を引きたくて話しかけてるうちに、飲み会はお開きになっていた。


***


「ふふっ。チョロいなぁ……」


 防水できる透明な袋に入ったスマホを、湯船の中で操作する。

 画面に映ってるのは、よくわかんない緩いキャラクター。

 如月くんから送られてきたソレに、苦笑を浮かべながらタップする。


「……アレ? このスタンプ、わたしも持ってるんだ?」


 なんのキャラか調べようとしたところ、如月くんから送られてきたスタンプは既に購入済みになっていた。

 黒いロングヘアの女の子のスタンプ。

 いったいいつ買ったんだろう?


 疑問に思いながらも、まぁいいかと一つ大きく伸びをする。

 十分温まった体を一度シャワーで流してから、お風呂場を後にした。


 髪の毛から滴る水をタオルで拭いながら、洗面台についた鏡を覗き込む。

 そこに映ってるのは、黒いロングヘアと黒い瞳の女性だ。

 真っすぐ伸びた鎖骨の辺りまである黒髪は、正直乾かすのだって一苦労だけど……。


 初恋の男の子が付き合ってた女性が、この髪型をしてたから……。

 だからわたしは、鎖骨までの長さの髪を大事に大事にしていた。


 もう……初恋の男の子はメガネをかけていたことしか思い出せないけど……。


 タオルで挟んだ髪の毛を軽く叩いて水気をとっていると、ふと黒い影が鏡に映った気がした。

 大学生になってから一人暮らしをしてるから、今この時間に自分以外はいないはずだ。


 虫だったら嫌だな……と恐る恐る振り返るけど……何もいなかった。


「……気のせい?」


 タオルを肩にかけて前を向く。

 今度は化粧水のボトルをとってコットンに染み込ませる。

 化粧水をたっぷり染み込ませたコットンを頬に滑らせていると、コトリと小さな音がした。


「? 今度は……何?」


 音のした方へ視線を落とせば、小さな影。


「……え?」


 その正体は、ぬいだった。


「これが……なんでここに?」


 拾い上げてまじまじと見てみれば、それは如月くんが大事にしていたぬいだった。


「……隣にいたから、バッグ間違えたのかな?」


 そんな可能性は低そうだけど、わたしが盗んだと思われるのも困る。

 苦しい言い訳だけど、それで返すしかない。


「まぁ、如月くんと喋れるチャンスだと思えばいっか。全く……。なんでここにいるか知らないけど、せっかく来たならわたしと彼をくっつけるのに協力しなさいよ?」


 ぬいのおでこにデコピンを入れてから、洗濯機の上に置く。

 小さく縫い取られた口元が、僅かに歪んだことに、わたしは気付かなかった。


***


「あ、如月くん! おはよぉ~」


 翌朝。

 大学へ向かう途中で如月くんに会った。

 何かを探してるのか、道を眺めながらきょろきょろと視線をあちこちに投げている。

 もしかして……と思って、カバンからぬいを出して、如月くんに近づいていく。


「如月くん? もしかして探し物って……これ?」


「っ!? 阿佐美さんっ?! これは……っ!」


 奪うようにぬいを持っていかれて、少しだけムッとする。


「なんか……間違ってわたしのカバンに入ってたみたい……?」


 険しい表情を浮かべる如月くんを前に、考えておいた言い訳を口にすると……。


「そう……か。ありがとう。持ってきてくれたのに、乱暴にしてごめん」


 どうやら信じてくれたらしい。穏やかな笑みに戻った如月くんにお礼を言われた。

 だから……一瞬だけ如月くんの瞳に映った冷たい光は……きっと気のせいだろう。


「あ、そうだ! この子を返してくれたお礼に……お昼でも驕るよ」


「え? ホント?!」


 如月くんの言葉に、これ幸いと便乗する。

 ゼミでも競争率の高いイケメン、しかも本人は今恋人作る気分じゃないとか、昔付き合ってた子が忘れられないとか言って女の子には塩対応。

 そんな彼と連絡先の交換もできて……ぬい様々だ!


 メッセージアプリの連絡先に新しく追加された『如月』の名前に、展開の早さに思わず笑ってしまう。


「……あれ? このアイコンって……」


 如月くんの名前の横にあるアイコン。

 それは如月くんが大事にしているぬいだった。

 ここでもその存在感を出してくる辺り、如月くんは本当にこのぬいを大事にしてるんだろう。


「……羨ましいな」


 脳裏に古い記憶が蘇る。

 初恋の男の子が大事にしてたあの子。

 いつ見ても艶やかな、鎖骨辺りまで伸びた髪を揺らめかせて、男の子と夕焼けの中を帰っていったあの子。

 男の子が女の子に優しく触れる。髪を撫で、頬を撫で、唇を撫でる。愛しくて堪らないとでもいうように。

 羨ましくて羨ましくてどうしようもなかった。

 あの子にその場所を代わって欲しいって何度思っただろう。何度願っただろう。


 だからわたしは……。


 思い出したくない記憶の蓋が開きそうで、わたしはそっと頭を振った。


***


「お待たせ! ちょっと講義が長引いて……。待たせてごめんね」


 大学の外にある小洒落たカフェ。

 店内で待っているわたしの元に如月くんが息を切らせてやってきてくれた。


 それだけで胸がきゅんとなる。


「ううん。そんなに待ってないから大丈夫。理系の授業って長引くこと多いよね」


 向かいに腰を下ろした如月くんにメニューを滑らせる。


「今日の日替わりはロコモコ丼セットだって」


「そうなんだ。じゃあそれにしようかな。阿佐美さんは何にしたの?」


 サクサクと注文を決め、店員さんを呼ぶ。


「この日替わりと……阿佐美さんはこのナポリタンだっけ? これと……。ケーキも付ける?」


 如月くんの問いに頷きを返せば、わたしが選んだケーキと飲み物も店員さんに告げてくれた。


「ところでぬいのことなんだけど……。ホントごめんね。この子、たまにどっか行っちゃうんだよね」


 店員さんがいなくなってから、如月くんが口を開いた。


「どっか行っちゃうって……まるでぬいが生きてるみたいにいうんだね」


 顔整いな如月くんの、意外と子供っぽい言葉に、思わず小さく笑ってしまう。

 如月くんも恥ずかしかったのか少しだけ照れくさそうに笑っている。


「うん。俺が()()()()()()()()って願ってるからかな。 たまに……ね。ずっと……ずぅっと願ってるんだ……だから……」


「……え?」


 如月くんは今なんて言ったの?

 『生き返って欲しい』?

 ……誰が?


「きさら……」


「お待たせいたしました。ナポリタンとロコモコ丼です」


 絶妙なタイミングで、食事が届いた。

 たっぷりとデミグラスソースのかかったハンバーグと半熟卵に目を輝かせる如月くんに、再び聞き返すことはできなかった。


 だから如月くんが小さく落とした声は気付かないふりをした。

 だって『復讐』なんて……爽やかなイケメンに似つかわしくない言葉だもん。

 だからきっと……気のせい……だよね?

 


 

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