05話 黄金の扉が開くとき
仮面が暴走したら、王太子の溺愛も止まらなくなりました。
仮面×本音×王宮ロマンスの短編連載。
聖星祭の舞踏会から数週間が経った。
王宮の廊下は午後の光に照らされ、白銀にきらめいている。
執務室を出たアレンは、胸の奥のそわそわを抑えきれなかった。
(……ついに婚約式だ。ようやくルシアを“婚約者”としてお披露目できる)
自然と歩幅が大きくなる。
廊下の角を曲がろうとしたところで、文官たちのひそひそ声が耳に届いた。
「まさかルドベイ宰相が失脚とはな」
「マリツィオ商会を使って違法魔道具を流してたらしい」
「王太子殿下が直々に調査したとか」
アレンは足を緩め、静かに耳を傾けた。
(……噂が広まるのは早いな)
ルドベイ公爵にはもともと黒い噂が絶えなかった。
今回、ようやく決定的な証拠が揃っただけのことだ。
(反王族派の彼を野放しにはできない。僕が即位する前に、けじめはつけておきたかった)
さらに声が続く。
「“薔薇姫”ビアンカ様も関わってたらしいぞ」
「領地送りだってよ。社交界への復帰は絶望的だな」
「完璧なお方だと思ってたんだがなぁ」
アレンは小さく息を吐き、ふっと笑った。
(完璧、ね。……あれはただの“仮面”だ)
舞踏会でのルシアの姿がよみがえる。
毒舌も本音も、あの仮面のせいで全部あらわになって――
(……あの時のルシア、可愛すぎて“王太子の余裕”なんて吹き飛んじゃったな)
胸の奥がじんわり熱くなるが、その直後、瞳に冷たい光が宿る。
(僕の大切な人を巻き込んだ以上、宰相もビアンカも容赦はしない)
そして――
(ああ、早くルシアに会いたい)
アレンは控室へ向けて足を速めた。
***
控室は、私ひとりきりで静まり返っていた。
差し込む陽光が、薄いカーテン越しにふわりと揺れ、床にやさしい光の模様を落としている。
鏡台の前で、深呼吸をひとつ。
(……ああもう。緊張でお腹が痛い……)
銀の髪は丁寧に結い上げられ、深い蒼のドレスは王太子の婚約者らしく気品に満ちている。
鏡の中の私は、どこから見ても“未来の王妃”そのもの。
……そのはずなのに。
(今日のお披露目……ちゃんと務まるかしら)
弱気の虫が顔を覗かせた、その時。
コンッ。
控室の扉が優しく叩かれた。
「……入るよ、ルシア」
扉を開けたアレンは、ほんの少し息を弾ませていた。
白と蒼の軍装姿は凛々しく、視界に入っただけで胸がくすぐったい。
「……綺麗だ、ルシア」
「殿下。お世辞は結構ですわ」
「本心なんだけどなぁ……」
しゅんと肩を落とす姿が可愛くて、つい微笑んでしまう。
その時、アレンがふいに私の顔を覗き込んだ。
「緊張してる?」
「き、緊張というか……“王太子の婚約者”が務まるか心配で……」
「そっか。じゃあ、お披露目前に大事な儀式をしよう」
「儀式?」
アレンが懐から取り出したのは――あの仮面。
淡い紫と銀が光を受けて揺れる。
「……“勇気の出る仮面”……まだ持っていらしたんですの?」
「もちろん。君の本音を聞かせてくれた宝物だからね」
「黒歴史を宝物扱いはやめてくださらない!?」
アレンはふふっと笑い、仮面をそっと私の頬へ添えた。
その仕草は宝石を扱うみたいに優しい。
「はい。“本音しか言えなくなるルシア”の完成!」
「な、なんですのその名前は……!」
頬が熱くて仕方がない。
そんな私の手をそっと包み、アレンは真っ直ぐに見つめてきた。
「ルシア。この仮面がなくても、君は君のままでいいんだ。
その方が、誰より強くて、誰より綺麗だよ」
言葉が……胸の真ん中に落ちた。
(私、“完璧な淑女”にならなくちゃって……ずっと、思ってたのに)
「……このままの私で、本当にいいの?」
「もちろん。自由に笑って、自由に話して、自由に生きて。
そんな王妃がいる国のほうが、僕は好きだな」
耳まで熱くなる。
「も、もう……殿下って、本当に……変わってますわ……」
照れ隠しの強気な言い方。
それなのに、アレンは嬉しそうに目を細めた。
そして、ふいに――
「ねぇ、ルシア」
「……なんですの?」
「キス、してもいい?」
唐突な一言だった。
でも、照れと不安が入り混ざったアレンの声を聞いたら、驚きや緊張よりも“素直な気持ち”が湧いて出る。
「もちろんですわ」
考えるより先に口が動いた。
途端――自分から聞いてきたくせに、アレンが真っ赤になる。
「えっ……!? そ、即答!? それ本音……?」
「本音ですわ」
「あ、あの……仮面の効果……?」
「効果はとっくに切れてますわ。これは全部、本心ですの」
「………………」
「殿下?」
次の瞬間――
「ル、ルシア……そんなの反則……いや、かわいい……無理……好きすぎて、本当にどうにかなりそう!!」
言葉の熱に押されるように、強く抱き寄せられる。
「ちょ、ちょっと……誰か来たら困りますわ!」
「見られたって構わないよ!
王太子は婚約者を愛しすぎてますって、王宮中に叫んで回りたいくらいだ!」
「そ、それは絶対やめてくださいまし!!」
抗議する暇もなく、アレンの額が触れ――
くちびるがそっと重なった。
軽い触れ合い。甘くて優しい一瞬だった。
名残惜しそうに離れたアレンが、震える声で囁く。
「……全然足りない」
その囁きは、ほとんど熱に溺れたようで。
次の瞬間、また抱き寄せられる。
今度は甘く、深く――。
全身が溶けてしまいそうなキスだった。
私の呼吸も思考も、全部奪われていく。
やがて唇が離れ、静かに額を重ね合う。
しばらくのあいだ、ふたりの呼吸だけが静かに混ざった。
「……ルシア」
震えるような声。
胸の奥がじんわり熱くなる。
「もう隠さなくていい。
ありのままの君を愛してる。
そのままの君で、僕の隣にいてほしい。これから先も、ずっと」
その言葉が、まるで祝福のように心に落ちた。
私は小さく息を吸い、彼の胸に手を添える。
「……でしたら、私も決めますわ。
“本当の私”で、殿下と肩を並べ、同じ未来を歩む覚悟を」
アレンの瞳が、嬉しさと安堵でやわらかくほどけた。
「行こう、ルシア。
君が君のままで立つ舞台へ」
差し出された手を握った瞬間――
大扉がゆっくりと開いた。
黄金の光が溢れ、まるで夜明けが訪れたみたいに眩しく広がる。
祝福の声。
温かな視線。
“仮面”なんて、もう必要ない。
私たちは、光の中へ歩み出した。
***
アレンがそっと耳元で囁く。
「……ルシア。
さっきの続き、あとでゆっくりね」
最後までお付き合いくださり、本当にありがとうございました。
少しでも楽しんでいただけていたら幸いです。




