26:そんなことない。
「アンディさん、止まらないで! 罠だ!」
「へっ。何です、アレックスさん? ……うわわわっ!?」
馬車がほとんど止まりかけたところで、もう10mほどの距離に近づいていた老夫婦が突然立ち上がった。
いや、それは決してお年寄りの身のこなしじゃない。偽装のために羽織っていた上着を投げ捨てると、そこから現れたのは弓を構えた二人の男だ。
「危ないっ!」
「わぁっ!?」
「ぐぅっ!」
御者台の真後ろの荷台に乗っていた僕は、目の前に座っているトムの脇に手を入れて荷台に引きずり込む。その直後、たった今までトムの座っていた座席の背もたれに矢が突き立った。
ただし、間に合ったのはトムだけだ。隣で手綱を握っていたアンディさんは胸を矢に貫かれている。
「フィオナ、アンディさんを頼む!」
「わかった」
フィオナの【完全治癒】なら、即死でさえなければ何とかなる。彼女にはまた痛い思いをさせてしまうけど、背に腹はかえられない。
アンディさんとトムをフィオナに任せ、僕は御者台を飛び越えて男たちの前に躍り出た。
「チッ、護衛がいたか!」
「たった一人で敵うと思うなよ、ガキが!」
二人の男は弓を捨てて剣を抜く。ただ彼らはすぐに襲い掛かっては来ず、むしろジリジリと後退る。
その魂胆は見え見えだ。何せ僕には、街道の両側に身を潜めた残り二人の悪人の気配が見えているんだから。
おそらく前方の二人が僕を牽制している間に、隠れている二人が弓で僕を射るつもりなんだろう。
だから僕は先手を取って、全速力で剣を構えた男たちの方へ突っ込んでいく。いったん距離を詰めてしまえば、もう飛び道具での支援はできないから。
急速に近づく前方の男たちの目が、驚きに見開かれる。【属性敏捷補正:悪人】の効力で、自分でも驚くほどに踏み込みが速く、鋭い。
ほんの4、5歩で瞬く間に10m近くの距離を埋め、僕の剣が呆然と立ち竦む男の喉を掻き斬る。
「なっ、速ぅゲッ!?」
「……うっ、うわあああぁっ! あギャっ!」
突進の勢いを止められずに少しオーバーランしたあと、ようやく我に返って僕に斬りかかってきたもう一人も、同じように始末した。
あと二人。本人は完全に茂みに隠れているつもりでも、残念ながら頭の上のカルマ値が丸見えだ。僕は右手にいる一人を目掛けて、大きくジグザグに跳躍しながら接近する。
すると狙いを絞れないままに焦って放った一本の矢が、僕を掠めて飛んで行った。……よし、貰った。
僕はそこで左右への跳躍をやめて、そこからは一直線、最短最速で敵に迫る。
茂みの中の男は、急いで次の矢を番えようとするも焦って矢が手につかない。
「ヒッ、ヒイィッ! 来るな、来るなぁッ!」
その男がようやく構えをとることができたのは、僕が至近距離にまで迫り、その首に剣を滑らせた直後のことだった。
残るは一人。
街道の反対側に身を潜めていた男は、もう逃亡にかかっていた。距離は25mほど。追い掛けて捉えられない距離じゃない。
ただ、さっきから先手を取りすぎていて、僕のカルマ値は30ほどにまで下がっている。ここでもし追撃して後ろから斬りつけたりしたら、またマイナスになってしまうだろう。
……面倒だけど、仕方ない。やってみるか。
僕はそこから残る一人の男を追いかけ回し、精神的にも体力的にも徹底的に追い詰めて、最後にとうとう泣きながらナイフで切りかかって来たところを躱してからの反撃で倒した。
それでもカルマ値は20も減ってしまった。あんまりいい方法じゃないな、これ。
◇
「本当にありがとうございます、アレックスさん! フィオナさんも。もしお二人がいなかったら、私たちはどうなっていたことか!」
「そうだよ、オレなんか二回も死んでたよ。ありがとう、アレックス兄ちゃん!」
「いえ、襲われたのは僕たちにとっても同じことですから。自分の身を守るためにしただけですよ」
アンディさんは見事に心臓を射貫かれていたみたいだけど、フィオナの神聖治癒魔法のおかげで事なきを得た。
そしてアンディさんもトムもフィオナと一緒に荷台に隠れていたために、幸い僕の戦う様子は見られていなかった。そこで、僕が野盗二人に手傷を負わせて追い払った、と話してある。
そうでなきゃ、死体が残っていない理由を説明できないからね。
「いいえ、それでもお二人は命の恩人であることに変わりはありません。ですから今度こそ、どうか受け取って下さい」
「いえ、でも……」
そう言ってアンディさんが差し出してきたのは、いかにも質の良さそうな革の小袋。その中身は今朝フィオナが受け取りを断った大金貨10枚、100万ランだ。
正直言って、お金は欲しい。だけど、本当にその金額に見合う働きをしたかと言えば、自分ではとてもそうとは思えない。たぶん、フィオナも同じように考えて断ったんだろうと思う。
「遠慮は要りませんよ。私たち二人の命、それに積荷の無事。それを考えれば安いものです。私も商人の端くれ、自分が損をするような支払いはしません」
「そうだよアレックス兄ちゃん。金儲けのためには、こうやって相手に気づかれないように恩を売るのも大事なんだぜ」
「ちょっ、……こらトム! 余計なことを言うんじゃない!」
「あははっ」
思わぬところから魂胆を暴露され、慌てふためくアンディさんの態度に僕は思わず笑ってしまった。
なるほど、つまりは何かあったらまた頼むよ、って事だろうか。それは僕たちにとってあまりありがたくない話ではあるけど、カルマ値が415もある善人のアンディさんなら、そんなにややこしい話は持ち込んでこないだろう。
「分かりました。そう言うことなら遠慮なく頂きます。ありがとうございます」
「いやいやそんなお礼なんて、ははは……」
そんなわけで僕は、引きつった笑顔のアンディさんから革の小袋を受け取った。
うわぁ、見た目よりずっと重たいよ。さすが大金貨。
◇◆◇
そこからは何も事件やトラブルは起きず、アンディさんの荷馬車は二日後の夕方にランデルビアの街へ到着した。
それは僕たちがアルテアを出発してから6日目のことで、予定日数のほぼ半分の早さ。当然その分の旅費が浮いて、おまけに100万ランの謝礼付き。もう、ありがたいことだらけだ。
「お世話になりました、アンディさん。ありがとうございます」
「いえいえ、お礼を言わなければいけないのはこちらの方です。護衛だけじゃなく炊事までしていただいて、本当に助かりましたよ。フィオナさんの作る料理、本当に美味しかったですねぇ」
「そうだよ。オレ、野宿であんな美味しいご飯を食べたの、生まれて初めてだった!」
「……そ、そんなことない。ふつう」
アンディさんとトムに料理の腕を褒められて、フィオナが顔を赤くしている。
昨日と一昨日は街道の脇に馬車を停めての野宿だった。
アンディさんたちはいつもなら日持ちのする固いパンやビスケット、干し肉などの保存食で簡単に食事を済ませ、夜の間は交代で起きて見張りをするらしい。
ただ今回は僕がかまどを作って火を興し、フィオナがいつものようにその辺で摘んできた何種類もの香草で塩漬け肉や芋を調理したものを、みんなで食べた。
その手際の良さと野草に関する知識は、旅慣れているアンディさんも舌を巻いていたくらいだ。
そしてもちろん、僕たちも夜間の見張りを分担したので、その分アンディさんたちの負担は減っている。
とは言っても、これだって僕にとってはこの先役立つかもしれない貴重な経験だ。もう本当に、助かることばかりのいい旅路だった。
「いやぁ、こんなに家庭的で奥ゆかしい女の子が恋人だなんて、アレックスさんが羨ましいですよ」
「えっ? ……えええぇっ!?」
「……こ、こいび……と……」
「あれっ? 違いました?」
別れ際、さらっとそんな爆弾発言を落としたアンディさんが、僕たちの反応にちょっと困ったような顔をしていた。
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