#83 新たな仲間と旅立ちと 前編
日が昇るにはまだ先、真夜中と言うには少々過ぎた様な半端な時間帯。
今日で此の街が最後の日。暗き帳が明ければ次の街へと向かって、いや向かうべき場所など無い旅へと立つ事となる。
安息の地など無く、眠ると言う事一つとっても危険と隣り合わせになる。
今日が最後とは言い過ぎではあるが、ゆっくりと眠れるときに眠っておかなければ体が持たないのは分かっているのだが。
気が立って寝られるのは確か。
自分の事ではあるが、此れでは先が思いやられる。この部屋に自分だけであったことが何よりの救いか。
部屋は一階、少々行儀が悪いが窓を開けて外へと足をかける。
夜空に浮かぶのは少し欠けた月。冬の寒さが静寂さを引き立てる。
吐く息が白くなるほどでは無くとも、寒さが肌を差す。元々なかった眠気は、寒さで頭が冴えてしまった。
「月見としては少々寒い夜ですね」
「あぁ、だが良い夜だ」
「……眠れませんか」
「さて、何やら目が覚めてしまってな。夜風に触れて気持ちを落ち着かせていたところだ」
少しの間だけとそう思ったのだが、思いのほか時間を要するやもしれぬ
冬の寒さもさることながら上着も羽織らず窓から外へと出たために、寒さが余計に肌を刺す。
其の寒さを後押ししているのがフォスレスの姿。出会った時と同じ貫頭衣姿であった為だろう。
「其の恰好は見ている此方まで余計に寒くなるのだが、寒くはないのか」
「残念ながら寒さだけでなく暑さに対してもさしたる支障はなく、極論を言ってしまえば眠る事も必要はありません」
告げられる事実に驚く事は無い。基より人ならざるモノ、人の定義にあてはまるはずもなく。
だからと言って忌避する必要もない。
「冬でも寒くは無いと言うのは少し羨ましいが、けれど眠れるのは辛いか。夜が長く感じるのでは」
「そうですね、少しばかり永い夜を過ごしましたが、もう明けましたから」
まだ明けるのは先の、夜の空を見上げながら嬉しそうな顔のフォスレス。
人とは違うやもしれぬが、其れでも何処か人と同じところはある。フォスレスからはそう思わせる表情をしていた。
「そうか、ならば歩き出さねばならぬな」
「そうですね……歩き出さないと駄目ですね」
同じ空を見上げる其の先は月と星。まだ草木も眠る時、夜風に晒され体と共に頭も冷えた。
今ならばゆっくりと寝ることが出来るだろう。
「さて、歩き出すにしても今は体を休める時間。俺はそろそろ寝るとしよう」
「私も抜け出してきましたので、怒られる前に戻るとします」
「あぁ、カリダ姉にせよ修道女にせよ怒ると怖いな」
「全くです。あの二人は遠慮と言うものがありませんから、もう少し優しくしてくださっても良いと思うのですが」
窓枠に手をかける。此のまま部屋へと戻ればフォスレスとの短きも楽しかった時間が終わる。
明日からは姉妹も加わり二人きりの夜などそうありはしないだろうが、其れでも今宵限りではない。
「其れだけ受け入れてくれたのだろう、良かったではないか。早々と別れてしまうのは残念ではあるが、次に会える事を願って『また』と言うのだろう」
地面を蹴って部屋へと入り込むと。
「おやすみだ、また明日」
「えぇ、お休み……」
お互い言葉を交わし合って、扉を閉めた。
外に一人取り残されたフォスレスは腰に手を当てて少しだけ嘆息する。
「私も一応女性と思っているのですが、最後までエスコートせず一人戻ってしまうとは」
閉じた扉を見つめるも開く事は無く……やがて月を仰ぐと。
「私の相方は薄情者ですね。でも貴方との旅は楽しみにしているのですよ」
フォスレスもまた窓枠に手をかけるとネムロスと同じように部屋へと滑り込み扉を閉めた。
気を抜くと夢の世界へと旅立ってしまいそうな、少々眠気残る頭を軽く体をほぐしながら追い払い、寝台から降りる。
昨晩は少々眠れぬことが在ったが、再度寝入った時には夢さえも見ぬ程眠りに落ちた。
部屋の外では子供たちが忙しく動き回る音が聞こえる時間。良い目覚ましの鐘とも言える。
この後、孤児院で最後の朝食を摂るといよいよ旅立ちである。
西門へと兵士に連れられた姉妹と合流し、そのまま隣国へ向けて旅立つこととなる。
そう思うと少々心が高ぶり、最後の抵抗をしていた眠気も何処かへ行ってしまった。
旅装束へと着替え一抱えほどある荷物と共に食堂へ向かった時には、フォスレスやカリダ姉、牧師に修道女と子供たちと朝食の用意をしている子供たちを覗けば全員集合していた。
「俺が最後であったか、遅くなったか」
「おはようございます。まだ早い時間ですが皆、目が覚めてしまったようですね」
「あぁ、おはようだな」
朝の挨拶を済まし席へと着くと慌ただしさが増した。フォスレスは向かいへと座っているが、カリダ姉と修道女は子供たちへ指示し一斉に朝食の用意がされてゆく。
席について雑談する事もなく整ってゆく朝食の用意に圧倒され、気が付いたときには皆が席へと着いたときであった。
「本日はフォスレスさんと、ネムロスが遠き地へ巡礼の旅に出る日となりました。お二方の歩む先に神の御加護が在らんことを祈りましょう」
牧師の即興の送り言葉。其の後に続くはいつもの感謝の言葉。
食事時は何かある訳もなく終わり、片付けをしていると。
「もう行くんだね」
少し元気がないカリダ姉であった。村で一度別れの挨拶をしているのにもかかわらず、また此処で別れとなるのだから仕方ないだろう。
自身とて同じ、今生とまでは行かずとも長き別れとなるはずだった。
村の子供たちが此の街へと避難すると知っていたからこそ、此の協会孤児院へ頼る事を止めたのだ。
このような事態を避けるために。
「あぁ、此の街での用事も済んだからな。本当なら本格的な冬が来る前にこの国を出たかったのだが、思いのほか長居し過ぎた」
「そだね……雪が降ると歩くのも大変だしね」
「野営するも影響がある。もう遅いだろうが其れでも隣国へ急ぐ必要がある」
「そっか、そうだよね。うん、なにかおかしくてごめんね」
「いや、構わぬよ。俺の方こそ慮れなくれなくすまぬな」
「うん、もう大丈夫。少し錯覚しただけだから」
「そうか、やはりすまぬな。辛い思いを二度もさせてしまった」
「私は嬉しかったよ。もう一度見送る事が出来たのだから」
カリダ姉は笑ってくれた。笑って送り出してくれた。
其れが、ただ嬉しかった。
「ネムロス、そろそろ時間です。ラウムたちが待っていますよ」
「だそうだ。では行って来る」
「また、帰って来るよね」
「あぁ、俺の名はフェンシオに預けているからな、返してもらうために返って来るさ。其れに故郷を捨てた訳では無いしな」
「うん、分かった。皆で待っているね」
「ではアケルブム牧師、メアリーもカリダ姉と子供たちの事をよろしく頼む」
「えぇ、貴方のご家族の事はお任せください。貴方の旅に幸あらんことを……」
神の加護では無く、幸福を祈るか。最も今の俺に其の意味を問う事も、知る事にも意味はない。
牧師の言葉を受け取るだけだ。
メアリーはただ軽く頷くだけ。あまり話せなかったが、子供たちの事は心配せずとも良いだろう。
纏めていた荷物を持って、最後に頭を下げた。
カリダ姉も牧師も玄関先で見送ってくれた。これ以上はお別れがつらくなるからと。
そして孤児院を後にした。
「すまぬ、遅くなった」
西門に着いたときには姉妹を連れたラウム等が待機していた。
ラウムのほかにはルミナリスにウィリデの他に、見慣れた兵と見知らぬ兵がいた。
「此れは大勢でお見送り頂くとは光栄です」
嫌味なのか冗談なのか判断に苦しむ言いぐさ。彼らに何処か思うところが在るのだろうか。
喜ばしい言葉だが、何処か素直に受け取れぬのはフォスレスの笑顔が笑っていないからだろうか。
「業務の都合上、我々だけで申し訳ない。世話になったフォスレス嬢を見送りたいと申し出たものが多くいたのですが、事件でもないのに兵が集っていたら民が要らぬ不安に抱えますから」
ラウムの返しも見事としかない。
二人の事は気にしていても仕方ない。存分に口論してくれとしか言えない中、辺りを見渡し目的の人、見慣れぬ兵士の後ろに隠れるような姉妹たちを見つけた。
フォスレスを見るとラウムと微笑みながら睨み合っている。関わる事は藪蛇にしかならぬだろうと判断し、姉妹の下へと向かう事とした。
「初めまして、かな。私はアクィルスです。お見知りおきを」
「ネムロスだ。此処に居ると言う事はフォスレスが世話になったか、其れとも姉妹の案件か」
「両方ですね。主に事務処理や部署間との連絡役を担っています。此度は孤児院との連絡役を務めさせていただきました。今は姉妹の処遇の為来ています」
「そういう事か。ご苦労様だな」
「ありがとうございます。私と話すより大切なお話をしなければならない方が居られるのでしょう、私よりその人とお話をなされては」
視線を向ける先はラウムとフォスレス。
二人は睨み合いながら何を話しているのか……。まぁ時間は限られている故、話をしなければならぬ人と向き合った。
「改めて此れからよろしく頼むよ。リティスにアレスリア」
「リティス、よ。ネムロス」
「リアって呼んでください。アレスの名はあまり好きくはありませんから。此れから旅を共にするにその名で呼ばれたくはありませんから。ネムロスさん」
「ならば此方も敬称は要らぬよ。此れから旅する仲間だ、堅苦しいのは無しにしよう。詰まらぬことで疲れる事も無かろう?」
リアが手袋を外したかと思うと差し出された手。小さな手だ、強く握れば壊れてしまうのではないかと思う程に。けれど今までどれ程の過酷な中を生きて来たのか、其れを物語っている手でもあった。
だから同じように手袋を外し、其の小さな手が壊れぬように、だけど頼もしくある様握り返した。
「其れはそうと……良く似合っている。旅するに良い装備を買えたな」
リアは少し驚くもすぐに笑顔を返し。
「其れについてはありがとうございます。誰かに何かを買ってもらえるのは久しく無く、嬉しかったです」
足元まであるズボンに膝下まである長靴。厚手の上着。飾り気は皆無で色も茶色が強く一見不格好にも見えなくはないが、物を入れる場所も多く実用性重視である。その上に撥水性のある革の外套を羽織り、腰に各所に小刀を隠し身に着けている。
冷たさから指先を守る手袋も革ではあるが、手首当たり強化革を使用し固めることで手首をも守っている。
全ては中古ではあるが、其れなりの買い物であったと言えよう。其れが三人分、安い買い物では無かったが、懐が痛んだのは俺ではない。対価は必要となったが、目の前にある問題を解決でき、旅の助けとなるならば断わる選択肢を選ぶことが出来なかった。
「装備不足で倒られても困るからな、当然の事だ」
「其れでも、お礼ぐらいは言うわ。どの様な形であれ助けてくれたのだから」
「私が勝手にしたことです。其れに此れから先を考えれば後悔するかもしれませんし……ね」
背後からの声に振り向けばフォスレスがいた。
「気配を殺して後ろに立たないで欲しいものだな。心臓に悪い」
「其れは良かったです。悪戯を試みた甲斐があったと言うものです」
何か気に障る様な事をしてしまったのか、微笑んでいるが目が笑ってはおらず。そしてそっぽを向いたかと思うと、手を腰に当て胸を張る。
旅装束を一から買い揃えたのは姉妹だけであったが、ネムロスとフォスレスも買い足してはいる。
フォスレスについては小道具など必要ないと言う事で、買ったのは服と手袋の代わりに革の小手を購入している。
そして今それら全て身に着けている。どうやら其れらを見せつけられている様であり、そして俺はまだフォスレスに伝えていない言葉があった。
姉妹と同じく厚手の長袖、ズボンに長靴と外套を羽織っている。
中古品である為少々形は違えど、似通っているのは否めない。
背中まである長い髪は後ろで一つに束ねている。
兵服と違いさまになっている。
「あぁ、似合っている。小手も違和感なく馴染んでいる様で、こう言っては何だが格好良いな」
どうやら正解を引いたようで口元や目元が緩んでいる。
「それでラウムとはどの様な話をしていたのだ」
「えぇ、其れは……」
珍しく言い淀むフォスレスに、ネムロスは聞いてはならぬかったかと思うと。
フォスレスもまた、先ほどの会話を思い返していた。
ネムロスとラウムと挨拶を交わし姉妹の下へと向かっていった後、ラウムが楽しそうに語りかけてきた。
「フォスレス嬢に二つ程、お話があります。少々お時間宜しいですか」
「さて、時間はあると思いますが……」
「そう警戒しなくとも、何も致しませんが」
「腹の探り合いと言うのは嫌いでは無いのですが、今は機が悪すぎます。率直にお願いしますね」
視線だけ一瞬姉妹の方へと向ける。ラウムであれば察してくれるだろうか。
「彼女らは何も知りません。私から話すべきことではありませんから。アレスリア嬢の眼に関しても詳細を知る者はいないでしょう。私にしても誰かに話すこともしていません」
緘口令に情報規制と、本当にただの副隊長補佐と謂う立場なのか不思議に思ってしまう。
「どうやら魔眼封じは問題ないようですね、少し安心しました。なら直ぐに何か起こる事もないでしょう」
「では少々お時間を頂きまして。今回の騒動ですがどう思いますか」
「どう……とは?」
「少々不可解な事が多く起こっていると、そう思いませんか」
「さて……私自身が不可思議な存在と認識していますから、何かが起きた所でどう判断してよいのか、分かりかねます」
「そうですね……例えば傭兵団の団長を捕まえた場にネムロス殿が居られましたが、その日は訓練の最終日。訓練場から帰投中であることは確かなのですが、訓練場が在ったのは街から東側。合流するにしても街を横切りる必要があります。其れこそ歩いては三、四刻ほどかかるかと」
「つまりあの場に現れるのは不可能と?」
「夜になり暗い山道を何処に居るかも分からない貴方の下へ駆けつけるのは、地理に詳しい狩人であったとしても無理でしょうね。現場に居た私ですら後を追う事を諦め、朝方の狼煙を見てたどり着いたのですから」
「訓練が早く終わったと言う事は」
「彼と帰途を共にした者がいます。予定通り夕刻より野営を開始したと、証言を得られました。その際に帰ってこなかったネムロス殿の事は報告に上がっています。無事であることは伝え今回に関しては事無き事を得ていますが」
「遠く離れた地から一瞬で私の所へ移動する。本人の自覚も無しに」
「街へと連行される際には捕縛先を知られない様、目隠しされた状態でしたから彼自身も気付いていないようですね。ならばどの様に合流で来たのか、聞いたところで良い答えは帰ってこないでしょう」
「それで貴方は、何が言いたいのでしょうか」
「この不可思議な現象の一番の要因は何処にあるのか、其れを知りたいと思ったのですが。真相はますます闇の中へと潜ってしまったようですね」
「私も其の要因の一つと考えていたのですか。残念ながら私に其の様な力はありませんよ。人ならざる何かが関わっていると、かもしれませんが私はそう謂った類から嫌われていますから、助けてくれる事は無いでしょうし」
「いずれにせよ、今回の様な事は無い事に越したことはありません。宗教関係者に知れでもしたら、どの様な目に合うか……利用されるのはごめん被りますからね」
教会……善きことが起これば神の御加護と神輿に乗り、悪しきであれば悪魔に拐かされたと吹聴する。
自分たちに都合の良い事しか聞き入れなく、また解釈し白を黒に黒を白にと神の御意志と嘯き私腹を肥やす寄生虫。
神の御もとに集う彼らこそが悪魔の化身。
言い過ぎな部分もあるかもしれないが、大半は当たっている。本当に敬虔なる信者は清貧に務める。
立派な装飾など必要ないのだが、彼らも生きる為に必要な事。
何をするにしても金が必要であれば、寄付金を集める為に清貧だけでは集まる事は無い。
人は見栄えに見栄を気にするもの。見た目が立派であればご利益も期待し寄付金も大きくなるだろう。
神の教えを広げるには国との交渉は必定になる。言いなりになってばかりでは利用され食いつぶされるのは目に見えている。
政においても力を持つ事は教えを広めるに必要な事であり、守るための盾となり得る。
天使が裏返り悪魔となるように、金と権力は酔いしれた人は狂い変貌してゆくのか。
手にしたものの使い方を誤れば、他者どころか自身すら傷つける両刃とも諸刃にもなる。
「貴方ならば利用されつつ利を得る事も出来るでしょうね」
「必要とあらばですが、出来れば組み込まれたくはないですね。私の野望は私だけのものですから」
「少し驚きですね。本音が少々漏れていますよ」
「もう必要ないと判断しましたから。無論、他に関しては別ですが」
「そうですか、精々喰われないよう力を付けてください」
「おや、世界を破滅させた剣に私の身を案じて頂けるとは光栄ですね」
「貴方の身に何かあると相方にも影響が及ぼしそうで、其れに援助が打ち切られたとしても困る事はありませんが、在る事に越したことは無いですからね」
お互い微笑み合う。腹の探り合いというより嫌味の言い合い、此れも悪くは無いが。
「そろそろ二つ目のお話をお願いします」
「そうですね、皆を待たせては申し訳ないですし」
懐に手を入れたかと思うと細長い箱を取り出し、此方に差し出して来た。
装飾など無く簡素な安物の木の箱。贈り物としては少々気が利かない外箱ではあるが、中に何が入っているのやら。
怪訝な目でラウムを睨むも。
「旅に役立ってくれればよいかと思い、獣除けのお守りを送ります。是非受け取って頂きたく」
其の善意、裏しかない。
前振りもなく突然の贈り物など、どの様な意図を持っているのか、怪しすぎて手を伸ばす事など出来ようがない。
「残念ながら二つしかご用意出来なかったのが悔やまれます」
非常に残念そうな顔をするラムではあるが、三流役者でもまだ真面な演技が出来よう。
どの様な表情を見せようとも、目は笑っている
此れが素の彼であれば趣味が悪いとしか言えない。
けれど気になるのは『獣除け』と言う言葉。されど其れを此方へ渡そうとする意図が読めず。
受け取るに躊躇われて無駄にラウムを睨む。
お互い沈黙のまま睨み合うも僅かな時間ではあったが長くも感じられ、受け取らなければ次はネムロスへと渡しそうな気配がある。
私に断られたとしてもネムロスであれば受け取ってしまうかもしれない。彼は強引な所に弱い処があるから。
微笑みながら差し出され続ける小箱へと手を伸ばし受け取る。
見たくもない笑顔を見せられ、手には曰くの品。
最後に要らないモノを送られてきた。
意を決してふたを開けると在ったのは首飾り。
アラビア数字の8を模したような、紅い貴金属。鎖との止玉の部分のみ捻じれており、メビウスの輪の様な形。
透明な玉もあしらわれた小さな首飾りが二つ、箱の中に納まっていた。
赤い貴金属……朱銀。小さく気休め程度にしかならないが、獣を退けるぐらいにはなるかもしれない。
肝心なのは。
「返したのではないですか」
「えぇ返しましたよ。今は元商会長の死と共に行方不明となりましたが」
腕輪は返した、と。腕輪に使用されていた朱銀だけを抜き取ったか、似た金属とすり替えたか。
獣に襲われたと、そう言っていたが間違えでは無いだろう。その裏に何かがあるだろうが、今更問いただした所で何かできる訳でも、何かある訳でもない。
少々袖をすり合わせただけの通りすがり。
此れから先どれだけ関わり合いになるか。地図、其れがネムロスとラウムと……私たちの接点。
世界の在り方を俯瞰したくはある。其の方法の一つが世界地図。
まだ此の文明は未熟で、世界の形を知る者は皆無と言って良い。自分たちの住む大陸でさえ全容を知っているか怪しいもの。
この機を逃せば此の先どれほど時間を要するか、今の姿を見るまたとない機会を逃すには少々惜しい。
鎖が絡まるのを感じた。
此れが笧と言うものか。
鎖が一つ絡まり、一つ不自由になった。しかし出来ることが一つ増えた。
私一人では出来なかった世界の姿を描くことが出来る。どれほど時間が掛かるかは分からないが、其れでも見る事が叶う。
文明が此のまま進めばいずれ見ることは出来るだろう。けれど其れでは詰まらない。
短き命の彼らがどれ程努力して成し得るのか。世界の在り方を見る為に、私は此処に居るのだから。
「気に入りませんでしたか」
声を掛けられ視線を上げる。仮面なのか違うのか、どちらとも取れ、どちらとも取れない微笑むラウムがいた。
「いえ、お心づかいお受けいたします。他に何か伝えておくことがあればお聞きいたしますが」
「あと一つ、在りますが、其れはネムロスへと伝えたいと思います。お時間を頂きありがとうございます」
「ネムロスに……ですか。同席しても」
「隠すものでは無いですし、貴方にも少なからず関係していますから構いませんよ」
答えを聞くや踵を返しネムロスの下へ。
その途中に服を褒める根室巣の声を聞いたので、少し悪戯心を覚えたのは内緒にしておこう。
「魔眼封じの布は問題ないようですね。でも油断しないで下さい。カムロイの魔眼はまだ完全ではない今だから抑えられているだけと言う事を」
アレスリアが軽く、しかし慎重に頷く。
何処まで見えているのか、何が見えていないのか。私が実際に魔眼を宿した訳ではない、聞いた話だけである為、彼女の背負う辛さなど理解出来る訳でもなく。
「大丈夫です。私も、此れの異常性は少し理解しているつもりです。この布でも遠くない先、役に立たなくなることも」
震える手を抑え気丈に振舞う姿は、強くあろうとしている為か。
自身に宿る魔眼が意に副わないのは、どの様な感じなのだろうか。
否や、其れは私も同じか。この身に刻まれた文字はもとより、自身の体でも思い通りならない事など多くある。
魔眼は強力なのだろうが、其れでも身体能力の一つと言える。身体能力であればこそ、思い通りにならないし、鍛錬で制御することも出来る。
つまり、魔眼であったとしても使い熟せる日が来るかもしれない。可能性としてはあるが、その鍛錬方法が分からなければ意味も無いのだが。
課題も問題も募るばかり。一つずつ対応し解決してゆけばいい。
今はまだ曖昧な覚悟しか出来ていないだろうが、其れだけの言葉を吐ければ上等。
軽く頷くと、アリスリアも頷き返してくる。
今はまだ大丈夫。此れから先、必要になって来るナニかを探さなければならないだろうけど。
アリスリアからネムロスへと視線を移すと。
「ネムロス、話がある様ですよ」
後ろに控えるラウムに手を向けながら伝えた。
いつも読んでいただきありがとうございます。
投降、忘れ一日遅れました。明日もまた投降致します。
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