#32 ラウムの提案
兵舎に入ると人気は少なく、大通りの店構えを見た後では侘しく思ってしまうような、さして大きくもない窓口の上に「受付」とだけ記載された受付窓口があっただけである。呼び出し用であろう呼び鈴が遠慮がちに置いてあった。
呼び鈴を鳴らし出てきたのは年配の男性であり、挨拶もそこそこに用を告げる。
「エファー村のネムロスと言う。ラウムへと取り次ぎを願いたい」
「少々お待ちください。時間がかかると思いますのでそちらで座って待っていただければと」
少し睨むようにこちらをのぞき込んできたが、特に何か聞かれるわけもなく取り次いでもらえるようである。
指定された先にはさして大きくもない木で出来た長椅子と机が置いてあり、よく使いこまれていると言えば聞こえが良いが、状況を考え見るに使用頻度は高くはなさそうに見える。程度の良い中古品を置きましたと言われた方がまだ納得するが、窓口のおざなりさを見てもここを訪ねてくる人などあまりいないことを示している。
もっとも急がせる必要はない為、指示された椅子へと座り待つこととすると、先ほどの年配の男性が茶を差し出してきた。
「今人を使いに出しましたので、返答までゆっくりしなすって下さい」
「ご厚意、感謝します」
にっこりと微笑むと男性は奥へと引っ込んでいった。
狩人の性ゆえ待つのは苦ではないが、ここは狩場ではなく不慣れな兵舎。なるべく早く来てほしいものだ。
待つこと少し。出されたお茶もすっかり飲み干し、少々手持無沙汰になってきたころ。
「お待たせしました。昨日の今日で尋ねてくるとは思いませんでしたので、申し訳ないですがおもてなしの用意が間に合ってないのはご了承願いします」
姿を見せたのはネムロスが合いに来たその人であり、急いできたと思われるが息を切らすどころか汗一つかいていないのはさすがと言うべきか。
「こちらこそ済まない、事前に連絡もなしで来たのだから謝るのはこちらで、気を使うことはない」
「そう言っていただけると、助かります。して今日はこちらへいらしたという事は」
「思い立っては何とやら、これからの旅に当たり頼れるところなどあまりないからな」
「なるほど、頼っていただいて光栄ですね。ここでの立ち話は何ですから、此方へ。落ち着いて話せる場所へと行きましょうか」
要件を伝えた時に見えた一瞬の微笑みが、悪魔の笑みにも見えたが頼ったのはこちら。その微笑みを訝しんで断るなど出来るはずもなく、案内されるままラウムの後ろについて行く。
受付のあった兵舎の廊下を抜け建屋を出ると、訓練場と思しき広い場所にでる。
屋外であり柵で囲っているわけではないが、数人の人たちが走っていたり、端には特訓用の設備が木々で組まれており、ロープを手だけで登っていたり木組された壁を乗り越えていたりと特訓に励む姿が見受けられる。
「日々の鍛練が欠かせませんからね。獣だけでなく人からも住民を守らなければなりません。個の力はもちろんの事、全としても練磨しどのような事態が起きても対応できなければなりませんからね。そのための設備と訓練です」
「噂には聞いていたが、すごいものだな。」
「職業柄、いつどうなるかわからないものです。その時になり訓練をまじめに取り組んでおけばよかった、人の話を真面目に聞いておけばよかったなどと、後悔する事の無いよう取り組んでいます。時にはその苦い体験をも、自身が強くなるためのきっかけの一つになりえるのですが」
振り向きざまラウムは自身の左肩を指先で叩くように示しながら
「何があったかは聞きませんが、話したいと言うのならばお聞きしますよ」
フェンシオに叩きつけられ痛めた肩の事を気付いていたようで、それはそれでいらぬ心配をかけたようだ。
「分からぬよう庇っていたのだが、やはり隠せぬものか。だがこれは俺の問題でな、俺自身で解決しなければ意味がない。だが心配してくれたことは感謝する」
「いらぬお節介でしたか、差し出がましい真似をしてしまったようですね。では当初の予定通りにまずは話をすべくゆっくりと出来る場所へと移りましょうか」
それからは言葉を交わすことなく、受付のあった建屋とは別棟へと入り応接間と書かれた部屋の扉を開けてくれた。
「こちらで少々お待ちいただけますか。少々長くなるようなのでお茶を汲んできますね」
「気をつかわせてしまってすまない」
ラウムは笑顔で答え、部屋から出て行っていった。
部屋の中には受付に置かれていた机より良い物であるのは分かるがさりとて高級品という訳でなく。
長椅子と言えと単純な木で作成されただけの物ではなく、革張りの長椅子ではあった。
座り心地は木で作られ座面の上にはただ綿を詰まらせた座布団が縫い付けられた椅子よりかは座り心地は良い程度のだろうが。
部屋の中の調度品は壁に花が活けているだけであり、華やかさはなく逆に侘しさが際立っていたぐらいである。
華美にもてなすのでは無く、ただ話をするだけの余計なものは一切おいていない部屋であった。
しばらく待っているとドアがノックされお茶を手にしたラウムが入ってきた。
「お待たせしました。っと、此れはこれは座って待っていてくださっても良かったのですが」
「こちらから尋ねに来ておいて、それでは礼を欠いてしまうからな」
「そこまで気をつかわなくても良いのですが。では、そちらへどうぞ。まずはお茶で落ち着いてください」
「すまない、遠慮なく頂こう」
一口、茶を飲むと一息ついてから。
「では、お伺いしましょうか。本日こちらへいらした要件をお聞かせください」
柔和な笑みを湛えつつ、ラウムが切り出す。話す相手が落ち着きつつ、そして真摯に対応しようとしているのがよく分かった。
旅をするにあたり何が必要か。知識も経験もなく頼りになる相棒はいるが、それでは頼りっきりになってしまう。そうなってしまっては相棒ではなくなってしまう。
共に歩くならば自身も向上せんと学ばねばならない。でなければいつか見捨てられるだろう。
経験は日々、自身で積んでゆくしかない。ゆえにこれからと言えよう。
知識は学ぶしかない。そして学ぶ方法は二つある。実技と学科である。
実技は実際に体験する事で体に覚えさせて行き、それが積み重なって経験ともなるが、学科は先達者の知識より学び得る事。
学ぶとは少し違うがあと知識を得るのにもう一つある。これについては今の俺自身では難しいと言えよう。知識と経験があって閃きがあるからだ。
まずは指針となるべきものがなければ、進むことは出来ない。
「ラウムも知っての通り、諸国放浪の旅に出ることとなった。が、村と此の街との往復しかしなかった俺では、周辺諸国の情勢が疎くてな。そのあたりを話せる範囲で良い、教えてほしい」
座ったままであるが頭を下げるネムロスに対し、ラウムは目をつむり少し考え込む。
「率直な意見を言わせていただきます。このまま旅をするならば失敗します」
驚くに値はしない。それは半分予想していた事であり、正鵠を突かれたからと言って狼狽えることも騒ぎ出すこともない。
ただ黙って先を促すだけである。
「状況は理解していただいているようですね」
「このまま旅に出ることが失敗すると言うのは分かる。が、どのように失敗するのかが想像できぬ」
「あげるならば二つ……三つというところですね。まず、ネムロスの旅は突然すぎます。前々から用意していたならば、周辺状況は調べておくべき事柄、それがない。私にそれを聞きに来たのが証拠です。旅の必需品と言うべき水や食料の問題もありますが、その備えがあまりにも拙さすぎです。そして、その装備があまりにも旅には向いていませんね。それではすぐに疲れてしまい歩くこともままならなくなるでしょう」
ラウムの言葉に椅子の背もたれに身を預ける様に天井を仰ぎ見る。
分かってはいるが、言葉にされると現実が突きささる。
ではどうすればよいのか、考えたところで答えは出てこない。出てくるのはため息だけである。
「ネムロスが欲しい情報は渡すことは簡単です。ですがそれだけでは足りません。そして私はその旅に反対している訳では無く、応援したい気持ちはあります。そこを理解してくださった上で提案があります」
ラウムの誘い。そこに何か含むものをあるのは分かる。安易に乗って後に大きな負債を抱えることになることは避けたいところではあるが、だからと言って他に妙案もない。
聞くだけならば後で断ればよいと思わなくもないが、ラウムの言葉の裏には聞いたならば最後、断れぬよう用意はしてあるやもしれぬ。
この提案を断るならば今しかないが。
「聞こう」
どうせ行き詰っているのだからと、心を決めた。
ネムロスに言葉に満足したのか、真剣な表情に一瞬綻びを見せつつ
「話が早くて助かります」
「あくまで話を聞くだけだ。受けるかどうかは内容次第だな」
「魅力的な提案ですので必ず受けて頂けると思っていますよ」
「悪魔は微笑んでやってくる。そう言ったのはラウム自身だ。俺にはそのように見えて仕方ないのだがな」
「顰めっ面で話したところで、訝しんで話を聞いてはくれなかったでしょうね」
「……かもしれぬな」
「では、本題へ入りましょうか。七日後にある訓練が実施されます。目的は冬を前に心身共に強化をはかる事。内容は山へ籠り困難な状況から生還する技法を学ぶこと。水や食料の調達方法から獣の罠の仕掛け方、捌き方に、もちろん鍛練も含まれます。元狩人たる貴方にとっては知っていることはあるかと思いますが、我々が持つ知識や知恵、技術は学べるかと思います。期間は一月と少し長めですが十分に得られるものがあると思います。少々簡単ではありましたが、これに参加することを提案いたします。如何でしょうか」
言葉自体は丁寧であり、理解しやすいようゆっくりと話してはくれたが、端的過ぎて要領が得られないのはあった。
すぐに思いつくだけでも三つ、いや四つほど疑問が浮かぶ。
「申し出としては有り難いが幾つか聞いてよいか」
「えぇ、構いませんよ。今の説明だけで受けてくれるとは思っていませんからね」
「兵士の技術が学べる機会はそうあるものではないので、心惹かれるものはあるがそれだけでは少々弱い。他に何かあれば良いのだが。」
一旦言葉を区切り、ラウムの様子を見るが先を促すように頷くだけである。ならばと。
「訓練を受けるにも経費が掛かるはず。少しは持ってはいるが足りるとは思えぬし、たとえ払えたとしても旅が立ち行かなくなるようならば、本末転倒にしかならないだろう。後は訓練が始まるまでの時間が少なすぎる。急に割り込んで大丈夫なのか」
最後は何故そこまで肩入れするのか、思うだけでその言葉だけは飲み込んでしまった。
全てを言い終えた後、ラウムを見るに頷きながら。
「まずは費用について全てこちらで負担いたします。元々訓練に掛かる費用は兵務費より支出されますから、ネムロスに負担が行く事はありません。そしてこの訓練は少々厳しすぎるとあって定員割れしていますから、今から一人二人増えたところで問題ありませんし。まぁ、厳しすぎる故に兵務費で負担して少しでも人を集めようとしているのですが、いつも定員割れを起こしている事からもどれほど厳しいか物がっていると言えますね。故に訓練を終了した際には資格を与えられるのですが」
「俺が貰っても役に立つとは思えぬ資格ではあるが。定員は何名で今はどれほど参加者がいるのか?」
「取っておいて損はないと思いますが。いつもならば、定員は三十ほどで参加者は二十と少しですかね。私たちが主催しているわけではないので正確には分かりかねます」
その厳しすぎる訓練に素人を放り込もうとするのはどうかと思わなくもないが。
「ネムロスであればこそ、やり切ってくれると確信しているから、薦められるのです」
と、心を読んだかのように応えてくる。
「さて、後は……付加価値ですか、こればかりは難しいですね。冬を前にここで時間を過ごせば、ここを出るときは真冬でしょうし。出来るとしたら周辺諸国の情勢をいただいた時間で詳細に調べておくことぐらいですかね」
周辺諸国の情勢、知っていると知らないのではかなり違ってくる。それは危険に近づかないようにするだけでなく、目指すその先へと示す指針ともなる。知らぬ道を行き、道を知りながら、作りながら行くのも旅の醍醐味ともいえるやもしれぬが、素人の俺としては転ばぬ先の杖としてほしいところではある。
「一つ聞く。詳細まではなくてよいが、どこまで広く調べられる」
「さて、お望みがどこまでなのかはわかりませんが、一月もあればそれなりに調べられると思います」
個人では調べるには限界がある。
街から街へと守らねばならぬ兵士たちにとって周辺の状況は把握しておかなければならない事柄の一つであり、秘匿せねばならない事はあるだろうが、それでも個人で調べる範囲より膨大な情報は持ち合わせているはず。そしてそれは今後、旅をする上で助けになるのは間違いないはずである。
心動くものはある。だが、とも思う。
「そうですね。旅人ですから地図は必要ですね」
「確かに旅に地図がなければ、指針も立てられぬ。用意してくれるならば嬉しいが」
「他に何か問題でも」
「一日、考えさせてくれ」
「これは僥倖。少々違う形となりましたが、貴方からその言葉を聞けたことは少し期待しても良いかもしれませんね」
「最後に一つ、尋ねても良いか」
「どうぞ」
よく知る皮肉めいた笑みによく似た笑みを湛えながら、応えてくれるラウムに。
「何故ここまでしてくれる」
「先行投資、ですね」
少しも迷うことも考えることもなく、答えてきた。ならばそれは彼の中で決めていた事なのだろう。
「だがそれは……いや、何でもない。」
ネムロス自身に何か期待してとのことと言うが、ただの旅人に何を見ているのか。それはラウム自身の事であって、まだ何も返答していないネムロスが聞くことではない。
聞きたいことは聞いた。答えはまた明日まで伸ばしてもらった故、フォスレスと相談せねば決められない。
そろそろ席を立とうと腰を浮かしかけたところ、もう一つ忘れていたことがあったのを思い出した。
「すまんが、あと一つ。これは大したことではないのだが」
「私に答えられることであれば、いくらでも構いませんよ」
「では、お言葉に甘えさせていただく。……数日間安く泊まれる宿を知っていれば紹介していただきたい」
少し驚いたかと思うと、口元を抑えて笑いを堪える。
「いえ、失礼しました。それは予想していませんでしたので」
どうやら締まらない最後となったようである。
心なしか、腰に帯びている剣も笑いに震えている気がしたが、気にしないようにしよう。
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