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●第四章
その日、トイチこと十勝耕一はクラスメイトで部活仲間で、友人のモンジこと、六文字満からいつもより早い時間に登校して欲しいと頼まれた。
トイチのケータイには、六文字宅の家電と、彼の妹のケータイ番号が登録されている。六文字家では、今年、娘が中学に進学したのを機に、子供にケータイを持たせることになった。兄妹二人で共有である。と云うことになっているが、実際は妹のミチ子嬢の保有である。トイチから満に用件がある場合、常識的な時間ならば自宅へかけるが、それを過ぎ、且つよっぽどの場合に限りケータイにかけ、取り次いでもらう。逆はたいてい六文字宅の家電からであって、むしろ兄妹共有ケータイからの連絡は稀である。
なので、夜中に鳴ったケータイ、着信名が「モンジ(妹ちゃん)」であったことから、トラブル以外の何かであるとは思えなかった。
電話でのモンジは上ずった声で、興奮とも困惑とも、どちらとも取れるような口調で「詳しくは明日」、何故と訊ねるのを拒むかのようだった。
とは云え、互いに中学生の身空である。トラブルのスケールは相応であり、空から女の子が振ってきた、異世界から訪れた美女に世界の命運を託された、裏山に落下した宇宙船から出てきたグラマーな異星人に帰郷の手助けを頼まれた──などと云うことはありえない。
いや、あったらいいな。
自分の身にそんなことが起きなくとも、友人から頼まれるのは存外オイシイ立ち位置ではなかろうか。少女の胸のペンダントが光ったり、伝説の剣は友人に託され、自分には大斧を与えられたり、侵略を賭けた鬼ごっこの応援だったり。
いや、ない。
ファンタジーやSF、マンガやアニメは嫌いでなく、むしろ「好き」であるが、それはそれで、これはこれ、分別くらい弁えている。中学二年生なりに。
なので、運動部の朝練も始まっていないうちに登校し、二年三組の教室に一度寄って荷物を置き、指定された校舎一階、隅の隅、第二美術室へ入った直後、自分の想像力なんて結局は凡人程度なんだと思い知らされた。ポンッと炭酸飲料を開栓したような音と共に腹部に痛みを憶え、撃たれたと思った。
映画やドラマの拳銃は大げさな音響効果で、実際に訊くと結構マヌケであると訊いている。まさにそれだった。
「ぐ……ッ」その場で膝を突き、身体を折り曲げ、床の上に倒れ込んだ。位置からすると肝臓のあたりだ。そこは太い血管が通っていて、じくじくと血が染み出し、入り組んだ構造故に救命率が低いと訊いた。映画で見た。衛生兵! と誰かの叫ぶ声を訊いたようだった。いや、ここはやっぱり、メディック! だ。洋ドラで見た。もしくはドク! だ。テレビで見た。
こんな展開を誰が予想しただろう、いたって普通の公立中学校の校舎の中で撃たれるなんて。昨夜から仕込まれていたのだ。あの電話の相手は本当にモンジだったのか? そう云えば、声が変だった。脅されていた? 他人が友人を騙った? ならば自分はおびき出された? 何故だ。どうしてだ。腹か。この腹の中に秘密があったのか。世界の命運を握る鍵、それを本人が知らぬまま持っている──そんな展開、映画で見た。主人公の補佐役のつもりが、あずかり知らぬうちに物語のキーパーソンになっていたとは。
ゲホッと咳き込み、その場でどうにか仰向けになった。
「あっけねぇなぁ!」
耳元で声がした。子供のようで、実に無邪気だ。「なぁ、アニキ。どうなんだこれ」
赤っぽい何かが胸の上で飛び跳ねているのを狭くなった視界の中で捉えた。いや、あの色はワインレッドでも、ボルドーでもなく……。必死に頭の中で、初夏の頃からこっち、親しい誰からか聞かされた憶えのあるその色の名前を思い出そうとした。
そうだ。プラムだ。プラム色。マゼンタのような、クリムソンのような、そんな、赤。むしろ紅。マーメイド紙なら〈えんじ〉……虫や花由来の色だ。
「トイチ?」
見覚えのある顔が見えた。「大丈夫?」
「モンジ……」良かった。彼は無事だった。トイチは静かに腕を上げ、この場に相応しい言葉を探し、「あとは頼んだ」一度、云ってみたかった。「ピンク・コングを……」ゆっくりと目を閉じようとし、「頼まれてやんよっ」遮られた。
応えたのはぴょんっと胸の上で飛び跳ねたプラム色だった。「任せとけって!」
「はぁ──!?」
目の前の光景が角膜を通しレンズ体で反転した像を網膜に映し、視神経を経由して後頭葉の視覚野で再構成され、大脳に蓄積されたあらゆる記憶と照合し、結論を導き出すまでの速度はいかほどか。
「なんじゃこりゃぁ!」
思わず飛び起き、その弾みでプラム色が「うわっと!」、可愛らしい声を上げて転がった。「いってぇ、何すんだ!」
ポンッ、ポンッと再び爆ぜる音がして、今度は腿に当たった。痛いと云うより、くすぐったい。オモチャの銀玉鉄砲にも及ばない。
「やめい」うりゃっとモンジがプラム色を手で払った。「ぐはーッ」プラム色は飛んでいった。
えー……。トイチは思った。いいのか、そんな扱い。
「壊れない……?」
トイチの問いに、満はあ、うん、と微妙な返事をした。「たぶん。中はボール紙で箱組みしてるし、」
さすがにかなり本気で潰したりしたらダメだと思うけれども、と苦笑した。
「なぁなぁ!」プラム色が飛び跳ねながら二人の間に割って入って、「それはカンベンだぜ、アニキ!」




