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●第三章
喘息で入院だなんて思いもしなかった。せっかく小学校に上がったばかりなのに。お母さんは仕事をお休みして、出来るかぎり一緒にいてくれる。でも何もできなくて、口に出さないけれども、ごめんねって云ってるみたいで、それがカオリには余計に心苦しかった。
お医者さんは環境の変化と、季節の変わり目とが重なったのでしょう、大丈夫ですよ、って。なら点滴外してよ。家に帰らせてよ。お母さんが哀しそうな顔をするのが辛い。
うまく息ができなくて苦しくて辛かったのは本当に初日だけで、今は普通だと思う。だから、帰りたい。でもそれを云うとお医者さんよりお母さんがまた哀しそうな顔をするのが分かっていたから、カオリは黙っていた。自分さえ我慢すれば来週には退院できるはずだから。
病室にはクラスメイトから贈られた百羽の折り鶴が飾ってある。病人みたいで嬉しくなかった。なにより、わたし、まだクラスの子の名前、全員憶えていない。逆もたぶん同じ。わたしのこと知らない子が折った鶴になんの意味があるの? でもカオリは届けてくれた担任の先生にお礼を云った。それがレイギだから。先生は直ぐに帰って行った。入れ違うように男の子が、女の子の手を引いてやって来た。
るーくんだ。妹のミっちゃんも一緒だ。
二人で来たの、と訊ねると、「ううん」頭を振って、「お母さんと」
「小母さんは?」
「リっちゃんのお母さんと話してる」
そう、とカオリは応えた。るーくんが先生の持ってきた折り鶴の束に目を向けたの分かった。
「それ、ありがとう」心にないことだと分かっていても、礼を云った。
「普通は千羽なんだって」
「うん」
「百羽でいいのかなぁ」
お祈り足りないんじゃないかなぁとか、るーくんは変な心配をしてる。でもまぁ、自分は自分で別のことをが気になっている。「なんで鶴のお腹に糸、通しちゃうんだろう」
カオリは思わず口にして、しまったと思った。貰い物にケチつけるなんてレイギに反する。けれどもるーくんは、「そうだよなー」同じことを思っていたようだ。「いきなり針をぶっ刺すんだもん」ぷっと頬を膨らませ、不満げに続けた。「焼き鳥にでもするのかよ。あッ、ミチ子、触っちゃダメだって」
「いいよ別に」
ミっちゃんは糸で繋がれた折り鶴に興味津々らしい。「面白いー」しゃらしゃらと楽器みたいに波打たせ、紙のこすれる音を楽しみ、肩にかけて、「ハワイっ」
カオリは思わず噴き出し、ちょっと咳が出た。
「大丈夫? ほらミチ子、もう戻しな。リっちゃん?」
けほけほと殆ど空咳みたいなものだ。「大丈夫」カオリは笑って、心配ないことを分かってもらおうとした。「大丈夫」
でも、るーくんの顔には不安そうなそれが残っていた。
「大丈夫だから。来週、退院できるって先生も云ってるし」
「そうなんだ」るーくんの顔が雲から出てきた太陽みたいになった。
帰りがけに、ありがとうとカオリは心から二人にお礼を云った。「もう退院だから、気にしないでね。るーくんとは、学校で、かな? ミっちゃん、退院したらまた遊ぼうね」
「うんっ」ちっちゃな妹分が嬉しそうに手をぎゅっと握ってくれた。
*
ふと、真夜中に目が覚めた。カオリは懐かしい夢を見たと思った。
夢の中で、カオリはリっちゃんで、隣の家の男の子はるーくんだった。ああそうだ。図らずも、今夜、互いにその名を呼び合ったんだっけ。
るーくん。そう呼ばなくなってどのくらい?
リっちゃん。そう呼ばれなくなってどのくらい?
暗がりの中、カオリは机の横に目をやった。そこに色褪せた、花冠のように幾羽もの繋がった連鶴が飾ってある。入院中に二回、お見舞いに来てくれた男の子が作ってくれたものだ。
るーくんは退院のぎりぎりにそれを持ってきた。
翼と翼で繋がっていて、仲睦まじく手を繋いでいるように見え、一枚の紙から作られているだなんて信じられなかった。鶴ならカオリも折れた。でも二羽以上を繋いだり、輪っかにできるなんて知らなかった。「お父さんに教えてもらった」って云ってたけれども、自分の為に作ってくれたその気持ちが嬉しかった。百羽にはとうてい及ばないのに、ずっとずっと素敵だと思った。
そっと身体を起こし、カーテンの裾を捲った。隣家のその部屋はカーテン越しに明かりが漏れていた。
まだ起きてるんだ。
不意に、その窓に石でも投げてやろうかと思った自分をおかしく思った。何の気なしにしばらく眺めていると、ふっと明かりが消えた。
なんだ。ばふっとベッドに転がった。もういい。枕の上で頭をもぞもぞとさせ、「るーくんのバカ」
連鶴、もう折らないのかな。暗がりで呟いた言葉は、静かに闇に溶け消えた。




